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改めて《存在論》を掘る

つかの間の読書の自由な時間は終わり、早速、二つの読書会/ゼミに向けての精読が始まる。
その始まる前にステートメントというか、問題意識を未来の自分に送る。
保坂は改めて《存在論》を掘りたい。
というのも

・ロランバルト『明るい部屋』を読み直したところ、写真に対する「存在論的な」欲求にとらえられた本であることがわかった。
それが令和のいまはなぜか、「表象」という概念をあえて定義しないまま戦略的な操作概念とする、表象文化論の読解になってしまっている。
これが保坂の存在論理解を阻んでいた気がしている。

・柄谷行人は
“ディコンストラクティブな読解は、テクストの明示的な意味を文字通り受けいれるかぎりにおいて可能なのであって、恣意的な解釈を意味するのではない。(隠喩としての建築)”
同時に、
“小説は「共感」の共同体、つまり想像の共同体としてのネーションの基盤になります。小説が、知識と大衆、あるいは、さまざまな社会的階層を「共感」によって同一的たらしめ、ネーションを形成するのです。”
と語っていて、インゴルドの《他者を真剣に受け取る》ことにつながった。

テクスト/ネーション/他者を真剣に受け取るために、存在論的読解が非常に大切だと思っている。
そこで、あらためて《パースペクティズム》、《存在論的転回》を掘りなおすのが、直近の興味です。
その先に、表象文化論の存在論的読解に挑戦をしたい。

2024/01/11 13:24

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