県民性バイアス


 皆さん、こんにちは。ケンミンっつったら、焼きビーフンのケンミンでしょうが!! 木賃ふくよし(芸名)です。
 もう、この発言が既に県民性を表してますね。ええ。

 そんな訳で本日は県民性のお話。
 ワタクシは京都生まれ、兵庫育ち、京都在住25年って所ですが、自分のアイデンティティは「兵庫人」です。別に京都や兵庫に強い帰属意識を持ってる訳でも何でもなく、単に自分がどっちかと言うと兵庫人だな、と思うだけですね。
 例えばワタクシは昭和生まれで、自分のアイデンティティは「昭和人」な訳ですが、生きてる時間は「平成」の方が長く、下手に長生きしちまうと「令和」の方がギリギリ長くなる可能性さえあります。

 てか、「平成生まれ」の大半でさえ、「令和」の方が長く生きる可能性がある。無論、年号次第だが、システム上、年号は長期と短期を交互に繰り返す性質があるので、大半の平成生まれの大半は令和に生きる事になるのだ。

 ワタクシは昭和よりも平成を長く生きている。しかし、自分が当たり前のように育ったのは昭和であり、人格を形成した時代は昭和なのだ。
 だから、ワタクシのアイデンティティは「昭和」であり、成人までの主な時間を過ごした「兵庫」なのである。だからと言って、そこに特別な思い入れがある訳ではない。
 ワタクシの帰属意識は「自分4」>「両親3」>「日本2」>「関西1」で、兵庫や京都に関して特に思う所はないのである。

 しかし、そんなワタクシでさえも、TVでネタにされるような「いけず文化(陰湿な意地悪)」な京都という報道にはいささか憤りを感じるのだ。

 京都に住んで25年ほどになるが、「絵に描いたような京都人」なんて年間で1人ぐらいしか出会わない。普通に観光したり、街中で普通にマンションで暮らしたりする分には、まるで関係ないのである。

 ※ 上昇志向が強いとか、社交性を求めるとか、仕事柄付き合いが多かったりすると出くわす率は跳ね上がる。

 TVで噂されるような典型的な京都人は、もはや絶滅危惧種である。そりゃ他府県に比べると少々面倒な所はあるかも知れない。しかし、それをイケズとしてしまうのはあまりにも側面的であり、考えようによっては、日本人が持つ

 奥ゆかしさ

 だとも言えるのだ。
 それに、京都人は洛外を京都だとは認めない、なんて言うけれど、そんなのはどの県でも聞く話だ。
 神戸の人間は「神戸〜芦屋」ぐらいしか神戸だと思ってないぞ。神戸市西区は神戸じゃないと思ってるぞ。てか、神戸以外の兵庫人は「神戸だけが神戸」って思ってるし。尼崎は大阪だと思ってるし。北部なんて兵庫県でさえないと思ってるし。
 滋賀県なんて琵琶湖に分断されてるから、東西南北でそれぞれ文化圏が違うし。
 岡山なんて岡山と倉敷しかないからな? ギリ津山。
 ぶっちゃけ奈良なんて奈良市だけが奈良で、それ以外は山だからな?

 ワタクシは関西以外には住んでないので近畿周辺ぐらいしかわからないが、同じような話は愛知県と静岡県でも聞く。記憶に残ってる限り、長野でも新潟でも秋田でも聞いたし、全国どこでもそんなもんだと思ってる。京都だけが特別ではない。

 それに、嫌がらせが陰湿って話があったりもするが、人の繋がりが濃い

 田舎はだいたい
 ぜんぶ陰湿だよ。


 内輪には優しいが、外様には厳しいなんて、閉鎖的な村社会では普通の話だ。京都に限った話ではない。頑固で厄介な爺さんや、怒鳴り散らすおっさん、面倒でねちっこい婆さんなんて何処にでもいる。
 「京都人はイケズ」なんて思い込みがあるから、どの県でも出くわすのに、京都だけ印象に残っているってケースがどれ程多いのだろう。

 だいたいワタクシは、兵庫県の西部である播州で育ったため、京都は随分とお優しい、そしてお易しい土地だと思うのだ。


 播州。兵庫県の西部。

 西部。それはまさにウエスタンの世界。


 モラルなき蛮族に、秩序なき無法者が暴れるデンジャラスゾーン。それが播州、いや、蛮衆なのである。
 あまり知られていないだけで、播州の恐ろしさは京都のイケズなんて目じゃない。世間は神戸だけを見て「兵庫県って素敵よね」的なことを言うが、神戸はむしろ例外だ。てか、そもそもリアルな神戸はオフィス街で、「素敵ね」って言われてるのは三宮と元町だけの話だろ、と。

 だいたいお前ら外国人が「オーウ! ニッポン! スシ、サムライ、天プラ、ニンジャ! フジヤマ、ニンジャ、神戸ビーフ!」とか言われたら、「いやいやいや」とか思うんだろ?

 神戸がオシャレで、京都がイケズ、大阪は吉本〜!! なんてステロタイプなイメージを抱くなよ!! だいたい合ってるけど!

 別に名古屋人は、みゃーみゃー言いながら味噌カツばっかり食ってる訳じゃないし、
 播州人は素麺ばっかり食ってる訳じゃないぞ! 夏の主食が素麺なだけだ!

 知り合いのモンゴル人には、「日本人はみんな、モンゴル人ってゲル(フェルトの家)に住んでるの?って聞いてくるけど、その質問もう飽きた! ウランバートルの写真ぐらいネットに幾らでも転がってるでしょ!? そもそも日本人、モンゴルと内モンゴルの違いがわかってないし!」って言ってたし、人類はそろそろ、バイアスを取り除いて考える必要があるのではないかと思う次第である。

 ワタクシは「仁義なき戦い」というヤクザ映画が好きだが、広島人が全員ヤクザだなんて事は思っていない。
 念のため、広島住まいのYさんに、「広島って別に、目に見えてヤクザが多い訳ではないですよね?」と質問したところ、


 「少なくとも

 石を投げたら、当たったのがヤクザだった

 って事はないですね」


 そう。その通りである。これぞ理想的な答えだ。大阪人だからって全員が全員、話上手な訳でもないし、大阪人だからって、全員がたこ焼き機を持っている訳でもないのだ。←持ってる。
 って感じで話を締めようと思ったら、その場にいたIさんがこう言った。


 「いや、投げた石がヤクザに当たっていたら、

 生きて帰って来られないので、

 "ヤクザに当たらなかった人"だけしか

 生き残っていないと言う、

 生存バイアスが

 掛かっているのでは!?」



 (´°Д°)」 確かにそうかも知れないが、それはそれでものすごいバイアスである。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。