vol.39 感謝と挑戦 【羽生 敦】

(ワタルさんへの言葉なんて、ネタが有り過ぎて1時間もあれば全然余裕。)
(1,500字どころか15,000字くらい送ってくる人も出てくるのでは?)
(長文noteが殺到したら編集が大変だな……。)

……そう思っていた時代が、私にもありました。


いざPCに向かったものの、Wordを開けてからカーソルがずっと同じ位置にいる。
今までたくさん楽しいことを教えてもらったけれど、本当にワタルさんに伝えたい感謝はもう少し深い場所にあって、自分を突き動かしてくれたワタルさんの言葉、現役時代にワタルさんの家で過ごしたもう二度と戻れない時間、今の自分を形作ってくれているワタルさんの考え方、「いや、これはマネしないでおこう」という反面教師的なワタルさんの姿、その全てに有り難さを感じつつも、あまりに膨大すぎてまだまだ自分の中でもよく整理されておらず、今の自分を省みて落ち込まないようフタをしている部分もあり、こうして書けば書くほどチープになっていって、本当に伝えたいことからどんどん遠ざかる 。

「8割方書けました!(書けてない)」
「来週には出せると思います!(出せない)」
「一歩も前に進めません……(本当に進めない)」

思いを募らせすぎて大量発生したワタル難民。
noteが回収できずに自転車操業に陥る幹事LINE。
毎日ゴキゲンにnoteの更新を待つワタルさん。

ワタルさんは、「本当に大切な人への思いを表現するのに言葉は不自由すぎる」という真実を皆に気付かせてしまった。
それでも、大切な人への自分の思いは何とかして言葉にして伝えたい。
何というアンビバレンツ……。


改めてこれまでのnoteを読み返すと、ワタルさんへの思いをしっかり伝えたいという意思が込められた言葉ばかりで、その言葉を届けるための貴重な仕事をさせていただいたことに有り難さを感じています。

皆様、ご執筆いただき本当にありがとうございました。


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ワタルさんへの今の思いは、「感謝と挑戦」です。

ワタルさんへの感謝の思いは尽きません。
大学時代から今に至るまで、そしてこれから先の自分の人生が豊かになったのは、ワタルさんのおかげです。
人としての慎重さと大胆さ、その2つがワタルさんのおかげで養われたと感じています。

ワタルさんと出会った当時の自分は今よりさらに幼稚で、人として真っ当な慎重さを全く持ち合わせていませんでした。
「……と思うじゃん?」に始まるワタルさんとの禅問答は、自分がいかに至らないかを痛感させられるものでした。
少し成長したかと思ったら、また新たな壁を突きつけられ、もう一度自分を省みる、そんな大学時代だったと思います。

10年近く経った今でも、あの時学んだ慎重さに色々な形で支えられています。
「自分が求められている役割は何か」「どんな言葉が一番適切か」「仲間が何を大切にしているか」「どうすればチームのエネルギーが上がるか」「仲間を幸せにするために何ができるか」等、数え上げればキリがありませんが、自分のことを健全に疑って大切なことを慎重に見極めていく習慣によって、少し自分自身に厚みができた気がしています。
3年生のリーグ戦壮行会の時、「羽生も少し人間に近づいてきたな」と笑われたことをなぜか鮮明に覚えているのですが、あの時からもう少しだけ人間に近づいているといいな、と思っています。


ワタルさんのおかげで、僕は健全な大胆さも手に入れました。
主将に立候補したり、新歓で徹底的に新入生を入部させたり、女子ラクロス部で長いことコーチをさせてもらったりと、ワタルさんに触発してもらった大胆さによって、以前の自分の人生では考えられない前向きな行動に至りました。
ワタルさんが体現している「自分が正しいと思うことを、後悔しないよう徹底的にやる」という人としての在り方が、僕に火をつけてくれたのだと思います。この大胆さがないまま人生を過ごしていたら、きっと今頃後悔していたことばかりです。

そして、その大胆さはワタルさんの深い優しさが根底にあってこそのものでした。
「どんなに失敗しても羽生の骨は拾ってあげるよ」と、当時文京区にあった銭湯でいつも伝えてくれていて、その時の僕は(骨になんてなりたくねー!)という思いをグッと飲み込んでいましたが、ワタルさんの優しさから生まれた「自分は一人ではない」という心強さが、他の誰にもない僕だけの原動力でした。
あれから何年か経ち、「バツがついたら関連会社に出向」という半沢直樹の世界に身を置いてしまった僕の骨は今やさすがのワタルさんも拾うことは出来ないと思いますが、それでもワタルさんの優しい言葉は僕の心に今でも残って支え続けてくれています 。

慎重さと大胆さは対局の概念のようで実は奥底でつながっていて、「慎重に自分を疑い尽くして考え抜いた『自分が正しいと思うこと』を心から信じられるからこそ、その信念に沿って大胆に行動できる」ということだろうと思っています。


そして今は、感謝と同じくらいワタルさんに挑戦したいという思いもあります。

「Blue Bulletsを引退した後から、Blue Bulletsより熱いことを自分で見つけるという本当の勝負が始まる」
2013年11月4日、僕が引退した次の日にワタルさんから言われた言葉です。

僕にとっては、熱く輝いていたBlue Bulletsでの時間とは、すなわちワタルさんと過ごして禅問答をして自分を見つめていたあの時間を意味し、
今はもうワタルさんの元から巣立って、骨も拾ってもらえないほど遠くに来てしまったけれど、
今度はワタルさんの力を借りずに、自分自身の力で、あの時以上に心を燃やせる熱い時間を過ごしたい。

そして、ワタルさんの想像を超える魅力的な人間になってワタルさんを驚かせること、それが僕のワタルさんへの挑戦であり、またワタルさんへの本当の恩返しだと思っています。


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本企画は、「お世話になったワタルさんにとりあえず幸せになってほしい」という単純な思いで始めましたが、ワタルさんが予想以上に喜んでくれているとのことを片岡屋で同居する平松くんから聞けて、自分としても嬉しいです。

願わくば、ワタルさんが50歳の誕生日も同じように盛り上がりたいなと思っていますが、その時は今回よりコンプラチェックが少なくなるような10年間の生き方を、また健康な50歳を迎えられるようにタバコや暴飲暴食は控えめでお願いいたします。
もうお気づきだとは思いますが、ワタルさんが楽しめないと、皆が楽しめないので!

30代のワタルさん、今までありがとうございました。
40代のワタルさん、これからよろしくお願いします!

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羽生敦/Atsushi Hanyu

・プロフィール
東大ラクロス部26期 #90
丸の内で半沢直樹を目指しています。

・ワタルさんとの初めての出会い
2010年初夏、めちゃくちゃ暑い農グラでのBチーム練のこと。
2on2GB練に乱入した金髪肌黒タンクトップの年齢不詳なワタルさん。
東大ラクロス部、さすがに懐深すぎだろって思いました。

・ワタルさんとの一番の思い出
小石川のマンションに常駐し、夕食も銭湯もキャンドルナイトも朝飯もずっと一緒にいた学生時代。
夜は色々と新しいことを教えていただきました。
今から思えば意味がわかりませんが、本当にありがとうございました。

・40歳を迎えるワタルさんに一言
感謝カンゲキ雨霰

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