女の涙と男の涙の格差

 皆さんは最近泣きましたか?テレビを見ても道を歩いていても、泣いている女は見たことありますが、泣いている男は見たことないですね。いないことはないんでしょうけど、圧倒的に女の方がよく泣きます。

 「女は感情的」などと言いますが、確かにそうで、夫の帰りが遅いからといって晩飯をぶちまけたり、ムカついたからといってスマホをぶち壊したり、PCをぶち壊したり、ガンプラをぶち壊したり、部屋をめちゃくちゃにしたり、反論されれば泣き出し、悪口を言われれば泣き出し、論破されれば大声を上げたり等、女の人はしばしば感情をぶちまけます。かといって男が感情的ではないかというと、そうでもないと思います。凶悪犯罪はたいてい男だし、「カッとなって暴行を働いた」みたいなのも男が圧倒的に多い気がします。この差は、例えるならば、液体の沸点のようなものだと思います。女の人は沸点が低く、しょっちゅう鍋から吹きこぼれますが、男は沸点が高いため、めったに沸騰をしないが、加熱を続ける(ストレスを与え続ける)ことで、ある時高熱の蒸気とともに吹きこぼれるのです。

 平安時代の男は現代の男よりずっと多く泣いていたそうです。光源氏なんか女を想いながらむせび泣いていたそうです。現代の男からしたら考えられませんね。我々現代男は、女を想う時は、どうしたらご機嫌を取れるか、どうしたらセックスに持ち込めるか、そんな事ばかり考えて、泣いている暇なんてありません。ちょっと口説くのに失敗したからといって、その度に泣いていては、ますます非モテになってしまうでしょう。平安男と現代男の差は、やはり男女の距離感だったのではないでしょうか。現代人は息をしているだけで常に周りの女性から見られ、評価され、時には軽蔑される存在です。一方、平安女性は人目にーというか男の前にー姿を表すことは稀で、手紙でやり取りをするところから出会いが始まるわけです。裏を返せば、平安男性は普段は自然体でいても女の人に見られることはなく、堂々と泣くこともできたのです。現代男はそうもいきません。どこにいても女性の目があり、評価をくだされる対象です。例えば電車の中で突然泣こうものならキモがられます。

 これは僕の体験談なのですが、メンヘラ男だからこその体験で、ある日、友人(女)とご飯を食べに行ったんですね。電車でその友人のところまで行きました。楽しくご飯を食べて電車で帰る途中、ものすごく暗い気持ちになりました。メンヘラったんです。「もう会ってくれないんじゃないか」「あんなこと言わなきゃよかった」「軽蔑されたに違いない」「僕は永遠に独りだ」みたいな思考に陥り、電車の中で突然泣き出してしまったんですね。その時、対面式のクロスシート座席に座っていたのですが、隣と前に座っていた人にそそくさと逃げられてしまいました。100キロ近いデブがいきなり泣き出したら確かにキモいでしょう。仕方ありません。キモがられたくなければ「泣くな」という話です。
 一方で、以前電車の中で泣いている女性を見たことがあります。その時は周囲の人たちが集まって心配してくれたり涙を拭いてくれたりしていたのですが、それとは大きな扱いの差がありますね。マ○コパワーです。

 女の人の場合、泣いてもキモがられないどころか周囲の人間が優しくしてくれる、そういう環境が女の人が男より涙もろい原因であり、怒りの場合も同様に、女の人が怒れば、周りの人間はその怒りの原因を取り除こうとしてくれる一方、男が怒り出せばやれ暴力だのパワハラだの不審者だの、排除の対象になる。

 つまり、「女は感情的だ」というのは、女の人の感情は周囲の人間が処理してくれるが、男の感情は自分でなんとかしなければならないことを意味している。そしてこういう差が、女の人がいつでも感情を表に出せる人格を作るのだ。

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