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京都と東京、〈実〉と〈虚〉

先週末、京都に行ってきた。
完全なるバカンス、楽しむだけに京都に行ってきた。

京都は土地の力が強いので、必然的に何かを気づかせてくれる。
保坂を直接的に知っている人はわかってくれていると思うが、自分は言語感覚が強く優位で、身体感覚が弱い。
坐禅を組んだり、食事をしたり、お店の人と話すだけで、京都と東京の違いを感じ、自分の頭が〈実〉、体が〈虚〉であることを感じさせてくれる。
写真を撮ってはいたが、全く手応え感じてはいなかった。これは撮っておくかという、それだけのものはずだった。
帰ってから二日ほどたってからまとめてみたら、意外にもキレイにまとまっていることに驚いている。
京都にいる間、頭の力が抜けて、身体に〈実〉が入ったようだった。

思えば、撮ると身構えた自分の写真はあまり出来が良くない。ある意味で〈虚〉な自分の方が結果が出たりする。
だから長らく三脚を用い、カメラやアプリのオート設定を信用してきた。
完全な〈虚〉、ノーファインダーや自動撮影的な作品も作ってきたが、それでは長続きしなかった。
全ては〈実〉と〈虚〉の塩梅なのはわかってはいたが、力配分がわからなかったのだ。
お灸をしてもらい、ラムを飲み、おでんを食べ、レコードを買い、思いもかけない写真展に出会い、庭を見て、雨に降られ、歩いた。
今回の京都は何か見えた気がする。このまま、keep going する。

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