見出し画像

更級日記の少女

 4月ごろは週1くらいでnoteを投稿していたのに、最近はあまり投稿できていない。何かしら投稿しなきゃなと思いつつも、特に書くことがなかった。というよりも、自分にとって人の目に晒すことのできる上限と下限みたいなものがあって、その中に存在する出来事を持ち合わせていなかった。そういった背景もあり、今回はわりかし思いつきみたいなもので最近考えていることを書いていく。

 みんなは夢を持ってる?ある職業になりたいといった現実的な夢や石油王と結婚したいといった非現実的な夢、もしかしたら超能力が手に入るといったような漫画やアニメの世界でしか起こり得ないはずの夢を思い浮かべた人もいるかもしれない。私は現実的でない夢を見ることはない。正確にはなくなったということが正しいのかもしれない。色んな考えをもった人との関わり合いや現実に起こる理不尽などを総合して考え続けた結果として、飛躍した大きい夢を成し遂げるのは難しいと知った。どれだけ輝いてみえても、その裏には地続きの道が必ずある。

 地続きの道があると分かっているなら着地点を決めてその道に進めばいいのではないかと思うかもしれないが、おそらくその道の切れ端みたいなものが、オープンワールドの見えない壁のように必ず存在しており、伴って私の命の範囲で成し遂げられることも限られているのだと思う。そうなると、下手に夢を持つと成し遂げられずに人生を悔やみながら死にゆくのではないかと思ってしまう。よって、切れ端より内側に存在する実現可能性の高い現実を考える方がまともなのではないかと考える。やらぬ後悔よりやる後悔というが、その2択ではなく、そもそも後悔を存在させない、もしくは後悔量を減らすという択である。後悔可能性が一定量存在するなら、そこに期待しない方がマシだ。

 実現可能性の高い現実へ向けて着実に積み重ねることを繰り返していくことにより、徐々に高度な現実が見えてくると思う。いうなればドラクエのようなもので、ストーリーが進行していくにつれてボスの姿形や実態が浮かび上がっていくように、実現可能性のある現実をこなし続けることで、大きい現実にも立ち向かえるようになると思う。最初から大きい夢に耽る人間は、自身のレベルが低く、あまつさえ相手のことも知らずにラスボスに挑戦するようなものだ。

 どうせ今後生きていくなら後悔を感じる記憶が少ないまま生きていきたいし、いつ死を迎えるとしても、少ないまま迎えたい。その方が素直に死を受け入れられそうだしね。あーあ、サマージャンボ当たんないかなあ。目指せ億万長者。以上。再見。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?