見出し画像

孤独死の恐怖

 先日、ローカス先生がツイッターでこのようなことをおっしゃっていた。

 僕は瞬間的に「何言ってんだこいつ」と思って「人生順風満帆なお前にはわからんだろうな」と言ってしまったのだが、わかり手師匠の次のツイートで、ローカス先生が孤独死をどのように考えているのか少しわかった気がする。

 ローカス先生はおそらく、豊かに生きているという物語の中で、「死の瞬間だけ一人で、死んだことに1週間、2週間誰も気が付かず放置された」という結果だけを切り取って、その切り取った結果自体に恐怖を感じるか?という問題提起をしたに過ぎなかったのだろう。

 僕のような人間にとって、孤独死とは、社会から孤立し、孤独に苛まれながら、苦しみながら生きた果てに、独り寂しく死んで、死んだ後も死体は放置され続け、その人は孤独であったことをより一層際立たせるものであるという認識であると思う。
 わかり手師匠のいうように、「死」そのものが怖いのではない(もちろん死も怖いのだが)。死に至る過程の孤独が怖いのだ。死んでも誰も気がついてくれない、そんな自身の孤独が怖いのだ。

 ローカス先生にとって孤独死とは、単なる「孤独な死」という認識だったのかもしれない。

 僕は孤独死が怖い。愛する人もおらず、子供もおらず、友達もおらず、近所付き合いもない、そんな状態で、部屋に引きこもって、延々とエロ動画を見ながらオナニーだけ続けて、「俺は永遠に独りだ」と苦しむ毎日を送り、ある時突然激しい頭痛に襲われて、「本当にずっと独りのままだった」と悔恨の念を募らせて苦しみながら死んでしまい、死体は2週間、3週間誰にも気づかれず、異臭騒ぎでやっと死体が発見され、死体は液状化し、床についた絶対に取れないシミになっているのだろう。人間は死ぬとタンパク質が分解され、液状化するらしい。そして第一発見者には一生残るトラウマを植え付けるのだろう。

 惨めに孤独に生きているのに、死んだ後も産業廃棄物より厄介なゴミのように扱われることに、僕はとても恐怖を感じる。死体が液状化することが怖いのではない。いや、それはそれで怖いのだが、僕が怖いと感じるのは、死体がそんな状態になるほどの孤独が怖いのだ。異臭がしなければ誰も人が訪れない部屋、そこでずっと独りで過ごすのだ。

 一体なんの罪を犯したらそんな魔王の封印のような扱いを受けなければならないのだ。

この文章が面白いと思った方は少額でもいいのでぜひご支援ください。筆者の励みになります。