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グリーンカードがもたらしてくれたもの ハワイ編

宇佐和通です。連続15週投稿ということで、前回と今回いつもとはちょっと違ったテイストのお話をさせていただいています。僕自身のアメリカ生活についてです。

2005年にロタリーでグリーンカードに当選し、カリフォルニアのアーバインという街で移民生活を開始しました。40歳過ぎてのチャレンジでもあり、エキサイティングで楽しい時間でした。

カリフォルニアで暮らしている間は、可能な限り旅行しました。オレゴンやアリゾナ、そしてネバダには車で行って、ワシントンやハワイ、そしてバージニアには飛行機で行きました。

そして旅行を続ける中で、徐々に「引越しもありかな」という気持ちが芽生えてきて、今度は本気の家探しという目的でもう一度気になる州を巡ってみることにしました。

最終候補に残ったのはハワイ、ワシントン、アリゾナです。それぞれ魅力的なポイントがあって迷ったのですが、ハワイに決めました。日系社会のしっかりとした存在が感じられて、どこか昭和感もあり、懐かしくて暮らしやすそうだったからです。

ハワイで暮らし始めてから、新しいチャレンジをしてみることにしました。ボディーボードです。本当ならサーフィンなのでしょうが、マリンスポーツとはほど遠い人生を送っていたので、まずはボディーボードからと思って始めました。

これが本当に楽しいんです。最初はまったくできませんでしたが、帰国する頃には波の上でターンできるようになりました。そこまでになるにはかなりの練習が必要だったので、クラゲが出たり、波が異常に高い日以外はほぼ毎日海に入っていました。

僕たちが通っていたのは、ホノルル動物園の前のクヒオビーチで、通称ウォールと呼ばれているポイントです。
ほぼ毎日通っていると、ほぼ毎日会う人たちがいます。そのうちに目が合うと会釈をするようになり、次の日は少し近づいて挨拶するようになり、そうなると、波を待っている間にいろいろな話をするようになります。

当時40代半ばだった僕が一番仲良くなったのが、当時70代半ばの日系ハワイ人のおじさんたちです。結婚とは、仕事とは、友情とは...。本当にいろいろと含蓄がある話をしてくれて、英語運用力がぐんと上がりました。人生に必要なことの一部は、ハワイの海の波間に漂っているにちがいありません。これは経験則的に真実であると言い切ることができます。

それと、時間の流れ方が他の場所とまったく違うので、最初はペースを落とすのに苦労しました。でも、長い間住むうちに馴れてくるものです。ハワイに住んでいるときに一時帰国すると、東京のどこを歩いていても周りの人たちにぐんぐん追い抜かれている自分に気づきます。どちらがいいとか、どちらが悪いといっているのではなくて、かなり違うということを強調したいだけです。

ニュージーランドとオーストラリアにも住んだことがありますが、やはりハワイが一番良かったかもしれません。ただ、そこそこの期間住んでいると、行くところがなくなります。ローカルの人たち(ボディボードの師匠たち)も、しばしばラスベガスに飛んでいました。ラスベガスって、ハワイ人がかなり多いんです。

一定以上の期間を外国で暮らしていると、日本の良さがわかるというのは本当でした。日本人の良さも改めて実感しました。留学時代やワーキングホリデーの期間も含めると、62年の人生のうち10年を外国で過ごしました。まあ、ある程度バランスの取れたものの見方や考え方ができるようになったと思います。

すべての人にあてはまるとは思わないので、それほど力は入れませんが、やはり、外から自分の祖国を見たり、祖国を飛び出して何もかも違う場所で一定の時間を過ごしてみるというのは、行ってみれば芸の肥やしになります。そして、ちょっとだけ魅力的な人間になれると思います。それは、体験が自分の脳裏と体に刷り込まれるからです。

自分でさえ思ってもみなかったことをしてみるという時間は誰にとっても必要なことなのかな、なんて思います。すれば必ず何かがもたらされるし、しなかったからといって何かが奪われるわけはありません。よく、「何かをしてする後悔よりも何かをしなかった後悔のほうが大きい」みたいなことをいいますが、僕の場合、これは本当でした。だから、今でも考え続けて泳ぎ続けて、そして試み続けています。

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでまたお愛しましょう。


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