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ラディカルミュゼオロジーを読んで:つまり現代美術館の「現代」って何?

ラディカルミュゼオロジーを読了した。
関係性と敵対性の美学、人工地獄のクレア・ビショップの著である。
130ページ程の薄い本なので、非常に読みやすく示唆に富んでいるので非常におすすめ。
進みすぎた後期資本主義のなかで、どのように美術館は振る舞っていけばいいのか?=コンテンポラリーとは何か?という提言の本である。
無邪気に使われている、Contemporary:コンテンポラリーと言う言葉を
・現代性
・同時代性
・共時間性
と多義的意味を持たせて、

なおかつ、コンテンポラリーとはいつなのか?という応えに

1990年代後期までは「戦後」、すなわち1945年以降のアートと同義に考えられていたが、およそ十年前(2000年代初めごろ)に、1960年代のどこからか始まるものとして再配置された。
現在(2013年)では、1960年代と1970年代がハイモダニズム的であると見なされるのが一般的な傾向であり、1989年--それは共産主義の崩壊とグローバル市場の発生と同義だ--を新しい時代と考えるべきだ、という議論が行われるようになる。
これらの時代区分のどれにも賛成論と反対論があるが、その主要な欠点は、いずれもが西洋の認識範囲から出発して区分していることにある。(p24)

この本は、ポストモダンに陥らないための“社会的なものの組み直し”と読みたいと、僕は思っている。
しかし、結論でベンヤミンの「歴史の概念について」に寄り添うところが、後期資本主義下の現代美術館制度を全体主義と見立てた“マルクス主義”懐古の臭いも感じてしまう、自分がいます。
えーそこー、みたいな。(^^)

ここでもまたブリュノ・ラトゥールの影がちらつき“近代の〈物神事実〉崇拝について-ならびに「聖像衝突」”を、248ページの本か。
ラディカルミュゼオロジーの二倍程の厚さ、だから読めるかな?
と恐る恐る、アマゾンで注文するわけです。

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