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サバルタンとひろゆき氏:本が読めない読書日記

ただいま、やっとコロナから復帰した感じ。
感染して苦しかったのは、活字を読む“やる気”などが全くなくなったことだ。
一日中、寝ていたので、やれることがいっぱいあったはずなのだが、結局はインフルエンサーたちが説教するショート動画ばかり見て、こういうファンていうのはどういう人だろうと想像していた。
多少、字が読めるようなときは、ChatGPTや Midjournyがらみのところをのぞいていた。
AIを知りたくて参加していたのだが、目についたのはLLM型ジェネレーティブAIというよりは、その周りにいる人びとだった。
いわゆる「AIや新聞、インフルエンサーが言っていたことを、どう思いますでしょうか?」という話題が大好きな方々、ここにもある一定数いることに驚きがあった。

保坂は、Qアノン・シャーマンが米連邦議会を襲撃して以来、このような人たちと、どのようにセカイを共にしていくのか?と、ずっと悩んでいた。
もっと日本という近しいセカイにまで拡大すると、「ゆるさない」とか「ぶっつぶせ」とか系の政党支持者たち、「引き算いる?」というインフルエンサービジネスマンの顧客、そして“論破王”ひろゆき氏らをはじめとする説教系インフルエンサーにすぱちゃをする層である。
自分もインフルエンサーになって「しっかりしろ」とメッセージすることは可能かもしれないが、彼らは多分、自分を無くして盲目的に全面的な無条件同意をしてくれるだけだろう。
“ばか”と指さすことは可能だが、それは「私はばかじゃない」という身振りでしかない。
どうにもこうにも、保坂は行き詰まっていた。

前段が、長くて申し訳ない。
この思いは、このノートでも何回か、書こうと思っては消し、Pomeraを開けては閉じていた問題意識なのだ。
ここにありがたいノートが降ってきた。
久しぶりに大きく心揺さぶられる文章だった。

タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか』 

著者は“論破王”ひろゆき氏を「日本でもっとも支持されている思想家」であることを直視することを提言し、ひろゆき氏の「知的ゲームを仮想体験させる技術」を高く評価する。
知的ゲームを仮想体験させる技術は、いわゆる説教系インフルエンサーなどに共通する資質なのだと、保坂は思う。
もっといえば、ほんとかなあなた次第!系の“陰謀論”が持つ、エンターテインメント性も、このゲーム体験なのだろう。
現在のジェネレーティブAIの魅力も、この体験につながると思う。しかし、これは追試が必要だ。

その上で、著者は言う。

タイトルしか読まない/タイトルすら読まない読者の「声」は聞こえるか?

<切り取り>
タイトルしか読まない/タイトルすら読めない人が誰かのファン層となって言葉を発していく今のネット空間において、この言葉は誰のものであろうか。たとえばひろゆきさんは「大衆の声」といっていいのだろうか?
</切り取り>

<切り取り>
今、カリスマの声や雄弁家の声と、自分自身の声とを峻別するのはとても難しくなっていないだろうか?
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<切り取り>
カリスマや雄弁家のゴーストダビングとなってしまった人々の声は、あくまでもカリスマや雄弁家の声でしかないのではないか?
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シロクマの屑籠:タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか

「結局彼らはサバルタンのままでしかない」と著者はまとめる。
サバルタンとはアントニオ・グラムシの言葉で従属的社会集団とも日本語訳をする。
例えば文盲である、例えば先祖代々の言葉を奪われ、征服者の読み書きしか知らない人々を指し、『サバルタンは語ることができるか』とスパヴィクは著書から語る。

保坂は引き算の勉強をはじめ、教育は基本的人権だと主張する。
これからAIの世の中になり、ますます言葉を奪われたサバルタンは増えると思われる。
本を読め、文章を書け、写真を撮れ、表現しろ、語れ、悩め、考えろ。
おじさんは強く思うのだ。

もっというと、サバルタンは自分の中にもいる。
心の中のサバルタンを見つめろ、
と自らに問うのだ

2023/05/19 9:03

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