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中平卓馬と森山大道を和解させたい

保苅実のを言及したこともあり、いい機会なので保坂の写真史を歴史したいと思います。
“歴史する”にあたり、打林俊先生のアドバイスをいただき、中藤毅彦さんにもコメントをいただきました。
ありがとうございました。(^^)y

「土門拳」が提唱した、絶対非演出の絶対スナップの“社会的リアリズム”を批判的に受けて、「東松照明」が日本写真の近代を引き継ぎます。
その日本近代写真を「中平卓馬」と「森山大道」が脱構築しました。
ここが日本のポストモダン写真だと、保坂は思います。
そう日本写真のポストモダンは1968-1972ごろに起きました。

しかしながら、中平卓馬の植物図鑑=主体や作者を消去したテクスト主義に対して、森山大道は表面しか写らない、と実証主義へと守勢に回ってしまった。
いわばポストモダン写真が、二元論に分かれてしまったポイントです。
ここで二元論に分かれてしまったことで、ポストテクスト論の写真を見出しにくくなった、といま保坂は考えてます。

中藤毅彦さんは正統なアレブレボケの後継者なんですが、ワークショップ2Bでゲスト暗室講座がありました。
その時に「どんなに濃すぎるネガでも焼き込めば像が浮かび上がる。」旨を発言しています。
受けた人の話しでは、濃すぎるネガからの焼き込みのために手でマスクを作り、引き伸ばし機の前で十数分間も動かなかった、らしいです。

これって、植物図鑑でも、記憶でもない。
何が読み取れるか?のテクスト論を乗り越えた、自分が写したんだからネガには必ず残っているという“経験”の写真ですよね。
ここで写真のポストモダンは、すでに乗り越えていたんですよ。
ただ見落とされていた。
中藤さんも散々、森山大道は二人も要らない、と言われていたと、ご本人から聞きました。
中平卓馬と森山大道が道を違えたことで、見えなくなっていたんですよ。

あー「写真よ、さようなら」の対談が読みたい。
中平卓馬と森山大道を和解させたい。

2022/06/03 2:03

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