vol.43 渉さん、40歳になる。 と、思うじゃん? 【鈴木 直文】

不惑とは「ダメな自分を、それでも愛せる」こと

あの渉さんが、40歳になるのだという。

いやいや、なんのことはない。

通過してみた人間に言わせれば、別にそこから突然「中年」になるとか、惑わなくなるとか、そんなハッキリした節目ではないですよ。

けど、やっぱりちょっと気をつけた方がいいのは、そろそろ体力は落ちるし、厄年は目の前だし、自分のモードをちょっぴりアジャストしなさい、って、身体が囁いてくるタイミングが、忍び寄ってきてることは確かみたい。

ワッティー、そこは気をつけてね。


コトバはグサリと刺してナンボ

さて、渉さんが40歳になることをみんなで盛大に祝うんだって聞いて、自分の40歳の誕生日はどうだったっけ?って思い返してみた。

あんまりハッキリした記憶がない。たぶん、人生で初めて自覚的に経験する本格的な鬱の真っ只中だったからだ。実はこれを書き出した時も鬱真っ只中で、いまはようやく抜け出しそう。もはや季節モノだと諦められるけど、当時は出口がみえなくて辛かったなぁ…

40を境に僕のところにやって、なかなか出て行ってくれないこの厄介なトモダチは、名を「双極性障害」という。自己診断だけど、たぶん間違いない。自分に出来ないことはないという圧倒的な全能感と、どうにも心と身体がいうことをきかない抑鬱状態が交互にやってくる。躁のときに調子に乗り過ぎるほど後が辛いのだが、いわばゾーンに入ってる気持ちよさに抗えないから、大抵の鬱期はズドーンと重くて辛い。

こんな自分事を吐露しているのは、思えば10年以上前に渉さんが僕に言ってくれた、グサリと刺さる一言に関係するからだ。

「あなた、自分が波のある人間だって自覚した方がいい」

2008年。Blue Bullets Supporters Associationを立ち上げて、はらけん、玄間、岩村と、外野から面白いことを仕掛けていこうと、画策していた頃だ。

自分では思ってもみなかったけど、そう言われて振り返ってみれば、なるほど、自分は昔も今も波だらけだった。ガーッと馬力を出して人を巻き込んでおきながら、気の乗らないときは徹底して何も動かない。そんな僕の悪癖を、ズバリと突いてくれたのだった。

そんな自分では気づかない僕自身の本質を、心に刺さる言葉で正面から伝えてくれる存在は、僕にはなかなかいない。あらためて、そんな渉さんの存在を大事にせねば、と思う。


茶髪ピアスのバカヤロウ

ところで、僕は安西渉というひとに、二度(いや、三度かな?)出会っている。

一度目は、ヘッドコーチと選手として。4つ違いだから、本当は渉さんが一年生のときに出会っているはずなのだけど、僕の記憶の中の安西渉は「ラクロスに真剣じゃないチャラチャラした2年生」から始まっている。(そういう僕も当時は練習後に幹部と雀荘に直行していたのだから、ロクなHCじゃなかったが…)

忘れないのは、たしか3年生になった「安西」が、ランニングシュートのメニューで、スィープじゃなくアリー(意地でもブルとは言わない)方向に走ったとき、僕が声を荒げて、マーカーにしていたコーンを蹴っ飛ばしたこと。当時から盛り上げ上手の安西が、楽しそうに威勢よく、先頭を切って走り出した矢先だった。

そのメニューは、当時アメリカから呼んでいたRon Hebertコーチが導入してくれたもの。ランシューといえばアリーしか知らなかったBlue Bulletsが、スィープという概念にはじめて出会った画期的メニューだった。若造HCにはそんなことがなによりも大事に思えたのだったが、あんまりHCと直接関わることのなかった安西はきっとビックリしたのだろう。怯えたような困惑した目で見つめ返されたことを、なぜか鮮明に覚えている。

そんな安西は、タレント豊富な同期の中で、きっとなかなか試合に出られないだろうと思われた。コーチを辞めて、一OBとして観に行った、彼が4年生のときの立教戦。試合終盤にATで登場した安西は、絵に描いたようなファーストブレイクから、同期の出世頭の1人だった関田からのラストパスを、左手のクィックで綺麗に決めた。バンザイする安西。駆け寄って抱きつく関田。蜂の巣をつついたようなベンチ。あの光景に、チームメイトとしての彼の存在感が、ありありと見て取れた。選手をラクロスの実力だけで選別していた当時の自分が、いかに狭量だったかを思い知らされた瞬間だった。

その後も思い出はあるのだけど、二度目の出会いへ急ごう。


BBSAという啓示、ワタルさんという鏡

そんななんとなくギクシャクした「ヘッドコーチと3年生」のままだった僕らの関係は、2008年を境に激変する。BBSA。欧州サッカーに感化されたイギリス帰りの僕の荒唐無稽な提案を、鮮やかに形にしてくれるパートナーが、渉さんだった。(正直、あれが一番楽しかったね、渉さん。)この二度目の出会いを経て、僕らは切っても切れない「悪友」になっていく。(そう呼べる人は、僕には渉さん以外にいない。)

三度目の出会いは、時間的に連続している。でも、意味の上で不連続だ。2010年末。2010シーズンにBBのGMになり、豪華コーチ陣と一緒にチームの立て直しに乗り出した僕は、その一年を牽引した畝川TD&飯塚HCの19期黄金コンビを失い、路頭に迷いそうになっていた。でも渉さんは「そこにいた」。いてくれた。なんと心強かったことか!

そこから丸3年。渉さんは僕の「鏡」であり続けてくれた。自分が投げた朧げな光を、くっきりと具体的な像で返してくれる人。貰った言葉は数知れないはずだが、ほとんど同人格かのごとく言葉を交わし合っていたから、どちらがどんな言葉を誰に向けて発したか、判然としないほどだ。

僕から出る抽象的なビジョンを、具体的な次の一歩にしてくれるのが渉さん。僕の発言にケムに巻かれた現役幹部に、噛んで含めるように「翻訳」して伝えてくれるのが渉さん。立場は毎年ちょっぴりずつ変わったけれど、渉さんが居なかったら、あの3年間はきっとどうにもならなかった。

僕にとって、二度目と三度目の出会いを分かつものは、何だったのか。きっと二度目は、目的のために結びついたビジネスパートナーとしての出会い。そして三度目は、絶対に最後まで寄り添ってくれる、同志としての出会い、だったのだろう。


ハーバーライト

思えば、渉さんの側を通り過ぎていくみんなにとって、「ずっとそこにいくれる」ということが渉さんのワタルさんたる所以なのではないだろうか。例えるなら、母港のようなもの。いつでも戻れる場所。そこでなら、自分らしい自分に立ち帰れる場所。もちろん、僕にとっても。

そんな渉さんの発した言葉で、忘れられないものがあと2つある。1つは、2013年末。14BBの立ち上げに当たって、僕らはまた次の1年のビジョンを作ろうとしていた。既にHCとしてコミットした僕。前年に続いてGMのはずだった渉さん。僕は渉さんを問い詰めていた。

「渉さんには、BBをどうしてもこういう風にしたい、っていうビジョンが、何かないの???」

僕は焦っていたのだろう。「5年でBBを常勝チームにする」と豪語してGMに就任して、ちょうど5年目。まだ一度も、日本一はおろか関東も獲れていない。GMを引き継いでくれた渉さんには、僕以上に野心的なビジョンを持っていて欲しかった。

「あー… それ、僕にはないですねぇ…」

それが渉さんの答えだった…

がっかりした僕は、最良のパートナーであり、絶対に裏切られることのない同志だった渉さんに、GMを辞し、チームを去って貰うという決断をする。

その後僕自身も、二度、チームを去る経験をすることになる。いずれも、これからのチームを担うGMと、僕のエゴがぶつかってしまったから。

いつのことだったろうか。渉さんに言われ、グサリと刺さり続けるもう一つの言葉。

「うどさんもそろそろ、一歩引いて若者の成長を見守る気持ちでやったらどうですか?」

と。血を滾らせて、ありのままの自分を選手や若いコーチ陣にぶつけるしか能のなかった僕は、その言葉にとても戸惑った。「僕にはそれは出来ないし、そうすべきじゃないと思う」という趣旨のことを、返答したと記憶している。

尊敬する飯塚HCが、共に狂奔した金井主将の、神々しいお父さんに言われたという「飯塚君は、子どもが出来たらもっといいコーチになれるよ」という言葉ともシンクロし、ラクロスコーチとしての僕を揺さぶり続けた言葉だ。

この2年、成蹊で外様として学生チームに関わるようになり、その意味がようやく腹落ちしてきた感じがしている。

若い人たちの「アンカー」として、そこに「ただいる」こと。自分の価値観を押し付けるのではなく、彼ら自身の大事にしたいものを大事にしようとすること。それが彼らを一番大きく早く、花開かせることになる。「教える」ことを生業とする僕には、幾度も立ち返るべき原点のひとつだ。(渉さんほどの腹括りは、到底出来ないけれど…)


安西渉よ、どこへ行く?

そんな渉さんは、僕より一足先に、他大学を長期的に強くすることにコミットした。どこにもいかないはずの「ワタルさん」は、どこかに行ってしまうだろうか? と、思ったら、そんなことなかった。東京港が京浜工業地帯になったようなもので、渉さんという港から旅立っては返ってくる若者は、ますます増え続けている。

でも、なんとなくだけど、渉さんは渉さんで、実は静かに航海に出ているのではないか。一見、港だと思ったけど、実は巨大な航空母艦だった、みたいな。しずしずとして押し付けがましくないし、あまりに大きいから気づきにくいのだけれど。(そうか、白髭海賊団の船長は、実は渉さんにこそふさわしかったのかな、もしかして。)

今度渉さんに訊いてみよう。渉さんは、この特大家族の船団を率いて、どんな景色をみようとしているの?って。たぶん、息子たちみんなが、それぞれにみたい一番いい景色を、みてくれたらいいんですよ、みたいなことを言うんじゃないかな? でも彼らが戻ってくる度に、母港だか母艦だかからみえる景色はどんどんワクワクするようになっていて、だからみんな次はもっと遠くまで行ってみたいって、思わされてしまうんだろう。僕も、たまに現れて場をかき乱す親戚のおじさんとして、渉さんがみせてくれる新世界を、垣間見続けさせて貰おう。

渉さん、誕生日おめでとう!


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鈴木直文/Naofumi Suzuki

・プロフィール
東大ラクロス部 10期
ラクロスおじさん

・ワタルさんとの初めての出会い
覚えてない…

・ワタルさんとの一番の思い出
「ぼっかすか」での、夜。

・40歳を迎えるワタルさんに一言
これからも一緒に悪いことしましょう。

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