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そして彼女は、誰もいない部屋へ帰る


 神様がお膳立てしたような夜だった。
 僕と、ユカは、とぼとぼと夜の道を歩く。
 同窓会で、10年振りぐらいに会う二人。まだ学生の、洟垂れ小僧だった頃に、付き合っていた。
 手さえもロクに繋いでない。本当に洟垂れだった頃の話。
 田舎で行なわれる筈だった同窓会は、勤めに出ている人間の多さを考慮して、街で行なわれた。
 半分、どうでもいいと思っていたはずの同窓会。集合場所が田舎だったら不参加だったろう。
 どうでもいいような大衆向けのバーに、死んだ奴以外の、ほぼ全員が集合する。ユカの存在を忘れていた訳じゃない。だけど、そんな想いが懐かしさ以外にこみ上げて来るなんて、僕は思ってもいなかった。
 少し遅れて来たユカを見た瞬間に、心臓が締め付けられる。今にして思えば、あの時、何故別れたのか。
 洟垂れなりに一所懸命、彼女の事が好きだった。勿論、別れたくなんかなかった。でも、変わっていく環境が、ユカと一緒にいることを許さずー、いや、社会人になって随分と経った今、思えば、あの頃の僕は本当に洟垂れで、ユカと一緒にいる勇気がなかっただけなのだ。
 そして多分、ユカにも、僕と一緒にいる勇気がなかった。
 ユカと目が合った瞬間、自分を苛み続けた後悔の念と、今になって気付くユカへの想いが再燃する。
 正直に言えば、なんとも都合のいい話だ。この十年で、ユカの事などほとんど忘れていたのに。今この瞬間、この同窓会へはユカに会う為に来たような気にさえなっている。
 こんな馬鹿な事を思っているのは自分だけだ。ユカはきっと何も感じていない。僕は自分にそう言い聞かせ、平静を装った。
 表情を塗り固める。だけど、不自然に視線がユカを追う。そして、ユカの視線へと絡み付く。
 同窓会もたけなわを過ぎ、一人欠け二人欠け。いずれほとんどの人間が酔い潰れるか、帰宅するかした。
 未練だろうか。それとも、いまだに自分で決断出来ない洟垂れのままなのか。僕は、ユカがいなくなるまで、その場にいる事にした。
 気付かれないように何度も、ユカへと視線を飛ばす。なのに、ユカの目線が僕を捉えているような気がする。
 そんな事を繰り返しているうちに、僕とユカ以外の人間は、ほとんどいなくなっていた。
 「ケイコの介抱してたら、電車なくなっちゃった」
 今日、初めてユカが、僕に話し掛ける。まともに言葉を交わすのは10年振りだ。
 「タクシーで帰るの?」
 「んん。ここからそんなに遠くないんだ。一駅だから、歩いて帰る」

 僕は、ようやく確信した。ユカと視線が絡んだのは、偶然なんかじゃない。それが10年間思い続けたことなのか、数時間前に沸いた勘違いなのかはわからない。だけど多分、僕とユカは、同じ想いでいる。
 「だったら、送るよ」
 「ありがと」

 こんな台詞が吐けるようになっただけ、僕は洟垂れ小僧から成長したのだろうか。そして、笑顔で答えるユカも。
 酔いつぶれている同級生に耳打ちし、僕たちは店を出た。
 そうして僕たちは、夜の道をトボトボと歩く。
 他愛もない話をする。何処か不自然だ。不自然なまま、お互いの気持ちを確かめる。
 「へえ。今、そこに住んでるんだ。じゃあ、ウチの方が近いな」
 「えっ! 何処に住んでるの?」
 「○○町」
 「あんまり変わらないって言うか、ご近所さんだったんだ。知らなかった」

 僕は他愛もない話を続けー、いや、頭の中ではどうやってユカを口説こうかと、必死にプロットを練っている。そして、考えた傍から実践中だ。
 家の方向が同じだったので、先に、自分のマンションに到着する。これも、予定通りだった。
 「今は、ここに住んでる」
 「わ。立派なマンション。部屋も広そうだね」

 何故だろう、ユカの行動がすべて読みとれる。何故だろう、ユカの気持ちが手に取るようにわかる。
 「部屋、見てく?」
 「なに言ってるのよ」

 ユカがそうやって笑って流す事も、最初からわかっていた。
 「寄ってけよ」
 僕は、声のトーンを下げて言う。
 ユカが、一呼吸の後に答える。
 「ごめん。ウチで彼が待ってるから」
 僕には、その言葉が嘘だと、読みとれる。もう一言、「いいから寄って行け」と言えば、ユカが黙って頷くことも、全部わかっていた。
 僕はあの時の洟垂れ小僧ではない。
 僕には、あの時出せなかった勇気を持っている。
 単に、小利口に、こずるくなっただけかも知れない。だけど僕は、どうすればこの恋が実るかを、充分に理解していた。
 だから、僕は口を開いた。
 「それは、残念」
 「うん。もうココからなら大丈夫だから、そのままマンションに入って」

 僕にはまだ、ユカを口説くチャンスがあった。そしてユカも同じく、恋人が待っているはずのない家まで、僕を連れて行けた。
 「おやすみ。気を付けて帰れよ」
 「大丈夫よ。おやすみなさい」

 ユカの姿が、闇に融けるまで、僕は動かずに見送る。
 僕はあの時の洟垂れ小僧ではなかった。まだまだ洟垂れには違いないのかも知れない。だけど、あの時より、少しは成長している。
 あの時、僕は、出来たはずの事を、しなかった後悔を抱き続けた。
 だから今夜は、出来たはずの事を、しなかった勇気を抱いて眠ろう。
 10年の間、いつだってユカと会う事は出来たはず。だけど僕は10年間、そうしなかった。
 今夜、10年振りの恋なんて、きっと幻想だから。


(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。