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みんなで幸せになれない理由

誰かが幸せで
誰かが幸せになれない理由
それはみんなが同じ人間でできているからだと思う
つまり世の中には限りがあって
でもみんな同じ人間だから趣味趣向も似通ってしまう
結局選択と取り合いになる

誰かにお礼を言っているとき
誰かがその背中を向けられている

例えば美味しい料理を食べられる人と
食べられない人がいたとする
食べられるほうが幸せで
食べられないほうが不幸せ、となる

この状況で両者が食べられるようになれば
それはみんな幸せといえる

じゃあ量を増やせばいいのか
でもそれはできない
限りがある

もしくは
片方が別のものを美味しいと思えるならば
取り合いにはならない
でもそれも趣味趣向
誰かの匙加減で変わるものじゃない
本人の意思でそんなことしたら
それは妥協であって
幸せではない

仕事もそう
人付き合いもそう
なんでもそう

みんながみんな
違うものに目を向けて
それを幸せと思えたなら
取り合いにもならなくて済むのかもしれない
でもそれはつまり
周りに誰もいないということ

比較できないと
それが幸せかどうかもわからない

人間てマイナスは1からすぐ気づくけど
プラスは10とかちょっと大きくならないと
気付けないんだとおもう

普段当たり前と思っていることが
ある日幸せなことだと気づけたり
それってマイナスを知ってるから成立するわけで
そのマイナスってどっからきてるかというと
誰かのプラスなわけで
というわけでわけで

もしも一人一人が別々の惑星にすんでいて
毎日毎日求めたものが出てきて
苦しまずに死んでいけたなら
それは幸福か?
というか
それって人間か?

熱いと冷たい
重いと軽い
好きと嫌い
比較して
実感する

社会があっても無くても
たとえジャングルでも同じことだと思う

幸せや平和は長期的な表現じゃ無くて
瞬間のことを指して
そう言うのかもしれない



じゃあもしそう言う問題が全てクリアされたとして
人々は本当に
みんなが幸せな世界を求めるだろうか?
というより

そう言う世界は本当に幸せなのか?

現実問題不可能という側面を
魔法でも科学でもいいから
解決したとして
求めるものが手に入り
いらないものから守られる生活が
果たして本当に幸せなのか

やはり比較しないと
それが幸せとは感じられない

生まれてからずっとそう言う生活をしているなら
その状況で幸せを求めることになるし

その生活の中には
人間の意志が無い

求めれば手に入るなら
遊びも無くなる

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誰でも買う

いろんな選択肢を吟味して
1番自分を幸せにしてくれる
あるいは不幸にしない択を選ぶ
それが感情と思考で生きる人間の幸せに繋がっていると思う

もちろん
生まれてからずっとそんな生活をしていれば
それがベースの考えとなるわけだから
その世界を拒否したりとか
考えもしないのかもしれない

少なくとも
今このぐちゃぐちゃで
みんなが言いたい放題言ってる世の中で
全員が幸せになれる世界を欲するかどうか考えたとき

自分はいらないなと思う
欲望を満たしても
心が折れたり曲がってたら
しんどいだろう

ありきたりでよくある答えに辿り着いてしまった

みんなが幸せになれないのは
リソースが足りないから

そう言う世界を求めないのは
楽しくなさそうだから

何もしないで手に入っても何も感じないけど
やるだけやってダメだったら
それはそれで思い出になる

人によるかもしれないけど

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