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クリティカル・シンキング=批評的思考

『日本の教育には流行り物がいつもある。
「答えのない問いを考える」ことが”新しい学び”だという人もいる。
意を唱えるつもりはない。
ただ、違和感を感じる。

初めから「答えがない」と言い切るのならば、それを考えることにどれほどの意味があるのだろう?

「今、答えは出ないけれど、近い将来(遠い未来かもしれないが)、やがて答えが出るであろうことについて考えてみよう」
と考えることには大変意味がある気がする。
中高生が、そうしたことを考えた結果が、やがて社会人になった頃に理解できるようなことになればいい。

例えば、
今、ワクチン接種をするべきなのか
今、オリンピック開催をするべきなのか
今、部活動の大会実施をするべきなのか
今、緊急事態宣言を発令していることは妥当なのか
コロナ禍の真っ只中でそれらの是非を問い、理由を明確に表現できるようにしておくことには意味があるに違いない。
全校生徒で考えるのも良い。』

批判的思考力が日本の教育に足りない
という考えからくるようですが
まず
クリティカル・シンキングを
”批判的”と訳すから悪い
”批評的思考”のほうが、日本語的には、ここちよい

おっしゃるとおり、近未来、答えの出そうなもの
も、いいですが
答えの出てることでも良いと思います

たとえば
1+1は、なぜ、2、なのか?
宇宙には、なぜ、水や空気がないのか
刺青は、なぜ、いけないのか
などなど

あらためて、ゼロベースで考える
これが
クリティカル・シンキングだと思います
そして、日本の教育に欠けているものだと思います
やはり
”批評的思考”の方が、”しっくり”くると思います。

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