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ガリガリ博士


 喫茶店に行くのが好きである。
 いや、正直に言うが、喫茶店が好きなのではない。
 氷が好きなのだ。
 氷と言っても、カキ氷とか、アイスクリームが好きな訳ではなく、喫茶店で必ずと言うぐらいに出て来る、氷水が好きなのである。
 底の方が小さくなって、スタック出来るような強化ガラスの、あのコップで出て来る氷水がたまらなく好きなのだ。
 グルメを自称する友人は、それを否定する。まず水が美味しくない、と。
 確かに、多くの場合は水道水をそのまま注いでいる。少し気の利いた店では、レモンの皮を放り込んでカルキの臭みを誤魔化したりもしているが。
 違う。
 まったくもって理解に苦しむ。あれはカルキの臭いがあってこそのものなのだ。レモンなどもってのほか。
 氷についてもそうだ。冷凍庫の臭いがするとか、水道水を凍らせると良くないとか云々。
 わかっていない。
 霜の味を感じる事が出来ない舌が美食を語るなんて。ちゃんちゃらおかしいとはこの事だ。
 氷室から買うクリアな氷などの何処に味気があると言うのだろう。
 強いて言うなら、水は、ポットがたっぷりと汗をかいているのがいい。
 ポットの水を入れ替える店はような駄目だ。何度も氷と水を注ぎ足した状態なら、なお良い。
 氷は、溶けていないと駄目だが、溶けすぎても駄目だ。
 角が取れ、透明感が増し、それでも丸くなっている状態が最高。
 それを、口の中一杯に頬張って、ガリガリと噛む。
 至福の時だ。
 妻はそれを見て、みっともないからやめてと言う。
 意味がわからない。たくあんを齧れば音がするのは当たり前だ。カズノコの音が好きだとかのたまう同じ口で、行儀が悪いと言う。
 奥歯でガリガリと氷を砕いて、欠片になるまで噛んでから飲み下す。噛みすぎてもいけない。
 欠片から溢れ出す、溶け出した水分。口の中で香りが膨らむ。冷たさが頬を刺す。
 喉を通る冷気。内臓を通過する痛みにも似た感覚。
 この歓びをわからないなんて。
 それとも何か? みんなその歓びを内側に隠しているのか?
 氷水に至福を感じる人間が多いか少ないか。私にそれはわからない。
 だが、同じ快楽を求めている人間が多いことを近頃知った。
 最高の喫茶店を見つけたのだ。
 まあ、喫茶店自体の評価をするなら、中の下と言った所だろうか。
 定番ながらの、のびたナポリタン。
 具のない、辛くないカレーライス。
 ピラフと言う名の醤油焼き飯。
 店主の愛想がいい訳でもなく、裏通りにしては値段も安くはない。
 だが、氷水が最高だ。
 どういう訳か、氷が多くて、水が少ない。
 そして、氷は最初から角がない。
 だが、それは絶妙なバランスなのだ。
 なるほど、氷水に関してはかなりうるさいつもりだったが、水と氷の量と言うあまりにも大きな部分を見落としていた。
 それに気付かせてくれただけでもこの店は評価に値する。
 そして、ここの氷水は美味い。
 氷を噛んでも、ガリガリといわせても、誰も嫌な顔一つしない店内。店主も、客も。
 それどころか、昼時でさえ満員にならない数少ない客のほとんどが氷を食べて帰る。無論、ガリガリと音をさせて。
 ある日、会議でずれ込んだ昼食を済ませようとその喫茶店へと寄った。
 ヒマだったのか、店主が椅子に座ってぼんやりと流れ続けるTVを眺めながら、氷を噛んでいた。
 トンカツ定食を注文する。
 店主は氷をガリガリと言わせながら、返事もせずに調理を始める。
 出て来たカツは揚げ過ぎて、端の方が焦げていた。
 だが、氷水は変わらず最高だ。
 私は氷を噛む。
 ガリガリと、ガリガリと。
 ガリガリと、ガリガリと。


 ※ 20年以上前に書いた短編。この小説は無料ですが、氷食症の方は投げ銭(¥100)をお願いします。作品と筆者の味覚は必ずしも一致しません。だいたいガリガリじゃなくてボリボリだろ。ボリボリ。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。