脳内混線:戦闘妖精・雪風とFeral Atlas
東京を離れる用事ができ、いい機会だから、デジタルデトックスをしながら、ちょっと文化人類学から離れた読書をしようと、積読から『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』を読み始める。
“戦闘妖精・雪風”シリーズは、ある一定の年齢の方のは、懐かしさを覚えるに違いない。
80-90年代の厨二病の多感な時に、一番好きな作家が神林長平だった。
言葉使い師という1983年星雲賞受賞作を見てもわかるように、言葉や認識が大きなテーマで、思弁によって世界が変容する、改変される、生まれ出でる、物語りが特長のSF作家に思う。
常に一人称の内省的語りの文体も魅力的で、スラップスティックぽさもあり、自分は死んだことに気がつかず、情報空間に漂っているだけではないか?など、一人ごちる主人公とで話しが進んでいく。
ワープロやコンピュータを機械知性として、人間と別存在とするのも大好きで、しばしば登場人物は、コンピュータに思考汚染されないことを目的に手書きを好む。
“戦闘妖精・雪風”シリーズ”は、
という総攻撃後の続編が、雪風アグレッサーズである。
『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』以来、十年ぶりの雪風シリーズに、ノスタルジーに浸りつつ、写真のこと、どっぷりしてた文化人類学を離れようという目論見、の読書だったのだが・・・。
ジャム、雪風をはじめとした特殊戦の機械知性たち、との人間以上の絡まり合い、が全てマルチスピーシーズに見えてくる、という罠。(^^;
保坂がマルチスピーシーズ人類学に魅力を感じるのは、十代の頃のSF体験がベースにあるようだ。
「人新世」の諸相を指差すための、マルチスピーシーズ文化人類学に“Feral”というキーワードがある。
Feral Atlas を語るアナチンのビデオがあり、そのビデオ紹介の概要にこうある。
保坂は“feral”を、辞書通りに“野生化”とか“野良”とか脳内翻訳していたのだが、これは「ジャム」や「雪風」であると思い始めた。
ジャムと人類の戦争が“インフラ”としたら、その中で雪風をはじめとした機械知性戦闘群のみならず、主人公の零らも“feral”化する。
雪風アグレッサーズは、ジャムが地球に侵入する?ことから物語りが始まるのだが、これこそ「人新世」だと読む。
こんなバカ話し、だーれもついてこれないだろうなー。
と思いつつも、雪風アグレッサーズがFeral Atlasと繋がってしまう。
戦闘妖精・雪風シリーズを、保坂は自分が十代の頃に読み、四十年の時を超えて読んでいる。
作者の神林長平は同じ年月、26歳に生み出したキャラクターを、現在69歳?になって、また動かしていることの、業の深さをうらやましいと思う。
戦闘妖精・雪風(改)つまり最初の雪風から登場するジャーナリスト、リン・ジャクスンも、雪風アグレッサーズに再登場する。
リン・ジャクスンはある意味、雪風改の劇中作者なのであるが、雪風アグレッサーズではジャムの(哲学的な攻撃の)脅威に立ち向かう役回りだ。
それが一種、人新世に立ち向かうエスノグラファーとしての文化人類学者のように見える。
全く違う言語空間にある、神林長平がアナ・チンに、この時空で会い、対談という記号化学反応をさせたら、何が起きるだろうか?
考えすぎ、ただの考えすぎなのだが、ひとり脳内混線をしている。(^^)
どっと、はらい。
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