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腹八分目

 「もう、お腹いっぱいだよ・・・」という状況を、読んでるみんなは想像してみて欲しい。それも、可能な限りたくさん摂取したという状況で。別にそれは何だっていい、ラーメンでも焼肉でも寿司でも推しでも何でも。そんな状況を浮かべながら、少し嫌な気持ちになっては無いだろうか。そう、これがメンタリズムです。と意味のないボケは置いておいて、本題に移る。

 どうして腹八分目と中途半端なんだろう、たくさん摂取できればできるほど良いじゃんと私は今まで思っていた。そう、幸福度と摂取量は比例するものだと思っていたのだ。ただ、世界ってのはそうはいかないものらしい。全てを他に任せて「ええい、ままよ!」と飛び込んだところでいい結果が生まれるものではない。自分の中のエネルギー総和を他者に任せる部分と自身で扱う部分を上手く調整する必要があるようだ。いくつかの失敗を経験したことで、八分目というのは実に的を射た言葉なんじゃないかと考えるようになった。そのいくつかを書くことにする。

 まず酒での失敗。何を隠そう、私はこうみえてお酒をよく飲む。今も右手にハイボールを持ちながら書く内容を考えている。ちょうどよく酔った状態は何となく分かるのだけれど、楽しくなってしまってそこで歯止めがきかず、いつもギリギリまで飲んでしまう。そうして次の日を無駄にすることに繋がっていく。多分、お酒側としてもギリギリまで飲まれることを想定しておらず、八分目くらいでちょうどよく酔ってちょうど良く楽しまれることを想定しているだろう。だからこそ二日酔いという装置が存在しているのだと思う。お前は飲みすぎだとお酒さんがキレた結果が二日酔いなんだと思う。今後は自身で上手くコントロールすることで、八分目で留まれるように成長したいものだ。

 次に人間関係での失敗。生きることに希望を見いだせない私は、他者に必要とされることをかなり嬉しく思う。何かを質問されるといった小さいことから、誰かの生きる希望となるといったような大きいことまで。大小あれど、限界まで誰かの役に立とうとするきらいがあることから、自分ための時間をその分失ってしまう。そうすると、最終的に自分に余裕がなくなってしまい、世界との拒絶を始める。その結果、自分を守ることに精一杯になり、他者を傷つけてしまうことになるのだ。敵意のない人間やあまつさえ好意のある人間も傷つけてしまう。よくないなこれという考えや気持ちがあるため、なおさらだと思う。生きる希望はすぐには見いだせないにせよ、自分が自分として生きていることには誇りを持てたらな。そうすることで、他者と丁度いい距離で生きることができるようになるのだろう。そして、人は一人では生きていけないため、その丁度いい距離感が八分目に当たるんだろう。なんだかハリネズミのジレンマみたいだなと思う。もしかしたらハリネズミは自己肯定感が高く、丁度いいを弁えているのかもしれない。

 他にもやりすぎたと思う失敗はいくつかあると思うが、すぐには思いつかないので、これくらいにしておく。本文に書いたようなやりすぎたと思うことに関しては、手前の方で留めておけば良くない結果にはならなかったんだろうなと思う。

 自分にとっての八分目を見つけて、そこで生きていけたらいいな。みんなも、いろんな場面で八分目を実践してみてね。それかハリネズミになるのもいいかもしれない。何にせよ、自分にとっての安らぎの場所にいることが大事と思う。以上。再見。

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