お客さんでいたくない。創作する側でいたい

ノックバックという同人小説を読んだ
朝読み始めてその日の夕方に読み終わった
死にたいと思った
それくらい衝撃だった
なぜなら自分がお客様になるしかないと
そうとしか思えなくなったからだ

自分は腐ってもクリエイティブな人間でいると
想い続けたかった
アニメーターもやった
今もゲーム会社勤務だ
それでも一つの創作に
コレだけ打ちのめされた気分になるのはなんでなんだ?

数年に一回同人誌出してるだけじゃ足りない
ダイレクトな承認欲求がある

仕事でチーム作業した結果できたものを
どれだけ褒められても
やはり自分には届いている気がしない

同人誌を褒められると
吐きそうなくらい嬉しい

魂を直接愛でてもらっている気分
自分のそれまでの人生を全て肯定してもらっているような
そんな気持ちになる

そうなりたい
そっちへ行きたい
ノックバックという小説に限らず
自分の何かと共鳴する作品に触れると
いつもそうなる

何も手につかなくなる
何かしないといけない
でも何して良いかわからない
そういうサイクルが頭の中で始まって
結局何もできないでいる

同じこともできない
違うことも思いつかない
でも何かしたい
お客さんでいたくない
発信する側でいたい
焦るばかりで手は動かない
頭も働かない

それが永遠と続き
そのまま世界が終わるとかいう
めちゃ怖い空想で頭がいっぱいになる

自分だけだろうか
みんなそうなんだろうか

自分は頭が悪いから
世の中0か1でしかないと思ってる
やるかやらないかの結果しかない
みたいな

でも実際は
0と1の間にすごい量のメモリがあって
さらに似たような定規が並行して伸びていて
でも世の中わかりやすいハウツーや作品が
いっぱい置いてあって
0よりな自分は
1のそれを見て理解できることに
満足して何もしてない

手軽な娯楽が多すぎて
そういうツラい上に成り立つ
成功体験をサボってる
だから誰かの結果に触れていると
思い出したように焦り出すのかもしれない

おもしろいなー
でもしょせんひとごと
そうやって娯楽を消費してきた
下手したら無自覚にお客さんでいて
ナントも思ってない時もあった
生み出す側でいたいという気持ちが0な時もあった
と思う

人の心を動かす
それも一つ一つの創造で
多くのひとの心を動かしたい
自分がそうされたように
他人にできる人間になりたい
そういう気持ちを
自分は「あっち側に行く」といつもいう

舞台の上と下
画面の中と外
作る人と遊ぶひと

麻薬や嗜好品よりもやばい
カジノよりもひどい
それくらい満たされるのが
創作活動だと思う

じゃなきゃこんなに悩まない
悩みすぎて眠れなくて
こんなノート書き始めたりしない

気持ちの整理がつかなくて
でも何して良いかわからなくて
とりあえず明日仕事だから布団に入ろうって



眠れん
眠れないから
ああコレはもう気持ちの整理をつけないと
眠れないで朝になるなと

人と喧嘩したときや
嫌なこと言われた時と同じ気持ち
心がぐちゃぐちゃだけど
整頓できない感じ

これが胃もたれとか頭痛ならまだ諦めもつく

今回のはでかい
前にも何回か打ちのめされたことはあったけど
今回は不思議と尾を引く感じがする

別に映画もアニメも漫画も
普通に普通に楽しめるはずなのに
今回の小説ノックバックに
なんでこれほど掻き乱されているのか

こんな気持ちで明日が来るのはツラい

この気持ちは何度も体験している
昔からお客さんになるのは苦手だった
親が運転する車にただ乗せられているのが
すごく嫌だった
でもバスや電車の時はそうは思わない
それに免許を持っている今も
そういう気持ちにはならない
あの気持ちは何だったのか
今の気持ちはなんなのか
以前はどうやって片していたのか
もう思い出せない

なんか自分に酔ってるけど
そんなことより気持ちがぐちゃぐちゃで
眠れない方が問題だ

自分にとって
絵を描いたり漫画を描いたりすることが
人と繋がる手段の一つで
1番自分を晒している瞬間だった

普通にゲームの話をしたり
仕事で人と話すこともあるし
買い物したり配達してもらったりするのも
世界に関わる手段になっているかもしれない

でもやっぱり漫画が1番
自分と世間を触れ合わせているという気がする

人に物を勧めることも
いつからかしなくなった
結局勧め方が下手で
そんなことわかってるけど
勧めても誰も聞いてくれないのが嫌で
じゃあ辞めようという気になってしまって
たまに映画やゲームで面白いと思っても
ダイマはしなくなった
思いついても嫌な気持ちが出てきてまあいいやとなる

本当は大声で叫びたい
金を払うからブルーリフレクション帯を日本男児は全員やれとか
物作りしてるやつはみんなホドロフスキーのデューンを見ろとか
言いたい

どうしても言いたい時は
今はTwitterがあるので
なんとなくそこに流している
無視されてもいい
言いたいから言ってる
とか自分に言い聞かせながら
それだけで心はだいぶ落ち着く

アメリカにいた頃
言葉がわからなくて
自分はただ嫌われるのが怖くて
ひたすら空気を読み続けていて
日本に帰ってきてからもそういう性格で生きてきた

でもある時から
自分の心に嘘をつく方がしんどくなってきて
行った結果を想像して気分が落ち込みやる気がなくなるけど
それでも最終的には自分の心に従うようにしてきた
言いたくないけど自分の意見を示したり
戦う時だと思えば戦ったり

結局
そういう時の周りの反応は実はなんてことはなくて
むしろ優しすぎるこの国平和すぎです
と実感するばかりだった
でも臆病で卑屈は治らなくて
心に嘘つかないという信条だけ守ってるから
ストレスだけ半端ない
嘘ついて良い顔しても
あとで結局ぐちゃぐちゃするだけだから

今の気持ちはそれに近い
やれるのにやらない
自分が嫌
というきもち

じゃあやればいい
でも何も思いつかない
そういう焦り

でもそれでもかまわない
この気持ちを放置しても良い
てことじゃない

思いつかなくても
動いて
何でも良いからもがいているだけで
心が落ち着く
おちついていく

文章にしているのは
この気持ちがなんなのか
どうすれば落ち着くのか
探るためだったけど

ゴールがわかっていないのに
それでも何かしないとという焦りが
今の気持ちだと思った

いつも世の中の娯楽に埋もれて
忘れているその目標が
今回のノックバックのようなきっかけを持って
再び現れるから心を掻き乱されてる

それを理解して
行動すれば
心は落ち着くのだと思う

だと思うばっかりだけど
ひとまず眠れそう

ただ明日になったら
たとえ平日でも
少しはそういう活動をしないと
しばらくは夜眠れ無さそう

もがくのも大変だし
始めると目の前に大量の
やることがでてきて
気が滅入ってやめるかもしれない

結果を出すのに
本当はそういう気持ちは邪魔でしかない
だって続けていれば終わるはずなのに
そういう気持ち、ていうののせいで手が止まるのは
作品と何の関係もない
だから心は殺した方がいい

でも人間だからそううまくはいかない
そのせめぎ合いがつらくてしんどい
もやもやを形にするのが本当に辛い

形にする過程でどうしても手を抜けない場面が出てくる
それは創作に関わらず仕事でも何でもかんでもそうだと思う
めんどくさいし嫌になる
でも結局やった方がいいとわかっているからやるしかない
それが趣味の中だとめんどくさいからやめることもあると思う

そこを超えられる人がたくさんいると思うと
気が滅入る
自分は一生お客さんにさせらるのかって

自分はやらない0とやる1の間で言えば
0に近いところにいると思っているけど
これまで何度か形にして人に見せてきた
頭では自分なんかと思っているけど
心のどこかでは
創作に挑戦する人はもっとたくさんいて
産みの苦しみを超えられるのは
その中でも一握りだから
自分はちゃんとすごい
とか考えちゃってる

でもそれは正しいと思う

単純に
趣味が100種類程度と考えて
2億いる内の1%が創作をしている(100の中の1)
と考えると
200万人
漫画雑誌含む漫画家の活躍の場が100あって
大体平均一冊20人くらいの作家が描いてるとしたら
2000人のプロがいて
プロじゃないアマチュアな漫画作家は
コミケのサークルが
漫画に限らず3万だから
参加してない作家も含めて3万くらいとする

何かしらの形で発表までしている作家が
趣味で創作をするとしている200万の内に
3万と2000人しかいない
196万8000人は
できてない人

幾ら何でも乱暴な考え方だけど
でもそれでいい
自分が少しでも
あっち側に行けるという考えができれば
もうそれでいい

美しくない動機だけど
結果が出るならそんなの関係ない
もがくには十分な理由になる

自分が何もしないでいる焦りと
なんでもいいからすればいいという解決策

それが本当に心から理解できたなら
明日からやることは決まっている

それが本当に心から理解できたのかな
とりあえず今日は眠れそう

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