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脳内混線:戦闘妖精・雪風とFeral Atlas

東京を離れる用事ができ、いい機会だから、デジタルデトックスをしながら、ちょっと文化人類学から離れた読書をしようと、積読から『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』を読み始める。

“戦闘妖精・雪風”シリーズは、ある一定の年齢の方のは、懐かしさを覚えるに違いない。

『戦闘妖精・雪風』(せんとうようせい ゆきかぜ)は、神林長平によるSF小説。これを原作としてラジオドラマ、OVA、漫画化もされた。  『SFマガジン』誌上に1979年から1983年にかけて掲載された連作短編で、1984年に『戦闘妖精・雪風』の題名で文庫にまとめられた。
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80-90年代の厨二病の多感な時に、一番好きな作家が神林長平だった。
言葉使い師という1983年星雲賞受賞作を見てもわかるように、言葉や認識が大きなテーマで、思弁によって世界が変容する、改変される、生まれ出でる、物語りが特長のSF作家に思う。
常に一人称の内省的語りの文体も魅力的で、スラップスティックぽさもあり、自分は死んだことに気がつかず、情報空間に漂っているだけではないか?など、一人ごちる主人公とで話しが進んでいく。
ワープロやコンピュータを機械知性として、人間と別存在とするのも大好きで、しばしば登場人物は、コンピュータに思考汚染されないことを目的に手書きを好む。

戦闘妖精・雪風”シリーズ”は、

超空間通路から南極に出現した謎の異星体ジャムの侵攻を受けた人類は、その先鋒を撃退し、逆に超空間通路の向こう側に攻め込み、そこに存在した惑星フェアリィに橋頭堡となる基地を築いてジャムの侵攻を食い止めていた。
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激化していくジャムとの戦いのなか、零は雪風だけを信じフェアリィの空を舞い続ける。しかし、戦いは人類には不可知の存在であるジャムと、人類が生み出した戦闘機械集団との戦争の呈を見せていく。そのなかで零と雪風は、単なるパイロットと愛機という関係を超越した「複合生命体」と呼ぶべき存在へと変化していく。そしていよいよ、FAF基地へのジャムの総攻撃が始まる。
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という総攻撃後の続編が、雪風アグレッサーズである。
アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』以来、十年ぶりの雪風シリーズに、ノスタルジーに浸りつつ、写真のこと、どっぷりしてた文化人類学を離れようという目論見、の読書だったのだが・・・。

ジャム、雪風をはじめとした特殊戦の機械知性たち、との人間以上の絡まり合い、が全てマルチスピーシーズに見えてくる、という罠。(^^;
保坂がマルチスピーシーズ人類学に魅力を感じるのは、十代の頃のSF体験がベースにあるようだ。

「人新世」の諸相を指差すための、マルチスピーシーズ文化人類学に“Feral”というキーワードがある。
Feral Atlas を語るアナチンのビデオがあり、そのビデオ紹介の概要にこうある。

Feral Atlas は、非人間的な存在が人間のインフラ・プロジェクトと絡み合ったときに生まれる生態学的世界を探求するよう読者を誘う。科学者、ヒューマニスト、アーティストによる79のフィールドレポートは、“feral”な生態系、すなわち、人間が建設したインフラによって促され、人間のコントロールを越えて発展・拡散した生態系を認識する方法を示しています。Feral Atlas は、これらのインフラがもたらす影響こそが「人新世」であると主張する。

DeepLで翻訳しました (https://www.deepl.com/app/?utm_medium=ios-share)
https://www.feralatlas.org/archive/documentation.html

保坂は“feral”を、辞書通りに“野生化”とか“野良”とか脳内翻訳していたのだが、これは「ジャム」や「雪風」であると思い始めた。
ジャムと人類の戦争が“インフラ”としたら、その中で雪風をはじめとした機械知性戦闘群のみならず、主人公の零らも“feral”化する。
雪風アグレッサーズは、ジャムが地球に侵入する?ことから物語りが始まるのだが、これこそ「人新世」だと読む。 

こんなバカ話し、だーれもついてこれないだろうなー。
と思いつつも、雪風アグレッサーズがFeral Atlasと繋がってしまう。

戦闘妖精・雪風シリーズを、保坂は自分が十代の頃に読み、四十年の時を超えて読んでいる。
作者の神林長平は同じ年月、26歳に生み出したキャラクターを、現在69歳?になって、また動かしていることの、業の深さをうらやましいと思う。
戦闘妖精・雪風(改)つまり最初の雪風から登場するジャーナリスト、リン・ジャクスンも、雪風アグレッサーズに再登場する。
リン・ジャクスンはある意味、雪風改の劇中作者なのであるが、雪風アグレッサーズではジャムの(哲学的な攻撃の)脅威に立ち向かう役回りだ。
それが一種、人新世に立ち向かうエスノグラファーとしての文化人類学者のように見える。
全く違う言語空間にある、神林長平がアナ・チンに、この時空で会い、対談という記号化学反応をさせたら、何が起きるだろうか?

考えすぎ、ただの考えすぎなのだが、ひとり脳内混線をしている。(^^)
どっと、はらい。

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