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川俣正『アートレス』と『創造性は・・・』第五章の読書ノート

五章の会が終わった。次の会は二週間先である。
時間に余裕があるので、主催のT先生が参考に上げた、川俣正『アートレス:マイノリティとしての現代美術』を眺めながら、この読書ノートをまとめている。
アートレスとは一言で言うと、括弧付の“アート/アーティスト”と距離をとることであり、“日常/普通の人”のことである。

・個人の裁量以上に社会とのさまざまな関係の中でしか表現が存在し得ない。

川俣正『アートレス』p22

こういうことを読むと「モノクロ写真でストリートスナップ」というメディア?スタイル?出力?としての芸術への強力な親和性が本当に感じられる。
中平卓馬も、写真が持つ作品化の力、を嫌っていたと記憶するが、トラウマ構造を脱色するには、これほどいいものはないのではないか?と保坂は思う。
ああ中平は、暗室、という非民主的なエリート的な空間をきらっていたのかな?
ホッブスがボイルを、実験室、と言う空間を批判したように。
中俣正がアートレスを提唱するように。

五章は、郡司ペギオ幸夫さんの実際の製作過程、展示、感想の当事者研究である。
全頁、ライン引きを拒否するほど全てが大事に思える。
人に何かを伝える時に結論やエッセンスではなく、方法やプロセスから語ることを選ぶことがある。
そういうときに大抵の保坂は傾聴モードになってしまうのだが、この本を読んでから方法やプロセスが面白くなった。

・以前と以後が同時に成立する「日常」の場でありながら、両親の不在によって、以前と以後を基礎づける意味が失われた場所――実家、p134
・実家に残された、通常の意味での遺品――生前(死の以前)と死後(死の以後)とを共立させるもの――の意味を脱色する。生前と死後の共立は、すでにして肯定的矛盾を成立させている。ここに脱色によって、否定的矛盾さえ共立させるとき、トラウマ構造が形成され、芸術的感興、芸術的理解が「やってくる」だろうというわけだ。p134
・したがって、遺品を脱色する方法として「私が虫となり、虫でも人でもない痕跡を残すこと」、これが採用されることになったのである。#場所を決める。肯定的矛盾と否定的矛盾を見出す。矛盾の強度を脱色する。この章の読みどころは、何種類かある脱色の方法である。
・私は人であるので、私が虫になるといっても、完全な虫になりきれるはずもない。だから、私は「ひとであり、かつ虫である」ものとなる。ここに、人と虫という共立不可能なものが共立する、肯定的矛盾が形成される。その上で、「人でも虫でもない」ものが作る痕跡を残すのであるから、ここに人と虫の否定的矛盾が形成されることになる。だから、肯定的矛盾と否定的矛盾の共立によって、トラウマ構造が形成される。p135
#ストリートスナッパーは傍観者であり、なおかつストリートそのものである。ストリートは全てが等価でありつつも、被写体は特別である。

・その痕跡は、人でも虫でも無いものによる痕跡である。そういうものを作らなければ。人と虫の強度は脱色されない。p147-p148
・痕跡とは、「そうであった」ことが遡及的に推察されるものだ。何がその痕跡を残したのか、「わたし」は知らないものの、原理的にその痕跡を残したものは存在している。それが痕跡の前提になっている。マンモスが残した足跡は、「マンモスの足が地面を踏んだ」という事実を絶対的な真としながら、しかし過去のことであるから、「わたし」はそこに漸近するだけで、原理的に知ることができない。痕跡においては、絶対的な真が、認識可能な世界の向こう側に隠されていることになる。p148
#ロラン・バルト「それは、かつて、あった」=写真のノエマ。

・対して、私がここで作ろうとする痕跡は、過去を持たないのであるから、そのような絶対的な真をもたない。p148
・つまりそれは、純粋な「痕跡」だ。p149
・デジャブとは初めての場所で「ここに来たことがある」と感じる体験のことだ。p149
・過去によって根拠づけられない記憶、という意味で、純粋な「記憶」なのである。p149
・純粋な「痕跡」も同じことだ。それは過去を持たない記憶の実体である。過去を持たずに現存する実体、それは、人と虫の肯定的矛盾と否定的矛盾を共立させる形において、外部を召喚するものであり、決して閉じていないものである。過去を持たず現在においてのみ存在し、外部を召喚しつづける存在、つまりそれは、もはや生き物の痕跡ではなく、生き物それ自体ではないか、と思われるのだ。p149-150
・この全体の光景を、私はひとり写真に収めた。私において、一個の全体が完結し、「作品化」した瞬間であった。p150
#生き物それ自体ではないかと思う≒外部を召喚した作品化≒脱色
中平卓馬と森山大道「記録/記憶/擦過」。

・こうして存在は、生成なのだと転回されることになる。p167
#この下りは、制作や展示によって「やってくきた」ものなのだが、非常に当たり前に読んでしまったので割愛。

いろいろな作家の“脱色”の方法論に興味がでている。
だからこそ「アートレス」を眺めている。
方法論としては、反復、ズーミング(よる・離れる)、モノクロ化が考えられる。
だから写真はいいと思うのだ。
どっとはらい。

2023/11/20 10:46

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