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〈写真の物質性〉を根本から考えなおすことになった。
ティルマンスが「写真は三次元的オブジェ」と言ったり、シャーロット・コットンが「オリジナルに似たオブジェクトの表現。転写や翻訳ではなく、並行形式の同等のもの」と言ったり、またはデジタル写真やヴァーチャルリアリティなどに時代性を踏まえて〈写真の物質性〉が言祝がれている。
“また、写真を実際に撮っていない人の場合、写真をひとつのイメージとしてだけ見てしまう傾向がある、ということも重要でしょう。僕は、そうではなくて、写真が持っているマテリアルとしての部分を含めて、全体としてつかんでほしいと思っていますし、写真はまさに三次元的なオブジェ、物体なのだということを体験してほしいんです。”
これは単純に触感、写真集の重みや写真プリントのカール、みたいなもの。
またはバルトの写真のノエマ、〈それはかつてあった〉という時間性、だと思ってた。
いやいや事は、もっと単純だったとこの本を読んで気がついた。
『像をうつす 複製技術時代の彫刻と写真 』
彫刻と写真の類似、類縁として、まず述べておきたいのは、光、そして視点への関心だ。p11
別の共通点にも触れておこう。すなわち接触・独覚の重要性である。p17
要するに、接触・転写・痕跡への関心だが、これはそのまま写真実践と重なりあうだろう。言うまでもなく、我々が視る/視てきた写真とは、フィルムや感光板に触れた光の痕跡であり、チャールズ・サンダース・パース(一八三九-一九一四)風に言えば「物理的結合による記号のクラスに属する」。その痕跡の転写として、プリントや本の挿図が生まれる。そこには常に接触の連鎖がある。インデックス的な関係の交換が、写真という技術を束ねているのである。
さらにこの接触の連鎖が、ますます重要な彫刻・写真の共通点を開いていく。すなわち高度な複製可能性である。p17
二〇世紀前期までの写真と影刻においては、さらに単色性、あるいは色相の看過も共通点として挙げることができるだろう。彫刻は線とかたち、白黒写真は加えて諸調の技芸とみなされてきたがゆえに、美術史や批評の言説においては、彫刻と写真をめぐって色彩が語られることは少なかった。彫刻の複製写真が、カラー画像時代に入ってもひさしくモノクロで済んでいた、いや、むしろ、ある時期まではモノクロが好まれていたことも、これと関わるだろう。p18
加えて、あいちトリエンナーレの話でも触れたが、両者に共通する解釈上の「空所」の多さも、ここであらためて指摘しておきたい。彫刻・写真ともに、構造的に観者の介入に開かれているという点だ。p18
〈写真の物質性〉とは彫刻と写真の類縁性のことなのだ。
「第48回木村伊兵衛写真賞に金仁淑氏 マルチchビデオインスタレーションが対象に」というニュースも、映像と彫刻の類縁性を〈写真の物質性〉が取り持っていると考えた方がいいかもしれない。
うぉーそれは「ティルマンス壁展示問題」に繋がり、マティスからラスコーの洞窟壁画に繋がるのか!?
ちょっと「夜のラブレター書き効果」で盛り上がって保坂でした。
あああ自分的に革命だ。
どっとはらい。
2024/03/29 01:28
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