哲学は「答えがない問いについて考えること」なのだろうか?
哲学は「答えがない問いについて考えること」だとしばしば説明されます。けれども、このような説明の仕方に僕は違和感を抱いてしまいます。というのも、「問い」であるならば、なんらかの志向性が認められるはずだからです。ここでの志向性とは――専門的な意味ではなくて――問う際には、問いの対象(問いにおいて求められているもの)が目指されているだろうという意味です。
さらにこの事柄を考えるにあたって、いわゆる「哲学的問い」の言い回しである「そもそも〇〇とは何か」という型の問いを取り上げましょ