見出し画像

なぜ「やりがい」なのか?

僕は正直迷っていました。
今まで無理やり野球をやらされてきた。
それがいやで、新しいことをはじめたくて、野球を高校卒業と同時にやめ、大学に進学した。
夢のキャンパスライフがはじまる予定だった。
しかし…

あれ…でも…僕のやりたいことってなんなんだ…

それまで野球しかやってこなかったので休日の過ごし方もわからない。
アパートでテレビをみていて、気づいたら1日が終わっている。
こういうのを廃人というのだろうか。

バイトもやっていた。
近くのスーパーでレジをしていたがクソほどもつまらない。
やたらうるさいおばさん主婦どもにやいやい言われながらやっていましたけどね。

サークルに入ろうと思って体験に行っても、今まで野球でさんざん味わった先輩後輩上下関係を感じ、入るのをやめた。

大学生活で良かったことといえば、朝ドラ「てっぱん」に出会って尾道に行けたこと。
大学を卒業して実家に帰り、地元の中小企業に入るもまさかのブラック企業。
残業代は出ないし、一人でやるような仕事じゃないのに人はいないし、人間関係はクソだし…家族経営の企業なんでそいつらもクソでしたけどね。

唯一、結婚して妻と子どもと出会えたことが幸せで、このままじゃいけないと思い所謂ホワイト企業に転職。
条件的には良いが、相変わらず人間関係の悩みは付き纏うし、仕事もつまらない。

なんだこれ?人間関係?上司である前に人間性が腐っている。
ギャンブルと風俗の話以外することないんかい。
マジでうんざりしていた。
「人生をもっと楽しくするにはどうしたら良いんだろう?」
「やりがいってどうすれば見つかるんだろう?」
「そもそもなにすれば良いの?」
「子どもから見て輝いている大人になるには?」
わからなかった。
自分が何がしたいのかも。
何をすれば幸せなことが見つかるのか。
どういう時に幸せを感じるのか。

そんな時にある人物の話を聴いた。

「やりがいがあれば人は人生に幸福を感じる」
「こういう状態のことを「幸せ」という」
「そのために何をすれば良いか」

「そうか、そういうことだったんだ。」

徐々に謎が解けていく。

そして自分が何をすれば良いか。
少しだか行動できるようになった。

→野球を無理やりやらされる(12年間)
→野球しかやってこなかった
→自分が好きなこと、やりたいことが、わからなくなっていた
→何をしたら良いかわからない
→人間はどうしたら幸せなのかいろいろ調べる
→ある情報源にたどり着く
→実践&発信
→今ココ!

「やりがいを感じることをすれば人は人生に生きがいを感じる」

だから「やりがい」を探す。
「やりがい」はこの世界に散りばめられているわけではない。

「自分の中」にある。

自分の中という世界において「やりがい」を探さなければならない。

「自分」という世界は広いようで案外狭いのかもしれない。
誰でも「やりがい」は見つけることができる。
大丈夫!
行動している限りそれは成功だから。
失敗なんて概念は存在しない。

「過程」を楽しんでこ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?