コンプリート癖
皆さん、こんにちは。コンプリート癖が完璧にインコンプリート。木賃ふくよし(芸名)です。
本日は皆さんに、素晴らしいライフハック術を伝授したいと思います。
それは、
コンプリート癖を
捨てたら楽になれる。
って事である。以上。終わりです。
はい。このまま記事を終わりたいところですが、たぶん怒られる気がするし、コレで投げ銭(¥100)を要求するのも気が引けるので、ダラダラと解説して行こうと思います。
人間、とかく男という生き物は「コンプリート癖」を抱えている人が多いように見受けられる。
わかりやすい話、シリーズ物に手を出してしまうと、
全部揃えないと
気が済まない感じ。
(´・Д・)」 アレをね? とっとと捨てろって話です。
わかります。わかりますとも。ワタクシも昔はそうでした。本棚にコミックスが並べられているんですよ。
1、2、3、4、5、6、8、9、10
(´°皿°)」 気持ち悪い!!
(´°口°)」 7巻はどうした7巻は!?
しかもコレ、自分の本棚ならまだしも、しまい目には本屋の陳列を見ても感じたりする。
食玩の全12種類+シークレットを揃えないと気が済まない。わかる。わかるよブラザー。
でもね? コレを捨てるだけで、
(´・Д・)」 一気に
生きやすくなるんだよ。
特にワタクシは小説が大好きで、気に入った作家は著作を全部揃えないと気が済まなかった。
角川出版の片岡義男だけで50冊は超えてた。
当然、50冊もあればハズレの作品もある。それでも買ってた。絶版のものもあるから古本屋巡りをして買った。
1から順に買えればいいが、そうもいかないので歯抜け状態が続く。そのうち間違って、もう持ってる本まで買ってしまう。
ん? 中身を読めよ?
(´°Д°)」 読んでるよ!
多作の作家で本の中身が似てるなんてよくある話だろ!?
新海誠がずっと「何らかの壁に隔てられて会えない男女」の話しか作らないのと一緒だよ!
しかも片岡義男の場合、洒落た短編集ばっかりだぞ? 漫画で言えばわたせせいぞうだぞ? 50冊もあって、区別がつくと思うなよ?
あまつさえ、再収録の作品とかもあるんだぞ? もう読んでるから持ってるとは限らないんだぞ!?
おっと。それ以上いけない。
コレではまるで片岡義男を貶してるようだ。違うからな。好きじゃなかったら50冊も買わないし、読まない。正直に言うと最後に買った数冊は積ん読になってるけど。
あと、片岡義男は小説家やエッセイストとしての物書きだけでなく、写真家としても知れられている。
一応、評論を読む限り、カメラの腕前はセミプロ級らしいが、ネームバリューなのか何なのか、写真集も出版していたりします。
ただまあ、写真やカメラに明るくないワタクシの個人的意見になりますが、
(´・A・)」写真、
下手なんじゃね?
なんてーか、被写体はイイんだよな。センスがいい。なんか片岡義男ワールドを画にするとコレなんだな、って感じがする。素敵なのよ。少なくとも何度か映像化されてる片岡義男小説の映画とか観るよりは、よっぽど片岡義男世界なんだ。
※ 角川映画は良い出来とは言えない。例外のアニメ作品となる「ボビーに首ったけ」は実に惜しい出来。良い部分は沢山あるのに、悪い部分が多すぎる。
なお、ラジオドラマなんかは実に良い出来だったと思う。
で。確かに本人が撮ってるからかも知れないが、写真は片岡義男の世界を写し出している。そこは間違いないけど、ぶっちゃけ、
(´・A・)」写真、
下手なんじゃね?
と思ってしまうのである。いや、写真集も買ってるから言うんだけど。深度とか画角とか、プロの写真家としては、
(´・A・)」写真、
下手なんじゃね?
と言わざるを得ない。あ、いや。それ以上いけない。コレではまるで片岡義男を貶しているようではないか。いや、貶してるのか?
いや、今回は片岡義男を例に出したからアレな感じであるが、途中で気が付いたのである。
ワタクシは片岡義男の小説が好きなんであって、彼の写真が好きな訳ではないと。
彼の写真集に労力と財力を費やすぐらいなら、小説を二度三度と読み返す方が有意義ではないか、と。
例えば、ワタクシの好きな小説家や漫画家の多くはツイッターのアカウントを所持していたりする。しかし、ワタクシは特に彼らをフォローしていない。理由は同じだ。
作家の作品が好きなだけであって、つぶやきが好きとは限らないのである。
無論、つぶやきが面白ければフォローする事もあるが、逆につぶやきの内容が残念だったりすると、場合によっては作品を素直に楽しめなくなる可能性もあるのだ。(なるべく作品と作者の人間性を別に考えるようにはしてますが)
まあ、少し話がズレつつあるので戻すが、コンプリート癖はメリットとデメリットのどちらが大きいかを考え直してもらいたいのである。
制覇 達成
完遂 征服
なんとも甘美な響きである。わかる。だが、そこに何が待っているか、考えて欲しいのだ。ドラクエのレベル99まで育てるのも良かろう。しかし、育てて何が得られる?
誤解しないで欲しいが、その行為を否定するつもりはない。本人が楽しいのなら、何一つ否定する気はないのだ。
ワタクシは基本的にソシャゲと言うものをやらなくなった(※英語物語を除く)が、世の中には、ソシャゲやガチャを馬鹿にする人もいる。
だが、ワタクシはまるでそう思わない。
ソシャゲなんて
サービス終了で
何も残らない。
ガチャで
激レアを引いたって
現実には何も得られない。
そんな声をよく聞くが、快楽と引き換えに金や時間を費やしてるんだ。何の問題があるんだ?
脈もないのにキャバクラに通うのとどんな差が?
食ったら終わりの料理に金を費やすのは? 1シーズンしか着られない流行りの服を買うのは?
トータルで負けが込んでるのにパチンコに行くのは?
(´・Д・)」 全部一緒だろ。
だから、ワタクシはそれ自体を否定しない。ただ、制覇した先に得られるメリットが、制覇するまでの労力に見合うのかどうかを、今一度考え直して欲しいだけなのである。
別にコンプリートが悪いとは思ってない。ただ、そのコンプリート癖に振り回されて、損してる人を多く見かけるだけの話だ。
その点、今のワタクシは冒頭で述べた通りに、コンプリート癖が完全に不完全なのである。
全てを揃えてもいい。揃えなくてもいい。揃わなくてもいい。揃っちゃってもいい。今回ばかりは何が何でも揃える、でもいい。
要は「こうしなきゃならない」という謎の縛りをなくすだけの事である。
「完璧じゃなくていい」 そう考えるだけで、生きるのがすごく楽になるぜ?
コイツを応用して考えると、
(´・Д・)」 仕事とか、人間関係も
コレで考えると、一気に楽になるぜ?
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。