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高身長女子が”流行る”前の話

つい先日、初対面の人から身長を聞かれた。

幼稚園に入ったときから背の順に並んだら最後尾の常連だった私は、初対面で身長を聞かれるのは珍しいことではない。

「身長何cmですか?」
「171cmです」
「バスケかバレーやってました?」
「中高バレー部でした」
「やっぱり~!」

だいたいこの流れだ。
またかよ…と思うほど、もうすっかり慣れている。

しかし、この前身長を聞かれたときは、今までの30年の人生で言われたことのない一言を言われた。

「いいね!最近、高身長女子流行ってるし!」

この言葉を放った相手は同世代の女性で、彼女はこの発言に悪意も何もなかったのだと思う。
ただ、私はこの「高身長女子が流行っている」という言葉に少しモヤっとした。

確かに近頃、高身長の女性が素敵だという声を耳にする機会が増えたように感じる。

MLBで大活躍中の日本人スターが今年結婚したお相手の女性の身長が180cmだったり、国内外で人気の女性アイドルが高身長だったり。

反対に、SNSでは「低身長アピ」という文字を目にしたことがある。

身長の低い女性がプロフィールに「150せんち」と書いたり、「身長2ミリ伸びてた!」と投稿したりすると、
読み手は「『身長が低い私、可愛いでしょ?』ってアピールしている」と感じてしまう。
そしてそんな投稿には、批判のコメントが多くついていたりする。

そんな風潮もあり、確かに昔よりは生きやすくなったと感じる。

でも、10年ちょっと前、私の学生時代には、小柄な女の子が「流行って」いたように思う。

私の学生時代や最近の風潮とは関係なく、現代でも「学生時代は小柄な女の子が人気で、社会人になれば高身長女子が人気になる」という、いつの時代も変わらない流れがあったとしたら申し訳ない。

でも私は間違いなく、あのとき苦しかった。
私のこれまでの人生での、身長にまつわるいくつかの出来事を振り返ってみようと思う。

~小学生時代

平均以上を自覚した日

幼稚園に入園した私は、同じ年の子どもたちと背の順で並ぶことを生まれて初めて経験した。
私は、うしろから2番目だった。
「そうか、私は他の子よりも大きいんだ」

そう感じたからと言って、特に損をすることも得をすることもなく、ただただ無邪気に過ごしていた。
スーパーで偶然会った母親の知り合いや、知らない大人から、
「何年生?」
「へぇー大きいね!」
と言われることは何度もあった。その度に私は嬉しくなった。

「大きいことはいいこと!」
と純粋に思えていたこの頃が、人生のピークだったのかもしれない。

転校初日の背比べごっこ

私は小学校2年生になるときに、父の転勤で他県の小学校に転校した。
担任の先生に連れられて、すでにクラスメイトたちが集まっている教室に向かう。

私は少し緊張しながら教室の前方のドアをくぐった。
教室の真ん中まで進み、クラスメイトたちのほうを向いたときに、2人の男子が立ち上がった。
真ん中あたりの席のその男子たちは、自らの頭頂部に手のひらを当てたあと、その手を私に向かって水平に伸ばしたあと、即座に座った。
その男子たちの周囲からは、クスクスと笑う声も聞こえた。

何、今の。

一瞬訳が分からなかったが、じわじわと状況が理解できた。
ああ、背比べをするふりをされたんだ。

私の記憶の中では、これが人生で始めて自分の身長を揶揄された日だった。あれから20年経った今でも、私はその2人のフルネームを覚えている。

幼稚園のときも、1年生のときだけ通った小学校でも「大きいね」と言われることはあったが、そこに悪意や嘲笑は含まれておらず、もちろん誉め言葉だと思っていた。
身長が高いことがからかいの対象となるなんて、まったく思っていなかった。

小学生とは、「自分と異なる性質を持つ人」や「平均値から外れた人」をからかいたくなる生き物だ。
そんな生き物にとって、平均身長を大きく超えた私は格好の餌食だった。

廊下ですれ違っただけで言われる、「でけー!」「巨人」「キリン」「デカブツ」「のっぽ」「白い巨塔」などの言葉。

「進撃の巨人」があと10年早くヒットしていたら、彼らはその作品に関連する言葉を私に投げかけたはずだ。

それにしても、なんで奴らは分かり切ったことを何度も言ってくるのだろうか。
ここ数日で一気に何cmも身長が伸びたわけではないのに。
初めて会ったときから、私の身長はずば抜けていたではないか。

「でかい」からなんだ?
私が何か迷惑をかけているのだろうか。

身長も平均以上、体重も平均以上

毎日のように浴びせられる身長を揶揄する言葉に辟易し、学校が嫌いになっていた。
そんな私の学校嫌いを決定づける出来事があった。

小学2年生の冬、自分が生まれたときのことを知るという授業があった。
自分が生まれたときにどんなことがあったか、周囲の人々の思いなどを保護者に聞いて、自分のこれまでの7、8年の人生を振り返り、ひとり1枚の模造紙にまとめるというものだった。

その模造紙には、自分が生まれたときと現在の身長・体重を書き、完成した模造紙は、教室に掲示されることになった。

当時の私は、身長135.5cm、体重32.2kgだった。このときの記憶が鮮明に残っているので、小数点以下も正確に覚えている。

今調べてみると、8歳女子の平均は、身長127.5cm、体重26.9kgらしい。
当時の私は、9歳男子の平均値である身長133.5cm、体重31.1kgより少し大きいぐらいであったと言える。

教室の後ろに貼り出された私の身長と体重を見て、クラスメイトたちは私の身長よりも体重に注目した。

「32.2キロとかデブじゃん」

周りのクラスメイトはほとんどが20キロ台で、私よりも軽い。
私の身長がみんなと同じように120cm台であれば、32.2キロは確かにデブとみなされる体重なのだろう。
でも、私は135センチだ。

身長が伸びれば、体重も比例して増えるということをみんな知らないのだろうか。
しかし、小学2年生にBMIなどという数値などは通用せず、数値こそがすべてであった。

私の体重に特に反応していたのは、ゆりちゃんという、クラスのリーダー格の女の子。
ゆりちゃんも身長はそこそこ高く、130cm前後であったと思う。
そんなゆりちゃんの体重は30.6kgだった。私と1.6kgしか変わらない。

それなのに、ゆりちゃんは自分のことを棚に上げ、人一倍私のことを「デブ」呼ばわりした。

「さんじゅってん何キロだったらいいんだもんねー、さんじゅうにキロはデブだよねー」
という謎の理屈で他の友達に同調を求めていた。
身長と体重のバランスから考えたらゆりちゃんの方が私よりも「デブ」に違いない。

今思えば、ゆりちゃんは自分がデブ呼ばわりされたくないがために、私を標的にしたのだろうなと思う。

その時期、ゆりちゃんとは給食を食べるグループが同じだった。
その日の給食の時間、ゆりちゃんの私へのデブ呼ばわり攻撃は続き、私の胸の中は怒りと悲しみで溢れそうだったが、それに言い返す術を持っていなかった当時の私は、ただただ黙っていた。

家に帰り、私は大泣きした。母から先生にお願いして、あの模造紙の掲示を辞めてもらった。


ゆりちゃんは現在二児の母として、Instagramに育児の様子を投稿している。
今年、ゆりちゃんの第一子は、あのときの私たちと同じ小学2年生になったらしい。

ゆりちゃんは私をデブ呼ばわりしたことなんて、きっと忘れている。

ゆりちゃんの子どもが「デブ」と言われて悲しい思いをすればいいのに、と思ってしまう。

子どもに罪はないとは分かっている。でも、あれから20年以上経ってもゆりちゃんのことはどうしても許せない。

私よりも身長の高い親友

3年生になり、ゆりちゃんと別のクラスになることができた。
そして、さきちゃんという女の子が私のクラスに転校してきた。

さきちゃんは私より少し身長が高く、背の順で私と前後に並んだことがきっかけで仲良くなった。

さきちゃんは字が綺麗で絵も上手な優等生。
他人を馬鹿にするような発言をすることはなく、一緒にいてとても居心地がよかった。
明るくハキハキしていて、内弁慶でおとなしい私の活発な一面を引き出してくれた。

さきちゃんも、高身長であることや珍しい苗字によりからかわれることが多かった。
彼女はそんなからかいに対し「それがどうかしたの?」と毅然とした態度で言い返していた。
からかわれても何も言い返せない私にとって、彼女のそんな姿は衝撃的でとても眩しかった。

さきちゃんと一緒に過ごしているうちに、私も身長イジリに対して言い返す術を学んだ。
また、周りの友達が使い始めた汚い言葉遣いもどんどん学んでしまった。

「デカい」と言われても、
「うっせえチビ!」「羨ましいんでしょ?」「負け惜しみ?」「小さくてかわいそう」「ちゃんと食べさせてもらってないの?貧乏なの?」
などと、どんどん言い返した。

そんな中、私は小学校3年生から、地域のスポーツクラブや学習塾に通い始めた。どちらも始めてみると面白く、何より他校に友達ができたことが新鮮で、楽しく続けていた。

気付けば、学校のテストでは毎回高得点で、みんなの前で先生から褒められるようになった。また、体育のリレーやドッジボールも活躍できるようになっていたことには自分でも驚いた。
そして、他校の友達やその保護者と話す機会が増えたことや、スポーツクラブで大きな声を出すようになったことにより、私はより活発になった。

身長について何を言われても、言い返すようになっていた。
おとなしい子からの脱却どころか、口の悪いガキになり、怖いものはなくなっていた。
大口を叩いても、私は勉強もスポーツもできる。私は「ただデカいだけの子」ではなくなったと確信していた。

小学校5年生で私の身長は160cmを超え、小学校を卒業する頃には165cmになっていた。
母や親戚のお姉さん、学校の女性の先生の身長を抜き、「小学生としては」ではなく、どうやら大人の女性と比較しても高身長のほうに部類されるらしいと気付いた。

中学・高校時代

デカい女は恋愛対象外

せっかく活発で前向きになれたのに、中学生になって170cmに到達した私の心はひどくえぐられた。
私の身長に対するからかいに、女としてという視点からの言葉が加わったからだ。

私が通っていた学校だけなのか、どの学校でもそうだったのかは分からないが、「小さい女の子がかわいい」という風潮が強かったように思う。

小学生の頃、身長の低い女の子は「チビ」としてからかわれていたけれど、いつの間にか身長の低い女の子は「可愛い」になっていった。

そして、「デカい」には「可愛くない」が付きまとうようになった。

「俺、デカい女とか無理なんだけど」
私に対して言っているわけではなく、ただ各々の好きな女の子のタイプについて話している男子の会話。
たまたま聞こえてしまっただけだが、私はその男子に告白してもいないのに、好きでもないのに、フラれたようなみじめな気分になった。

デカい女はかわいくない、恋愛対象外だということを突き付けられた。

「小さくてかわいい私アピール」に利用される

女友達からの言葉にも苦しめられた。
私の周りの友達はみんな、平均的な身長だった。

休み時間での数人での会話。みんなは冗談で、笑いのネタとして、何かにつけてデカいことに触れた。
「デカいから彼氏作るの大変だね」
「デカいから男子も怖がってるよ」
「デカいから遠くからでもすぐ見つけられる」

中学生や高校生になると、女子はより「モテ」に敏感になる。
私に対する高身長イジリの裏には、「あなたと比べて身長が小さい私、可愛い!」と暗示する目的も含まれていたのだと思う。

実際に、「身長高いのうらやましい!5cm分けて!」と何度も言ってくる子もいた。
そんな子はたいてい、近くに男子がいるときに、周りにも聞こえるように、私を見上げながら言ってくる。

本当にコンプレックスに思っているのなら、わざわざ大きい声で言わないだろう。
写真を撮るときにわざわざ私の隣に写って、自分の身長の低さを際立たせたりはしないだろう。

「低身長アピール」、「あざとい」なんていう言葉はそのとき全く浸透していなかった。
だから、そんな言動や行動は非難されることはなく、やっぱり「小さい女の子はかわいい」のであった。

だからこそ、私は小学生のときのように言い返すことはできなかった。
勉強やスポーツができても、私は女としてはだめなんだ。

女として私は劣っているから、この子たちには何も言い返せない。

それに、もし言い返したら場の空気が悪くなる。
中学・高校時代に友達を失うということは、学校での生きる術を失くすことを意味する。

その場を盛り上げるために、私は必死に口角を上げ、時には心をすり減らして自虐と言われるような発言もしたこともあった。

褒めるという仮面を被ったディスり

一度、友達と話しているときに「身長が高いのが嫌だ」と伝えたことがある。

しかし、深刻な顔をして言ったわけではない。冗談っぽく、口角を上げながら、「身長高いのも困るよ」みたいな感じだったと思う。

そんな些細な発言でも、私にはとっても勇気がいることだった。
もしかしたら、場の空気を悪くしてしまうかもしれないという不安があった。
一方で、これを機に高身長イジリがなくなればいいなという期待もあった。

しかし、そんな私の思いは一瞬で、どこか遠くへ飛んで行って消えてしまった。

「えー?でも、身長高いのっていいじゃん!」

身長が高いということは、長所と短所が背中合わせの、とても面倒な身体的特徴だと思う。

「身長が高いとかっこいい」「似合う服が増える」「スポーツで有利」
この身長を本心から褒めてくれる人ももちろんいる。

だからこそ「身長高いね」という言葉を100%悪口とみなすことはできないのがとても厄介だ。

私の身体的特徴が「高身長」ではなくて、思いっきり「ブス」だったらよかったのにと思ったこともある。

「ブスだよね!」は確実に相手を傷つける、言ってはいけないとされる言葉だ。

でも、「身長高いね!」「デカいね!」は許されるのだ。
言われた本人が傷ついたとしても、「でも高身長っていいじゃん」と付け加えれば、私を傷つけたことにはならない。むしろその人は、良いことを言ったつもりになるだろう。

「褒めている」という仮面を被った高身長イジリ。
都合よく身長を貶し、都合よく高身長を褒める。
そういう場面が、この頃は何度もあった。

よりによって、なんで女で高身長という面倒な特徴を持ってしまったのだろう。

男に生まれていれば、この高身長は確実に「モテる要素」になるのに、私は残念ながら女に生まれてしまった。

この身長のせいで、こんなに悩んでいるなんて、みんなは絶対に知らない。私も平均身長だったら、どれほど気楽にいられたのだろうか。
私は誰からも恋愛対象とされずに一生を過ごすのだろうか。

頭のてっぺんを押すと身長が縮むという迷信を信じて、家に帰ると両手で頭頂部を押さえつけるのを日課にしていたときもあった。
学校で言われたことを思い出して、自分の部屋で壁に爪を立てながら泣いたことも何度もあった。

同じ能力なら「小さい子」のほうが評価されがち

そんな私の自己肯定感は再びドン底に陥落し、どんどん猫背になっていった。

それでも、やっぱり「ただデカいだけ」にはなりたくない。
学校の成績で上位に居続けられるように勉強し、中学生になって入部したバレーボール部の練習にも打ち込んだ。

ただでさえ「デカい」ことでマイナスな自分だ。
勉強もスポーツもできなくなったら、自分の価値がなくなってしまうのではないかという恐怖心が、私を努力させ続けていた。

でも、どんなに勉強やスポーツができても、私を代表する形容詞は結局「デカい」だった。

毎年行われる体力テストの結果は中高6年間、毎年学年1位だったが、「身長が高いと有利だよね」で片付けられた。
身長が高いだけで、何もしなくても足が速くなるわけではない。
私が体力テストで1位を取り続けたのは、小学生の頃からの習い事や部活で頑張ってきたから。
「身長が高いと有利」という言葉により、私のこれまでの努力がなかったことにされてしまったような気がした。

そして、「すごい」という称号は、1位をとった私よりも、2位をとった小柄な子に与えられたのだった。
たしかに、同じような実力を持っているなら、小さい子のほうが応援したくなるような感じがするは、私も分かっていた。

どんなに頑張っても、私は結局「ただのデカい人」でしかないのだと感じた。

大学時代・社会人

私が変わるきっかけになった出会い

大学生になった私はバレーボールサークルに入り、同学年の175cmの女の子と出会った。

社交的なその子は、「同じ学年に、179cmの子と173cmの子がいるんだよよ!」と教えてくれて、LINEのグループができ、1週間後には4人で遊びに行った。

平均身長174cmの女子会。
私たちはすぐに打ち解け、“高身長女子あるある”は、話し始めたら止まらなかった。

身長が高いことで味わった嫌な思い出が蓄積されていた脳の一部が、なんだかほぐされていった気がした。

そして、男の人から好かれるということからは無縁だと思っていた私に、人生初の彼氏ができた。

彼は身長180cmで、車道側を歩いてくれたり、力仕事をやってくれたり、高いところの物を取ってくれた。生まれて初めての女の子扱いだった。

今まで“かわいい”とは無縁だと思っていた私に、「かわいい」と言ってくれた。
こんな私がかわいいと言われるなんて思ってもいなかった。
彼は私の外見ではなく、内面をよく見て「そういうところが好き」と言ってくれた。

彼の隣にいると自然と背筋が伸びて、ヒールのある靴も選ぶようになった。
彼とは別れてしまったが、彼のおかげで自分に自信を持てるようになった。

高身長女子会のみんなと、彼にはとても感謝している。

高身長も悪くないかも

社会人になり、日々の疲れを癒すために整体に通っていた時期がある。

初めて整体院に訪れたとき、整体師のおばちゃんは私の猫背を見て
「せっかく身長があるのにかっこわるいよ。私だってそれぐらいの身長になりたかった」と言った。
おばちゃんの施術によって私の背骨は猫背とは反対の方向に引き伸ばされ、私はヒーヒー言いながら激痛に耐えた。施術が終わって帰ろうとしても、「ほら、胸張って!頭を前に出さない!」とおばちゃんからの檄が飛んだ。

整体からの帰り道、「私だってそれぐらいの身長になりたかった」というおばちゃんの心からの言葉を思い出して、自然と背筋が伸びた。

社会に出てみると、整体のおばちゃんだけでなく、この身長を心から褒めてくれる人が多いことに気付いた。

何よりも驚いたのは、全ての男性が「小さい女の子がかわいい」と思っているわけではないということだった。

大学生のときに初めて彼氏ができたとき、身長の高い私を好きになった彼はごく少数派の人なのだろうと思っていた。
男性から食事に誘われる回数もそれなりにあり、何人かと付き合ったりもした。身長が高くても、誰かの恋愛対象になることができたということは、大きな自信に繋がった。

おわりに

こうやって幼少期から今までを振り返ってみて、自分の身長についてずっと振り回されてきたように感じる。

私は、「身長が高い」ことが嫌だったのではない。
「身長が高い」ことに対して掛けられる言葉が嫌だった。

自分の身長に自信を持つことができたのは、自分を認めてくれる人や、共感してくれる友人がいたから。

自分の身長が嫌だと思ったのは、からかいや悪意の言葉をかけられたから。
「女の子は小さいほうがかわいい」という風潮があったから。

高身長女子が最近流行していようがいまいが、私が身長171cmの女であることに変わりはない。

「流行」だとか、他人からの言葉に振り回されていたら、心が疲弊してしまう。
大事なのは、他人がどう思うかではなく、自分がどう思うか。

今後「流行」がどうなろうと、他人に何を言われようと、私は自分の身長が好きだと、胸を張って言える。



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