見出し画像

「いい文章」とは他人の目を抜きにして「自分が心から『いい!』と思う文章」のことをいう

昨日ツイッターに・・・、

といったことを書きましたが、、noteではこの真意について詳しく書きたいと思います。

いい文章とは何か?

まず「いい文章」の定義についてですが、、それは「自分が心から『いい!』(=『イケてる!』『面白い!』『楽しい!』)と思う文章」こそが「いい文章」で間違いありません。

普通「いい文章」って言うと、「人に評価される文章」と思うと思うのですが、、「何をいいと思うか」なんて、本当に人それぞれだからです。

例えば僕(本の企画・制作会社である編集プロダクションの編集者)の仕事は、【本を企画して → 著者さんに執筆依頼に行き → 執筆に承諾いただけたら → 発売元となる出版社を探すべく営業周りに行き → 採用された本を編集する】というのが一連の作業なのですが、、

(これ大体、普通の出版社付の編集者の場合、自分が提出した企画を審査する人が上司一人しかいないためなかなか気づけないのですが)僕が知っていることは、「ある程度の水準(=僕が「これは売れるでしょ」と思っている程度の水準)にある企画は、何社かに断られても必ず通る」ということです。

これどういうことかというと、、

「何を『いい!』と思うかなんて、本当に人それぞれ」

ってことです。

より具体的に言うと、僕の担当書の中では、9万部を突破したプロゲーマー梅原大吾さん著の『勝ち続ける意志力』(小学館)や、29万部を突破した『世界一美味しい煮卵の作り方』(光文社)などの企画は(というかそれ以外の企画のほとんどがw)、当初、結果的に発売元となってくださった出版社以外に企画を持ち込んでいて、、そして箸にも棒にもかからず否決されているのです。

つまり、それらの企画を否決した出版社の編集者は、それらの企画を「よくない」と思っているわけです。

でも結果2冊は9万部と29万部をそれぞれ突破した・・・。

いかに「人の『いい!』という評価基準」が怪しいか、ということです。

ここまではどんな企画を人が「いい!」と思うかの話でしたが、、文章の話にしても完全に一緒です。

こちらも具体的に言うと、、例えば僕は、出版社に原稿を納品する会社である編集プロダクションションの編集者なので、、僕が本をつくるとなると、出版社側の編集者さんも、その本の担当編集として立つことになります。

つまり(これは珍しいことですが)編集者二人体制で本の制作に当たることになるわけです。

この時にわかるのが、「どんな文章をいいと思うかなんて、ほんと人それぞれw」ということです。

もう話はおわかりかと思いますが、、著者さんかライターさんが上げて下さった原稿に、編集者が二人で同時に赤入れをする場合、、赤入れする箇所が全然違うのですw

また、赤入れし合った箇所を見ると、お互いに「そこ変える必要あるか?」とかって思ってたりしますw

面白いのはその先です。

そうやって編集者二人体制で生み出された文章の場合、、「世間はどう評価するか?」の答え合わせができるのです。

どういうことかと言うと、本が発売になった後に、アマゾン等にレビューが寄せられるので、、「自分がいいと思っていたところがどう評価されているか?」、あるいは「自分がよくないと思っていたところがどう評価されているか?」がわかるのです。

つまり、「文章のプロ」(であるはず)の編集者ですら、、何をいいと思うかは、「完全に人それぞれ」で、、

そんな「文章のプロ」(であるはず)の編集者達が、何を基準にして「いい文章か悪い文章か」を判断しているかと言えば・・・、それこそが

「その文章を“自分自身が”いい(=面白い! 興味深い! 楽しい!)と思うか思うかどうか」

なのです。

であるとしたら、「書く側」にとっても、「自分が心から『いい!』と思う文章こそがいい文章」なのです。

※ 話を続ける前に先に解説しておくと・・・、「誰かにその文章は良くない」と言われたとしても凹む必要はありません。なぜなら「何をいいと思うかなんて人それぞれ」なのですから。ただ「担当編集に評価されないと食べていけない問題」に直面している人もいると思いますが、僕が思うに「人はそうそう(文体などの)文章を変えられるものではない」ので、生産性のことを考えると、他にその文章を気に入ってくれる編集者はいるはずなので、、なるだけ早くに文章に大量に駄目だししてくる編集者から離れ、乗り換えられることをおすすめします(商業誌(やメジャーなウェブサイト)に掲載されるような文章を一度でも書いているレベルの人の文章は、ほぼ必ずどこかに気に入ってくれる編集者がいるレベルの文章と思います。僕も本の企画が否決された時は、「そっか、この良さがわからない人だったか・・・」とだけ思って、無感情に次の編集さんに企画を持ち込んでいますw)。

“心から”「いい」と思えるところまで高めなさい

ただここで大事なのは、

✕ 「いい文章」=「自分がいいと思う文章」

ではなく・・・、

○ 「いい文章」=「自分が“心から”いいと思う文章」

だということです。

つまり、その文章を自分が”心から”「いい!」と思っている(あるいはそう思えるところまで高める)ことが重要です。

「自分が基準」というのは、その裏に「自分と似た感性をもった人が膨大にいる」という前提に立つということです。

であるとしたら、「自分が”そこそこ”いい」という程度にしか思っていない文章に対してはやはり、その裏にいる(はずの)「自分と似た感性を持った人達」の多くが、「”そこそこ”いい文章だな・・・」程度にしか思ってくれないという状況が生じます。

だから、「自分の感性に嘘はついてはいけない」のです。

だから、「いい文章書くには推敲を重視しなさい」という話になります。

「推敲」とは、一度書いた文章を何度も読み返し、「自分が最も『いい!』」と思えるところまで、その文章を書き換え続ける作業です。

「推敲」を徹底すれば、僕は誰もが最高の文章を書けるもの、と考えています。

「いい文章」を書くためには、「推敲 is KING」なのであります•̀.̫•́✧

編集集団WawW! Publishing 乙丸益伸が記す


ツイッターでもライターさんや編集さんのお役に立てそうなことを書いています↓↓


乙丸担当最新刊↓↓


編集集団WawW! Publishingの公式note。現在、映画監督・紀里谷和明著『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』(文響社刊)の関連記事を公開中。