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『せりふの構造』読書ノート4:いつもスキをありがとうございます

いつもスキを押していただいている方へ、本当にありがとうございます。
保坂の興味は写真ですが、なぜか現代思想とか、文化人類学とか、寄り道しているうちに、演劇論に迷い込んでいる次第です。
思えば、写真と出会って“どのように観るか?”みたいなことをやってましたが、久しぶりに“どのように語るか?”に帰ってきた気がします。
でも実は保坂の興味としては、語り方を前提にセカイ/世界を見てしまっている気がしていて、「語りと見え」に行き来する回路を掘っていたりします。
これが視覚言語たる写真でなんとかならんかな、と思っている次第です。
目下、首都高速を撮ろうと思ってますが、その物理的な大きさに苦労してます。

『せりふの構造』読書ノート4-1
第三章祝典の言葉

序.第三の言葉
非コミュニケーションの言葉 : ― モノローグ
コミュニケーションの言葉 : 一方的 ― 一方的伝達
: 相互的 ― ディアローグ

1.祈り
・個人性を超えた言葉、「私」ではなく、実は「我々」の言葉として、既に第三の言葉なのである。

2.うた
・台詞からうたへ、うたから台詞と移行するたびに、われわれは別次元へと連れて行かれる。ブレヒトが異化効果のために基本的な手法としてうたを考えた・・・
・言葉は現在から未来へ向かう方向・・・
・(うたは)つまり未来からはじまって、現在を通り、未来へ環流しているかのごとく・・・

3.事件報告
・等しく自らが立ち会った過去の出来事の語りでありながら、何故、一方はモノローグで、他方はモノローグでないのか。
・経験は意味あるものであればあるだけ、時と共に客観性を失っていく。これは像の褪色によるものではない。むしろ像が主観的に醸成されてゆくことに由来するものである。この枠組のなかにあるかぎり、客観的な歴史を述べてさえ、それは「詩人トム」の見た歴史である。
・いまバンヴェニストの言葉を借りて言えば、それは「自伝」である、ということに集約されよう。自伝であるが故にトムの昔語りはモノローグとなり、客観的な報告であるが故にテラメーヌの語りは一方位的伝達の言葉となる。

4.宣言と演説
・ここにとり上げるのは、一方位的伝達の言葉の典型のような、上意下達の言葉である。
・このように性格づけるならば、神の祈りのシンメトリーとして、神のお告げを宣言の典型と見ることが可能になる。
・オレステースの祈りがそうであるように、ドラマの引金を引く言葉に在ることに対して、
・神のお告げはこれ以上ない最高の決定としてドラマを集結させる力をもつ。
・それがギリシャ悲劇におけるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)の神の言葉である。

5.口上
・広い意味で口上も演説の一種である。
・口上の境界は、現動態による劇世界の構築という操作の外に出てなされる観客への直接的コミュニケーション、というところに引かれることになる。それは必然的に、演劇と演劇以前にまたがる言葉である。
6.祝典の言葉
・第三の台詞は文化的体制にのっとった公共の言葉である。
・一方位的伝達の言葉は祝典の言葉であり、演劇の太古の祭礼性を今も担う台詞である。

2022/08/26 1:14

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