認知がある、という表現

最近では、認知症という言葉はテレビ番組に多数紹介され、とても身近な言葉のひとつだと思います。
中でも、認知症予防にはこれが効く。なんていう特集も多々あると思います。
皆さんもきっと、「認知症にはなりたくないなぁ…」と思うと思います。でも、認知症になった本人達は自分が認知症だとは思っていない、のも事実です。
グループホームは、認知症だと診断がないと入れない施設です。それはきっと家族しか知り得ないことで、本人達は施設に入れられた、と思っているぐらいは感じているようです。よく私の施設の利用者は「ここは、ババァしかいないね。老人ホームだわ。」と話す人もいれば「地域の集まりでお泊まりしている」と思う人もいます。「とりあえず、足が治るまでここに居るんだわ。」とか。本当に考え方は、様々です。
現在、認知症高齢者の割合がどのくらいなのか、調べると以下のように推計が出ています。

【内閣府 平成29年度版高齢社会白書より引用】
65歳以上の認知症高齢者数と有病率の将来推計についてみると、平成24(2012)年は認知症高齢者数が462万人と、65歳以上の高齢者の約7人に1人(有病率15.0%)であったが、37(2025)年には約5人に1人になるとの推計。

さて、今回のタイトルに起こした“認知がある、という表現”についてですが、これは和田行男さんのこのブログを読めば使うこと自体、間違っていると知ることができます。http://www.caresapo.jp/fukushi/blog/wada/2013/10/post_326.html

「認知症とは」についていえば、介護保険法第五条の二に「認知症(脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態をいう。)」とある。
これらを照合すれば一目瞭然である。
誰にも認知する能力があるという点からいえば「認知がある」のは普通のことであり、疾患等によって普通の状態を脅かされている認知症の状態にあるのとは真逆である。
正しくない略称の向こう側で、婆さんの言動の理由を探ることもなく、脳が壊れるとはどういうことかを考えることもなく、自分が環境不適応を招いていることに気づくこともなく、「行動異常」「周辺症状」「問題行動」といった非人間的言葉をまことしやかに語っている業界だけに、なおさら「にんちがある」という言い方には、ひとことふたことみこと言いたくなる。
不本意にも認知症という状態になりながら、それでも人としての人生を全うしようとする人に対して敬意をもってすれば、認知症という状態になっていることを「(正しくない)にんちがある」とは略せないはずである。
 「認知症=認知がある」は、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかの問題ではなく、正しくないのだ。正しくない呼称を人に対して使っているということである。

私自身、「認知がある」という表現は今の施設を立ち上げた元施設長の職場内研修を受けて「あぁ、そういえば聞いたことある表現だな。」と思う程度で、改めて聞くまでは全く意識していませんでした。認知症ケアの専門職として、常に意識していきたいと思う、間違った言葉の使い方であることをお伝えしたいものです。

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