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TV電波メディアアート 禁じ手の「月曜映画」〜大塚恭司監督作品「東京アディオス」公開

00年代のアンダーグラウンド TVというメインカルチャーのなかのカウンターカルチャー。知っている人は知っているTVタイトルとそこから始まる話。

90年代ビデオアートを始めた時、映像作品を発表するところが少なくて中谷芙二子さんのSCANが新作公募が終了してから唯一日本ではイメージフォーラムでビデオ作品を発表していた。そこでは多くの作家が、アンダーグアラウンドフイルムの流れにあった、劇映画や短編映画の文脈でビデオ作っている人が多数派だった。その中で、ビデオアートに軸を置いていた作家は少数で、それだけで関西でも交流を持ったりした。現在IAMASの教授の前田真二郎くん、その後音楽家レイハラカミとしてブレイクする前の原神玲くんがいた。
映画・演劇とつながり個人の心象風景を描くイメージフォーラムの深い作家の中で、ノイズ・アンビエントなどと言ってる自分と前田君だけがしゅっとしていた。見た目もしゅっとしていた。フイルムの代用ではなく、テクノの音楽の延長線にある”ビデオ”アートにこだわっていたので、映像にフイルムっぽくノイズを足したり、スクラッチを入れたりする手法は即物的にかっこよく装飾する安易な手法としてやらないと決めていた。

深夜映画番組のタイトル
その前提があったなか、2000年を少し過ぎた頃、私の親会社の東北新社が映画を提供している縁から、日本テレビ深夜映画の編成ディレクター&プロデューサーの大塚恭司氏を紹介された。深夜で映画を放映する枠のオープニングタイトルを作るクリエイターを探しているとのことだった。のちに「月曜映画」として9年近く放映される番組のオープニングだった。大塚氏のイメージでは最初K-1のタイトルのように、ノイジーで外連味のある表現をできる人を探しているとのことで、自分よりも、後輩のグランジ系、グラフィティ系モーショングラフィッカーのニックスミスの方が適任だと思ったが自分が紹介された。会社的に重要な顧客だった。

大塚氏は、よくいるテレビのディレクター・プロデューサーと雰囲気もオーダーも違っていた。封筒に入った、シノプシスという形で大塚氏から渡された依頼書みたいなのには文章で「暗闇の宇宙、無の世界から一粒のカプセルが飛んでくる、そのカプセルが弾けると中から血が飛び出す、、」というようなことが書かれていた。追ってイラスト素材が来ますと言われ、丸尾末広氏の描き起こし原画が来た。テレビのタイトルバック依頼でこのような形は初めてだったし、血、胎児、丸尾末広氏の素材、どれもテクノ、ビデオアートの当時の自分のテイストとは対局にあったので逆に面白がった。

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CGを頼むため会社に持ち帰ると、大塚氏の依頼にある「カプセルから血がとろりと流れる」というCGの流体表現にそれだけで2、3週間かかると言われてめんどくさがられたが、その中で後に一緒に多数の作品を手がけることになるゲーマーのCGクリエーターF嬢だけは面白がってくれたので、流体が難しければいろんな形状を短く静止画で作って切り刻んで形にしょうと盛り上がった。不自由さや不可能なことの解決を外の切り返しで乗り越えてゆくやり方を、まだ十分でない機材でなんとかしなければいけない時代に当然のように体得していた。

クライアントがAという表現を希望して来た、それには予算も技術的にも無理だから、逆にAを依頼した理由の本質を考えて、同様なBを提案する。より上位レイヤーでの代案。いまビジネス書に普通にありそうなことを必然的に毎回やっていた。

禁じ手全て解禁とオリジナリティ

作品の表現も、自分だけの企画作品や自分のアート作品であったら、表現の必要性などにこだわったりしてこれは出来ないし、CMなどでも別の意味で自由にできなかったが、この場合はある種、「表現の意味の責任」を大塚氏に委ねた自由でどんどん悪乗りして作って行った。禁じ手にしていたフイルムノイズ、スクラッチなどなどガンガン全部逆に載せてゆき、しかし、グラフィティ系とはまた別の異色の作品が出来上がった。音楽も日本のトランスの草分け的存在のMASA氏のKinocosmoというバンドの音源が指定された。のちに、MASA氏はいつも商業音楽でお世話になっていた作家と同一人物であることが判明した。いろんなピースが渦のように集まってどんどん作品が完成してゆく。制作しながらアドレナリンがでた。真摯な悪乗り。久しぶりに作品ができてゆく時に鳥肌が立つ感覚。

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放映されると、大塚氏のセレクトした硬派な映画に、トラウマになるような異色のオープニングがついた映画番組「月曜映画」は、深夜にふとしたことからTVをつけた人たちが「なんじゃこれ」と少しずつ話題になってきた。夜中に何が巻き起こったのか、この映像はなんなのか、これから流れる映画とどう関係があるのか。少しずつ話題になって来た半年か1年くらいしたころ大塚氏は、新たなる第二弾を投下して来た。エンディングムービーである。
深夜映画劇場に、映画のクレジットではなく映画劇場枠のエンドムービーがつくのである。そして、大塚氏が自費で撮影して来たタイのニューハーフダンサー、ナッタコムクラオ氏のダンス素材16mmフイルムを起こしたものを2本託された。「血のカプセルが空襲のように降り注ぐ中、陰と陽、闇と光の中間的位置で踊るダンサー」(指示書より)。
もはや大塚氏との電波を発表の場にしたアートコラボレーション、異種格闘技戦の様相を呈していた。

ところで映像に入れる文字素材を、パソコンから自由に選んで打って使ってくださいというのが当時から嫌だった。今は、書体権利などのラインも明確になって来たけど、調べるの大変で、権利が大丈夫でもカーニングを整えて打つのも大変だし、その割にはいいフォントがない。そこで、昔8mm映画入門などでみた「レタリング」という分野があって、ポスターカラーで黒い紙に筆で文字を創作する人がいるという記憶から、これもまた血の流体同様、別の切り口で解決。テレビ局にまだその職人さんがいるのならお願いしようと提案した。深夜に投下されるエンディングムービーのクレジットに「文字 横溝力」が加わった。横溝氏はOAの時間は起きてられないから観ないとのことだった。

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カルト化

完成したエンディングも独特のものになった。CMでもレトロ特撮みたいなテイストは時々あったが、「月曜映画」OPもEDもレトロテイストをわざとやってる部分とオリジナリティの部分が絶妙で結果的に観たことのない作品になっている。
テイストがマッチするグランジ系のニックスミスでなく自分が担当したこと。作品としてのコンセプトは大塚氏にゆだねて、その手のひらの上で自由に暴れたこと。さまざまな要素が重なった。
エンディングムービーも電波で投下されたのち、深夜にこれは「わざとやっているのか、本気なのか?」とじわじわカルト的に話題になってゆき、mixiのコミュニティが出来たりして、曜日や形態を少しづつ変えながら、2009年頃まで流れていた。深夜だからオープニングだけ観たら寝るといってくれる人もいた。終わりのカットでアニメの「また見てね」みたいな丸ワイプにして中に入れる絵をランダムに変えた。「今日は猫だったね」と終わりまで観ていた知人からメールが入ったりした。いまでも検索すると多少当時の反響が出てくる。毎週その日の放送の映画名を焼き込む作業があったので、2周年の時に勝手にカプセルを2つにしたアニバーサリーバージョンをつくって密かに納品し、自分でオンエアでそれが流れるか確認した、大塚氏は笑って「頼んでないのに作ってくるからね」と言っていた。最初ダークなテイストは自分とは違うと思っていたがいつの間にか自分を筆頭に関係者全員が作品を愛していた。大塚氏に「これいつか売りたいですね」と言ったら静かにそれは実現された。

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破壊と創造 KINOCOSMO) 

その後、大塚氏とは女王の教室シリーズなど何作かコラボレーションをしたあと、2005年にアップリンクが渋谷の中で新しく移転してギャラリーができると、会社にモニターと設営を援助してもらい会場費を自身で少し持ち出して大塚氏との作品や原画を展示する個展を開いた。この時、展示用の個展用のプロフィールで大塚氏がMrマリック氏をあの有名なArt Of Noiseの曲で世に送り出した人物であることを知った。大塚氏とは、日本テレビに持って来た岡本太郎の壁画「明日の神話」などでさらにいろいろやるのだが別の機会に。テレビと番組のオープニングに関わる機会も減ったが、大塚氏はレスペクトする年上の一人である。どちらかというと大きな組織、メインカルチャー側にポジションがありながらマインドと姿勢がエッジ側にあるところで共感があるのかも。

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東京アディオス

さて、微妙な過去の2002〜2009年のTVというマスメディアでのアートコラボレーションともいえる経緯を、いまこのタイミングで整理したのは、しばらくご無沙汰していた大塚氏から連絡があり、「映画を作ったから試写会にきてくれ」とのこと。突然ショートメールがあり、日にちを合わせて渋谷の小さな試写会場でMrマリックさんの隣で観た。恐縮にも試写コメントに名前を連ねさせていただいた。大塚氏の攻めた姿勢は当然健在で、デートで観に行くと気まずくなる内容。だけど女王の教室シリーズをはじめ民放ゴールデンのドラマを何本も手掛けてきた安定感のあるやんちゃ。煩悩の108分。

月曜映画のOPはきっと誰かがあげたものがYouTubeにあるかな。

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#月曜映画 #東京アディオス #大塚恭司









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