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デジタル写真論--イメージの本性:久しぶりに本が読めた読書日記

デジタル写真論--イメージの本性』を読み終わった。
“清水穣という壁”ををリベンジできた気がする。
清水先生の写真論は、以前に『白と黒で 写真を...』を、一章だけ精読したことがあったが、今となってはなぜ難解だったか不思議になってしまう。
『デジタル写真論:イメージの本性』はするすると、身体に入っていく。
同時代、同問題、同テーマをずっと悩みながらモノクロHDR写真を撮ってきたからだろう。
紹介されている作家、写真作品、写真論も見たことがあるものばかりだし、手に取った本ばかりだった。
トップの写真は、序に換えてinterview「デジタル写真の非同一性」を読みながら渋谷駅を撮ってきた写真だ。
完全にデビュー作『クローム襲撃』のリバイバルである。
この序章は是非、立ち読みでもいい、図書館でもいい、読むことをおすすめする。許されるならば、音読ポッドキャストをしたいくらい。
この本のエッセンスは、すべてここにある。
インタビュー形式、対談形式で書かれているので、この手の読書が苦手な人でも読みやすいと思う。

ここ最近の気付きとして、脱構築やポスト構造主義は旧来の構造主義のバリエーションにすぎない、というものだ。
ポスト構造主義がポストモダンとするならばという、内田樹のテーゼを借りるならば、ポストモダンはモダンに含まれる。
令和の現代は、何も超えておらず、何も終わっていない、ずーっと近代であったという認識だ。
このポイントを、清水先生と共有していたことが、確認できた。
だから第一章「デジタル写真の本性」が、写真黎明期のモダニズム写真と近くなるのである。
2023/02/04 12:40

第二章で清水先生は「モダニズム写真の再検討」する。
スティーグリッツ“イクイヴァレント”シリーズである。
イクイヴァレント=等価物としての写真、という保坂の悩みは、このnoteで書いてきたように思う。
これは歴史的、哲学的な背景が等価という認識に影を落としているな、とずーっとリサーチをしてきたが、もうやんなっちゃう、キュビズム、コンストラクション、コラージュ、レディメイドという一声で、清水先生は一刀両断である。

第三章の「モダニズムからポストモダニズム」は、コンポラ写真とプロヴォークを対比するから始まる。
自分のモノクロームHDR写真は、森山大道や中平卓馬のアレブレボケを参照している。
自分がやろうとして企んでいた見立ては、間違っていなかったと清水穣先生に言われている気がする。
ただデビューシリーズの「クローム襲撃」はプロヴォーク的ではあったが、フクシマのショックから始めた「リバー」シリーズはコンポラ写真的だったなと、自分の中で整理がついた。
いまインフレストラクチャーシリーズとして「山手通り」をやっているが、リバーシリーズの流れを組んでコンポラ的に着々と積み上がっている。
ここにプロヴォーク的なるものを、どう入れていこうかなと思う。
2023/02/05 0:24

三章を読み切って、気がついたことがある。
その時々のフィーリングに合った写真論を参照して、僕はモダンだったり、ポストモダンだったり、写真のスタイルやセレクト以上に、ステートメントが揺れ動いていたかもしれない。
このノートのテキストの頭のところで、脱構築やポスト構造主義は旧来の構造主義のバリエーションにすぎない、と書いたが、それを体現していたかもしれない。
つまり、自分としては常に新しい写真を模索してきたつもりだが、実際は脱構築を重ねて、ポストを重ねて、ポスト、ポスト、ポストとモダンの延命をやっていただけだったな、ということだ。
つまり自分は15年以上、何も変わってはいないことに、改めて気がついた。
イマココでの新たな気付きは、それこそ正しい近代/モダンだなと自分をポジティブに評価しているところである。
2023/02/06 23:13

四章「デジタル写真と松江泰治」を読むと元気づけられる。
この章は撮影について、カメラとの関係性について。
2023/02/08 0:45

五章「デジタル写真とティルマンス」は、ちょうど表参道ルイヴィトンで、ティルマンスの展示を見た直後だったのでわかりやすかった。
この章は展示、写真との関係性について。
2023/02/09 9:46

六章「デジタル写真と現代作家」。
最後のアナログ写真家として鈴木理策、熊野というモチーフとの相対しかたの読み解きは興味深い。
“最後のモダニスト中高年”批判をしたとする蜷川実花論。
高谷史郎、ダムタイプの人と存じ上げてなかった。
その高谷氏のスキャニングと写真の対比
2023/02/10 21:22

七章「写真をめぐる対談」では、このデジタル写真論が生まれた背景、写真分離派宣言や写真新世紀審査の経験が語られる。
2023/02/11 23:00

八章「付論」、僕がこの本を読もうと思った動機の一つが、この清水穣デビュー作“不可視性としての写真”であった。
読了。
2023/02/11 23:29

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