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知床3日目

今日が知床最終日。予定はない。ただお互い帰るだけ。でも朝風呂とおばばの店でブランチすることだけは決まっていた。

朝、なぜか6時台に目が覚める。移動日だからか、バックパッカーの修正のような。ある意味での緊張を携えて、私は目覚めた。窓からは今日が晴れであることがわかる。

待ち合わせは9時だったけど、なんとなく残像で風呂が9時までだったような気がして確認するとやっぱり9時までだったので和に連絡をする。

私は待ち合わせの時間まで共有スペースの窓辺の席で、目の前の絶景を眺めながら物書きをしていた。放浪記の締切はとうに切れている。

今書いているのはペナン編で絶望的に短いメモしか残っていないので記憶を呼び戻すのが大変だ。

筆が乗る。知床の気候と景色は何かを執筆することに適しているように思う。
途中で昨日の香港人のママがどら焼きをトースターで焼いて持ってきてくれた。溢れる母性。すごい。

1時間くらいして和が戻ってきた。走りに行っていたようだ。肺活量が5000mlもあるらしい。凄まじい持久力だ。私など2000mlくらいしかないのではないだろうか。それは流石にないか。

サウナに入る。今日はサウナハットなし。飛蚊症のせいで日中にサウナに入ると目を閉じた時にそれが網膜に投影されて、チラチラと、蚊というよりは酵母などカビの形に近いもののように映り込む。サウナでは耳が脈打つサインを感じながら、自分の神経がととのうところに達したことを自覚する。水風呂とデッキチェアが外にあり、外気浴ができるようになっている。気温も18℃くらいだろうか。ととのうにはベストだ。

緑と青が目の前にまざまざと広がって、開けている。これでいいのだという声が聞こえる。後で知ることになるが知床はとんでもないパワースポットなのだと思う。確実に運気が上がっている。

風呂で体を清めたあと、準備をしてチェックアウトをする。そして車に乗り込む。最後のドライブが始まった。おばばの食堂へは車で5分もかからない。今日も私は鮭親子丼、和はほっけ定食だ。焼き魚も美味しい。一人暮らしではなかなか魚を焼くことはない。洗い物が面倒な私だけかもしれないが。いくらもなかなか、豊田ではいいものが手に入りにくい。もちろんお金を出せば別ですが。

お腹を満たしたところで、女満別までドライブ。途中でカフェによることにした。チップトマリという海岸線のカフェだ。海辺に面したこのカフェを目指して私たちは移動する。途中で晴れのオシンコシンの滝を見てから。

カフェでは老婦が店の切り盛りをやっていた。元気で滑舌もしっかりしている。もしかしたら想像よりも若いのかもしれないし、想像よりも年齢を重ねているのかもしれない。どちらか分からないが、闊達に目の前に広がる風景が季節によって異なることを教えてくれた。

3月は流氷と蜃気楼
6月の晴れ間は夕陽で海が真っ赤に染まること
鮭が戻ってくれば、くまの家族が目の前を生活圏にし始めること

コーヒーはブレンド。美味しい。風も気持ちいい。波の音がバックミュージック。
和が寝始めた。とある音楽の先生がいったセリフを思い出す。

授業中に寝ている生徒がいた。
周囲の生徒が起こそうとする。
先生はそれを止めてこう言う。

「いい音楽とは人に安らぎを与えるのです。彼は今、音楽を楽しんでいますので、ぜひ起こさないでください」

と。私もそれに習って起こさない。女満別までの時間もまだまだあるし、彼にとっては束の間の休息なのだと思う。彼は今、音楽に代わって人生を楽しんでいる。

彼が出発時間頃にアラームでもかけていたのではないかという精度で目覚める。
私たちは空港に向かう。

きた時よりも、帰りの方が時間が短く感じる。網走からきたからではないですか?と和から。確かにそれもあるかもしれない。道をなんとなく知っているというのもあるかもしれない。まだ帰りたくないということもあるかもしれない。

空港近くのガソリンスタンドに着いた時、バケツの水をひっくり返したような土砂降り。レンタカー屋さんは「こんな雨初めてです」と女満別の号泣を味わう。もちろんいいように捉えているし、科学的根拠はない。

女満別空港ではマンホールが溢れた水で持ち上がって、噴水のようになっている。
私たちの旅もこれでお終い。2024年の春仕舞い。


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