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おすすめの【本】‐読書メモ

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仕事柄、日々いろいろな本を読んでいます。幸運にも出会えたおもしろい本をご紹介します。
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2018年9月の記事一覧

言葉は本来、事物を獲得するために用いられる 読書メモ:『言語と呪術』(その3)

 井筒俊彦著『言語と呪術』。私たちのコトバの本性は「呪術」であるという。井筒氏によれば、呪術としての言葉には次の3つの階層がある。 1)意味という根源的な呪術 2)言語的記号による呪術の実践  つまり、まじない、呪文、祝福、呪い、宣誓、祈り、といったこと。 3)強烈な欲望や感情の自発的な呪術  欲望や感情は「きわめて中立的な言葉や小辞でさえ、ある特殊な仕方で様変わりさせたり、神秘的な力を帯びた何かにたちまち変容させることもできる」(『言語と呪術』p.88)  呪術と言

呪術が、身体運動としてのコトバに「論理」の装いを与える?! :読書メモ:『言語と呪術』(その3)

 言語は呪術である。  言語が呪術である、ということはどういうことか、井筒俊彦氏の書いているところを、とにかく参照しよう。 …人間本性のこの根源的統一性は、デカルトが主張したような<理性>の方向ではなく、まったく逆の方向に探求されるべきであるとする。   デカルトは『方法序説』の冒頭で、良心(つまり<理性>)はあらゆるもののうち人に最も等しく分配されているものであると書いている。しかし、人間本性に関心のある研究者たちは、残念ながらそうではないとい考えている。生まれながらに

あるべき世界と堕落した世界 読書メモ:アレグザンダー・ツォニス著『ル・コルビュジェ 機械とメタファーの詩学』

 ル・コルビュジェといえば、鉄筋コンクリートで柱と平面を構築し、その直交する組み合わせを積み重ね空間を切り分けていくという、20世紀の建築の雛形を作り出した偉人である。  そのル・コルビュジェの伝記がこのアレグザンダー・ツォニス著『ル・コルビュジェ 機械とメタファーの詩学』である。  何気なく手にとったこの本。ぱらぱらと読み初めて見るや、ル・コルビュジェは「カタリ派」の末裔であると書いてある。 ル・コルビュジェもまた、先祖と同じく楽天主義者であり、聖像崇拝を否定し、そし

旅の思い出を語り合うことこそ−読書メモ:『古代文明アンデスと西アジア 神殿と権力の生成』

  しばらく前に大流行したユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』。私たちにとって当たり前の環境も、なんらかの経緯を経て、当たり前になるほどにまで作り上げられたものである。  現在の私たちがどういう歴史を経て、いまこの世界、人工的な環境に作り変えられた世界を獲得するに至ったのか?  それは単純には答えられない、それでいて問うのをやめられない、問題のなかの問題といったところだろうか。その手の人類の歴史に興味がある方におすすめしたいのが関雄二著『古代文明アンデスと西アジア

真似をすれば他人のことが分かる?ー読書メモ:『ソウル・ハンターズ−シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』その2

 人間と動物。人間/動物。人間 対 動物 「人間」と「動物」はまったく別々のものである・・・のだろうか? 人間は最初から最後までずっと人間であるし、動物もまた最初から最後まで動物である・・・のだろうか? 人間と動物の区別は絶対的・・・なのだろうか? 狩猟者が獲物である動物を模倣するとき 『ソウル・ハンターズ−シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』によれば、シベリアの狩猟民「ユカギール」の狩猟者は、獲物をおびき出し、仕留める時、獲物である動物の「真似をする」という。

沈黙する声の意味を聞き取る−読書メモ:井筒俊彦『言語と呪術』(その2)

 世間を綱渡りしていると、よく耳にするのが、「言語はコミュニケーションの道具である」という言い方。 ・わかりにくい表現をしていてはビジネスにならない。 ・誰にでもスッと伝わる、端的で明瞭な言葉で書き、話そう。 ・わかりにくい言い方をするのは失礼。  などなどと。煎じ詰めると「みんな」が予め知っているであろう意味の範囲に閉じ込めて、言葉を繰り出すべきである、というアドバイスによく出会う。学校でも、就活でも、そしてもちろん社会に出てからのあらゆる「○活」でも、よく聞かされる。

「自分は素朴実在論者だった」と気づいたきっかけと、その後

人間というものは、物心がついた時点では、素朴実在論者なのだろうか。 もちろん、3歳くらいの子供が「私は素朴実在論者である」など考えることは極めて稀だろうから、あくまでも他の人が外から子供の言っていることを観察した場合に素朴実在論者であるかのように見えるかどうか、という話である。 そもそも「○○論者」というのは全て自称である。自分で、自分のことを、「自分は○○論者だから」と言えば、それでもうその人は○○論者なのである。 もちろん「公式○○論者資格認定試験協会」のような組織

読書メモ:井筒俊彦『言語と呪術』(その1)

 先日の『ソウル・ハンターズ』と合わせて読みたいと思い、井筒俊彦著『言語と呪術』を入手した。  『ソウル・ハンターズ』についてはこちらのnoteでさらりと触れたが、ポイントは言葉には、論理的で科学的なものから、俗に言う迷信や呪文のようなものまで、大きく異なるモードがあり、異なるモードで言葉を使用する人の間で「翻訳」をするのは至難だ、ということである。  厄介なことに、表面的に聞いたり読んだりできる単語、形態素の相貌からは、それがどのモードにあるのかわからない。  ある単語

読書メモ:『ソウル・ハンターズ−シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』

 レーン・ウィラースレフ著、奥野克巳氏らの翻訳による『ソウル・ハンターズ』を読む。  まずのっけから軽快なのは、狩猟を生業とする人々のものの見方を論じ始める前に、それを論じようとしている人類学者の側のものの見方をゆさぶってみせるところである。  問に付されるのは、近代以来の西洋の科学の一分野である人類学が大前提としてその思考に持ち込みがちな「デカルト主義的」な精神と肉体の完全な区別である。  狩猟を生業とする人々は「自分は狩猟対象の動物と同じだ」と語ったり、「狩猟対象の