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カントぱいせんをけっ飛ばす話し:本が読めない読書日記

ここに来て、突然。
「物自体にアクセスできる。」と現象学を批判し、カントぱいせんに中指を立てる本を見つけて、驚愕している。(^^)
写真は長らく、カントの世界しか考えてこなかった。
森山大道や中平卓馬が『写真よさようなら』で言及された、絶対に行き着かない先、写真に対する過剰な想念が開放される場所としての“彼岸”が無効になってしまった。
カントは『純粋理性批判』で、人は“物自体”に行き着くことはできない、と言ったらしい。
そして物自体は“英知界”、人間は“現象界”という別々に分かれた世界にいる、という。
哲学用語図鑑からしか読んだことがないので伝聞として書く。)
だからカメラの機械の眼を・・・とか、だから表面しか・・・とか、窓なのか?鏡なのか?というのが、長らくの写真論の中心だった気がする。
それをまるっとなしね、これはちゃい、としちゃっていて、やばい。(^^)
いやいや人間と物自体はおなじ宇宙にあるでしょう、観察者は系に影響を与えるって量子力学でも言うよね、それって物自体に触れているよねと、してしまったのが今らしい。
これが“現象論批判からの存在論”という流れだ。

一つはガブリエル『アートの力:美的実在論』。
カントせんせー、ガブリエルくんが中指を立ててました。(^^)
新しい哲学“思弁的実在論”の骨子がそこのようだ。

結局のところ、現象学は私たちの感性を軽視している。

アートの力:美的実在論 p61

もう一つは、インゴルド『応答、しつづけよ。』。

文化人類学の“存在論的転回”という言葉を知っていたが、ここまでラディカルだとは思っていなかった。(中指は立ててない。)

このプロジェクトの目的は、物事をいかにして知るかについての異なる考え方を練り上げることでした。それを、頭の中の理論と現場における事実との対立を調停することを通じてではなく、まさに思考過程そのものにおいて、モノそれ自体を応答(ルビ:コレスポンデンス)することで行うのです。

応答、しつづけよ。p12

もう一つ、カルロ・ギンズブルグ『図式,先入観,二重盲検』思想 no.1186 2023/2月号
イタリアの歴史家のギンズブルグは全くの専門外だ。
検索すると“小さな歴史学(ミクロストリア)”をつくった、と出てくる。

トライアル・アンド・エラーの過程をつうじて、芸術家(あるいは科学者)はスキーマタとバイアシス、仮説と前提(あるいは先入観念)を区別し、後者を棄てて、前者を現実の表象(あるいは認識)に接近させることができるようになる、とゴンブリッジはカール・ボッパーの言を反復しながら主張する。

図式,先入観,二重盲検 p12

仮説とは“図式”とも言い換えられて、ここでは絵画や歴史を指す。
“先入観”とは現象界と英知界をわけるもの。
“二重盲検”とは、異端審問裁判記録を歴史的に検討する、ギンズブルグの手法のことだ。
この論文も物自体へのアクセスができる、と保坂は読んだ。(もちろん立ててない。)

いやいやいや、やばいっす。
僕はずっと、カント美学にどっぷりで、物自体にアクセスできない=誤読しかできないと、強く強く思い込んでいた。
誤読こそが常態で、わかり合えない事を前提に生きてた。
それをまるっとひっくり返された感じ。
少し泣いてる。

2023/05/26 9:26
9:45追記

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