オウム真理教元幹部 井上嘉浩について
私が初めて、オウム真理教元信者の手記を読んだのが、
この本は、井上嘉浩という人間に対して恋に堕ちるような感覚の本だった。
そのぐらい、魅力的な男性が井上嘉浩氏だった。教団内では、中村昇と並ぶプレイボーイと言われた。教団東京青山道場は「アーナンダワールド」と呼ばれ、女性信者の大半は井上の手下だったという。ある女性信者は法廷で「麻原はくそじじいだが、井上は好きで好きでたまらない」と証言している。
「井上教」と称えて、麻原より井上の方を信仰した信者も男女問わずいたようだ。
この本を読み終わった時、どうしてこんな真面目な青年が犯罪者になってしまったのだろうと悲しくなった。
しかし、数年後、逃亡していた菊池直子のブログを読んでいたら、「井上は嘘つき」と書かれてあった。
この本では、
井上は、麻原退治と教団糾弾の急先鋒として、期待の星でもあった。
ところが、そんな金メッキも、時間と場数を踏むにつれて剥げ落ちていく。
どうやら、彼は、正義を振りかざす自分に酔っているだけではないのか──。
どこか英雄気取りのかっこうをつけているのではないか──。
そんな印象に変わっていった。
どんなに、後悔の念を伝えても、真面目に井上の言葉を受け取る人間もいれば、嫌な印象を受ける人間もいる。
私も会った事がないので、本当のところは分からない。
ただ、ただ、真面目な青年が麻原から生死を彷徨うような虐待のような修行を強いられ、どんどん自分で考える力を失い、マインドコントロールされていったのだと思う。
私が思うに4日間も真夏のコンテナの中で断食断水で耐える修行を言い渡され、成功させてしまったりと、普通の人が逃げ出すような事をやり切る根性と精神力が、逆に犯罪者にしてしまった1つではないかと私は思う。
真面目が故に、麻原の事を信じ続け、その上、尊師の事を否定的に思うと、自分は欲を捨てきれてない、ダメなヤツなんだと考えて、より麻原に依存して行った形だと思う。
私も、宗教哲学が大好きで、ありとあらゆる宗教を見聞きする癖がある。私の性格上のめり込みやすいが、飽きやすいので、信仰としては成立しない。
それと、やはりこのオウム真理教事件のおかげで、宗教…人生の保険のようなものだけど、恐ろしいモノだと思うところが、ある意味冷静になれるところである。
井上氏の話に戻るが、彼曰く、自分の弱さが麻原を盲信してしまい、麻原のイエスマンになってしまったと。しかし、彼が逮捕されたのは、26歳。まだまだ社会人としては未熟な時。高2でオウムと出会い、1番大切な人格形成の時に麻原に盲信してしまった事が、無念でしかない。
全ては、人類を救済する為、尊師がポア(殺す)することによって、その人の魂が高い世界に転生する事を信じていたらしい。
京都の名門高校を出て、真面目で頭のいい青年が、麻原ではない違う人間に出会えていたなら、彼の人生はどうなっていたのだろう。
拘置所の中でも、家族や支援者の方々に支えられた井上氏。
私は、その中で、きっと人の暖かさが愛しいと思えただろうと思う。
仏教哲学とか抜きにして、人を愛おしいと思う気持ちだけで良いのではないかと思う。
彼が関わってきた犯罪の中で、亡くなった人々の日常の何気ない幸せを彼らは奪ったのだ。自分の愛おしい人と関われば関わるほど、その被害者の無念さを感じて悔いてほしい。
私の個人的意見だが、麻原以外の元死刑囚達の中で罪を償おうとしている者に本当に死刑にするべきだったのか?
私が調べた結果、麻原以外の元死刑囚たちは、皆、真面目で勤勉な青年たちだったのだ。人間としてのズルさなどある者はいたが、麻原がいなかったら誰一人犯罪者になってなかったのではないか?
本当に彼ら自身、麻原の被害者だと思う。
逃げても、ヤクザのように家族諸共追い回され、本人達もいつ殺されるか分からない現実の中で、麻原の言うこと聞くしか方法が無かったのではないかと思う。
このようなカルト集団がいなくなる事を心より願っている。
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