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おすすめの【本】‐読書メモ

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仕事柄、日々いろいろな本を読んでいます。幸運にも出会えたおもしろい本をご紹介します。
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#レンマ学

潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 精神の考古学。 私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか。 私たちが日常的に経験している「心」は、よい/わるい、好き/嫌い、ある/ない、真/偽、結合している/分離している、同じ/異なる、自/他、といった二項対立を分別するようにうごいている。通常「心」というと、こういう識別、判別、判断を行うことが、その役割であるかように思われている。 しかし、こういう分別する心、分別心は、いったいどこからやってきたものだろうか。

三人組の浦島太郎は世界を創造したあと猿になる -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(48_『神話論理2 蜜から灰へ』-22)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第48回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができますが、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。 則ち、神話的思考(野生の思考)とは、図1に示すΔ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言うために、β

二匹のホエザルから二匹のピラルクへ。あるいは電気ウナギと魔法使いの娘の結婚 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(47_『神話論理2 蜜から灰へ』-21)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第47回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 はじめにこの一連の記事では、弘法大師空海が曼荼羅でモデル化したことと、レヴィ=ストロース氏の『神話論理』に集められた神話の構造とが、同じような姿をしているのではないか。ということを考えている。 空海の曼荼羅、胎蔵曼荼羅の中央に描かれる中台八葉院は大日如来

うちそと あるない -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(46_『神話論理2 蜜から灰へ』-20)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第46回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 うちとそと、あるとない 内/外 有/無 うちとそと、あるとないの区別は、生きているわたしたちにとって、あまりにもあたりまえのことのように思える。 「わたし」は、この体の「うち」から、「そと」のものやひとやあれこれを眺めているという感じがする。 「

人類の”心”のアルゴリズムを解き明す神話論理×十住心論 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(44_『神話論理2 蜜から灰へ』-18)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第44回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。 則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合する、と言うために、β1から

『神話論理』 ”外側が空っぽの木”の神話と空海『吽字義』の四つの字相 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(45_『神話論理2 蜜から灰へ』-19)

今宵の月は「十三夜」ということで、近所のシャトレーゼで購入した団子の13個セットを食べながら、以下13×10^3文字ほどでお届けします。 * クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第45回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。 則

野生の思考の核心にふれる/螺旋状に踏破する「心」 -β樹木のβ樹皮を纏ったβ老人がβジャガーに変身し… -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(43_『神話論理2 蜜から灰へ』-17)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第43回目です。今回はとてもおもしろいので(もちろん毎回おもしろいと思って書いていますが特に今回は特別に)どうぞお楽しみください。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 はじめに、下の図をご覧ください。 神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとし

「ある」の堅固さをふやかす食べ物の神様 -中沢新一著「哲学の後戸」を読む

中公文庫の一冊、中沢新一氏の『ミクロコスモスI 夜の知恵』。その中に「哲学の後戸」という論考が収められている。 なお中沢新一氏のミクロコスモスにはもう一冊ある。『ミクロコスモスII 耳のための小さな革命』である。 どちらもじっくりよみたい本である。 ◇ さて、「哲学の後戸」の冒頭はといえば、井筒俊彦氏から送られた手紙を中沢氏が読み返す話から始まる。 そこには「抜け出していく文体」とある。 言葉から言葉によって抜け出そうとする言葉。 言葉にはなりようもない事なのだ

意味分節理論とは(9) 人間たちにとって意味ある世界を発生させるアルゴリズムへ -ピエール・クラストル著『グアヤキ年代記』を読みつつ考える

ピエール・クラストル著『グアヤキ年代記』を読んでみよう。 クラストル氏といえば『国家に抗する社会』という本が有名である。 人類における社会関係の編み方のいくつもの可能性を考えさせられる一冊であり、政治思想の名著にも数えられている。 『グアヤキ年代記』でも、グアヤキ(アチェ)の人々の社会関係(子どもと大人、女性と男性、同じ部族の人と他の部族の人、生者と死者、人間と人間ならざるもの、などなどの社会関係)の組まれ方にふれることができる。それは現代のわたしたちの社会とは異なる「

¥550

『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』を読みつつ、前-科学的思考について考える

カルロ・ロヴェッリ氏の著書『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』が発売開始になったということで、さっそく入手してみる。 目次を眺めてみると、最後の章である第11章の章題が「前-科学的な思考」とあり、しかもその中に「神話-宗教的思想の本質」と書いてある。ここは自分の趣味に正直に、まずは第11章から読み始めてみる。 この本でロヴェッリ氏が問いかけ、呼びかけていることのエッセンスが、この第11章にも書かれている。すなわち、次の一節である。 確かさと、不確かさ 堅固な根と、宙吊

意味分節理論とは(6) 発生しつつある意味分節システムとしての「構造」 -レヴィ=ストロースの”構造"とは? 『今日のトーテミズム』を"読む"

◇ 『意識と本質』は井筒俊彦氏の主著の一つとも目される一冊である。 文庫本で約400ページにわたる『意識と本質』の最後には「対話と非対話」と題する論考が収められている。そこには次のようにある。 言語には第一に意味分節機能があり、第二に伝達機能がある。そしてこの二つの機能のうち真に重点が置かれるべきは意味分節機能の方である。しかし、そうであるにも関わらず、現代のコミュニケーションにおいては逆に伝達機能の方に「不相応な」重点が置かれてしまっている、という。 言語の「伝達機

"相互包摂"であらゆる「項」を両義的で中間的で媒介的にする ー 『今日のアニミズム』を読む

奥野克巳氏と清水高志氏の共著『今日のアニミズム』を読む。 (本記事について、twitterにて著者の清水先生に言及いただきました。 ありがとうございます。) アニミズムアニミズムと総称されるさまざまな思考においては、たとえば「人間」対「動物」であるとか、「人間」対「植物」、あるいは「人間」対「自然(鉱物から気候や天体」、さらには「現世に生きる人間なるもの」対「それ以外のもの(人間や他のさまざまなものの霊など)」といった二者の対立関係を立てた上で、一方が他方に変身したり、こ

¥240

縁起、レンマ、事事無礙で、表層と深層の意識の中間地帯を浮かび上がらせる -井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」を読む(5)

引き続き、井筒俊彦氏の「事事無礙・理理無礙」を読む。 (前回の記事はこちら↓ですが、前回を読まなくても、今回だけでもお楽しみいただけると思います) 「事事無礙・理理無礙」は井筒俊彦氏の著書『コスモスとアンチコスモス』に収められている。文庫本なので気軽に手に取ることもできる。 事事無礙とは、複数の事が、互いに同じではなく異なりながらも、妨げなくつながっている、ということである。このことを井筒氏が図に表したものが下記である。 AなりKなりというカタマリが、それぞれ何らかの

シンボルとシグナルの間でハビトゥス(あるいは言語アラヤ識)を建立する 【2021年の読書まとめ】

2021年に印象に残った文献(の一部)をご紹介します。 『梵文和訳 華厳経入法界品』 まずこちら『梵文和訳 華厳経入法界品』三冊である。 梵文から和訳されたものを文庫本で読めるというのであるから、たいへんなことである。 例えば、「深く法性を洞察し、生存の海から超出して、如来の虚空の如き境界にあり、人を束縛する煩悩とその習慣性を抑止し、その拠り所や住居に執着することなく、虚空の如き静寂に住まい…」((上),p.38)であるとか、「牟尼たちは、法界の無区別の極みに安住して