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手帳開くともう2年たつなぁって


自分が好きなグループとの関係性を恋愛に例えたらしっくりきた。これよこれ!とひとり感動までした。最近、彼らのことをまっすぐに「好き」言っていいのかわからなくなっていた。サブスクのおかげでCDは買わなくなったし、サブスクのおかげで聴く曲の幅も少しだけ広がった。昔の、CDを買ってウォークマンに入れてひたすら同じアルバムを聴きまくる、ということはめっきり少なくなった。

いや、ひたすら同じアルバムを聴きまくるのは今でもやるけれど、昔ほどの熱意はない気がする。中学生のときは、朝家を出る前に余った5分で「よし、時間ある!」と1曲を厳選し聴き、良い気分になってから学校に行っていた。今では朝の電車の中で聴き流してしまっていることが多い。気合いを入れたいときは厳選して聴くけれども。あれ、あんまり変わっていないかも?けれども、なんとなく昔の自分とは違う気がしている。良くも悪くも大人になったと感じる。

私が変わったのと同じように、彼ら彼女らもまた変わっている。それは聴いていてよくわかる。曲調も声も歌い方も、込められているであろう気持ちも、音源を通してもわかる。生きてる。彼らも彼女らも私も、かっこよくてもみっともなくても必死に足掻いて生きている。このことに気がつけるということは、やっぱり好きなんだろう。友だちとも恋愛とも違う、けれども確かに「好き」がある。憧れ、が近いのかもしれない。ここまで拗らせると一種の宗教のようにも感じる。

そうだ、私の中の彼ら彼女らへの感情は「信仰」だ。関係性を考えるには恋愛がぴったりだけれども、そこに恋愛感情は存在しない。相手に近づきたいとも、私のことを知ってほしいとも思わない。雲の上の存在でいてほしい。遠い存在だからこそ、安心して追いかけられる。手放しで好きだと言うことができる。

ひとり納得して満足。ではない。もっともっとぐちゃぐちゃしてどろどろした感情が私の中に流れている。言語化できずにいる想いがある。これからもこの感情とともに生きていく。まずはほんの少しでも言葉にできたことに祝杯を。自分を甘やかしていきましょう。

最後に、私と彼ら彼女らとの関係性をご覧ください。


○GalileoGalilei(好き歴13年、途中約5年離れてた)
付き合って3ヶ月くらいの、1番楽しい時期。ライブで何の曲がきても、何も考えずにそのまま受け取ることができる。楽しいが先行して考える暇がない。ライブが終わって落ち着いてからセトリの意味の考察が始まる。好き歴は1番長いのに、ライブに初めていったのが最近だから感情は1番新鮮。離れてた時期は彼らの主張が強すぎてちょっと苦手になってしまっていた。

○M!LK(オタク歴5年)
付き合って3年くらい。一通りの経験はして、飽き始めている。倦怠期。一緒にいて楽しいけれど、新鮮味がない。ライブ中でもがっつり考察するし、あの人いま疲れて手抜いたなってわかる。嫌なオタク。昔のでっかい牛を目指してた時期が好き。最近は牛コンセプトがなくなってただのアイドルになってて悲しい。ただかっこいいだけのアイドルになってほしくない。でもたまに熱が出て狂ったように曲聴いたり動画見たりする。でもライブ行く。

○超特急(オタク歴6年)
付き合って5年くらい。だけど途中で1回別れてる。復縁。昔のコンセプトがまだほんのり残ってるから許せる。かっこよさに比重が偏りつつ、本来の意味分からないトンチキも残していて良い。少しの寂しさはある。セトリ予想がだいたい当たる。新メンバー加入による新鮮味もありつつ、やっぱりなと思うことも多々ある。まさに復縁。でもライブ行く。

○ukka(桜えび〜ず)(好きだった時期20〜23歳)、goosehouse(好きだった時期14〜22歳)
完全に元彼。過去の良き思い出。好きだった頃の曲は今でもよく聴くし今でも大好きだけど、新曲や現在の活動を追う意欲も興味もない。Twitterをフォローしてるから情報だけは入ってくる。嫌いじゃないけど好きでもない。彼ら彼女らが幸せならそれで満足。

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