雛人形を飾るとき、お雛様たちと会話をする人、いませんか?
妻が医者に復帰するまでは、お雛様を飾るのは妻がやっていたのだが、10年前、妻がフルタイムで働きはじめて以降は、おずおずと私も手伝うようになり、私のほうが暇になって在宅時間が長くなって、だんだん私がやることが増え、隠居になった今年は私が1人でやった。以前にも何度か1人で飾ったことはある。実は、雛人形を、飾るのは相当に楽しい。
頭がおかしいと思われるかもしれないが、お人形と話しながら飾るのである。お人形側のセリフも、私が、声に出しながら、お人形と会話するのである。
今日も、一通り人形を出して。いい加減に並べて、小さなお道具はまだ出していない状態で、腹が減ったので昼飯を食べに階下に降りようとすると、左大臣の髭のじいさんが「これこれ、途中でなげだすものではないぞ」と言い出した。「いや、腹が減っては戦ができぬ。すぐ、戻るから」と言っても、「わしはともかく、かようにちらかったなかに、お殿様を捨て置くこと、まかりならぬ」と、譲らないので、しかたなく、作業を継続した。「あんたら右大臣左大臣は弓と刀と両方もつのだが、弓がなかなか手に収まらないな。ほら、ちょっとこっちへこい」と、ひょいとつまみあげると、「無礼者、何をする」と怒りだす。面倒なじいさんである。
毎年、五人囃子の誰にどの楽器を持たせるかわからなくなって迷っていると、「そなたはいつまでたっても大鼓と小鼓の区別がつかないの、たわけものが」「私どもは男だと、何度言ったらわかるのか」「それが証拠に侍烏帽子を、かぶっていようぞ。小太刀ももっていようぞ」とキーキー声で五人揃って怒りだす。そう、かれらは元服前の生意気な少年たちなのである。
三人官女も、どっちに柄のついた長柄銚子で、どっちが柄のない銚子かわからず、ネットを調べていると、真ん中の、ひとりだけ座っている、眉のない官女が、「そんなものはどちらでもよいのですよ」とおっとりとした声で言ってくれる。この、まんなかの官女だけ、人妻なので眉がない。男性陣と較べると、品が良い。
お殿様に持たせる笏と、五人囃子の謡の扇、笏は木製で、扇は金ぴかだから、つい間違えると、お殿様が「何か、これは」と、言うもので
「これは失礼つかまつかまつりもうした。ひらにご容赦を」と謝って、両者の、持ち物を交換。
ぼんぼりを設置して、一回、灯りをともすが、すぐにスイッチオフ。「暗くて申し訳ないが、古い豆電球は、暗いわりに電気代を食うから。夜になったら点灯いたしますゆえ」とお雛様に謝る。
平日昼間に、じいさんが、雛人形と会話しているというのは、もし、人に見られたら、相当やばいよなあ。でも、なんだか、楽しいんだよな。
私には二歳年上の姉がいるのだが、幼い頃、この、季節に雛人形(お内裏様とお雛様の、二体だけだったが)を、飾るとき、私は。ピカピカして本物みたいな内裏様の刀とか、いろいろ触りたかったのだけれど、少しでも手を出そうとすると、母に「いけません。これはとても壊れやすいし高価なものなのですよ」と、叱られた。(母のお父さん。僕のおじいちゃんが買ってくれたものだから、なおさら、母には大切なものだったんだと思う。)たしかに、私は、おもちゃを、すぐに、壊したりなくしたりする子供だったしな。
だから。この、今になっての雛人形遊びというのは、「三つ子の魂百まで」という、ことわざ本来の意味とはちょいとずれるが、3歳の頃の満たされなかった願望を、今頃、思い切り実現させているのだと思う。
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