見出し画像

保守主義と日本の国柄についての私的な考察。保守論客対談「2024日本の課題とあるべき日本人論 櫻井よしこ×先﨑彰容」BSフジ・プライムニュースを視聴しながら、あらぬ方に思考は飛んで行った、という話。

昨夜のBSフジ・プライムニュースは、「2024日本の課題とあるべき日本人論 櫻井よしこ×先﨑彰容」ということで、「右派辛口言論人、重鎮と若手」というはっきりすごく右寄り重心の番組だったのだが、見ながら、私の頭の中は番組とはあんまり関係ないほうに飛んで行った。この番組の感想ではなくて、その飛んで行った方の考えたことを書いていく。昨年暮れの『ゴジラ-1.0』と百田尚樹氏についての論と最後のところでつながるはず。長くなるけれど、今年の、これからの日本の政治的選択とけっこう深くつながる議論になるはずなので、書いてみる。

 「震災対応における自衛隊の「使われ方」、自衛隊の役割と国防」「自民党・特に清和会の裏金事件への批判」というあたりは、これは実は「すごい右寄り」みたいな先入観を外して、誰の発言か分からないようにして聴いたとしたら極めて妥当な批判であり、正直、ほぼ全面的に賛成。というか櫻井氏と先崎氏で意見がズレるところもあるからお前どっちに賛成なんだとツッコミが入りそうだが、まあどちらもそれなりにまともなのである。

 しかしである。最後のほうで、日本人の政治意識と歴史観の関係みたいなところに話が行くと、あれあれ全然共感できない。賛成できないな。

 裏金問題を平気で起こす自民党の政治家を選んでしまったり、国防でも災害救助でもなんでも自衛隊にただただ頼ってしまうくせに自衛隊のあり方について考えようとしなかったりする日本人への批判というものがなんとなく展開されていくのであるが、そのあたりから二人とも「歴史を学ぶことの大切さ」と話始め、その歴史というのも「白村江の戦い」だの皇室二千年以上の歴史だのということに櫻井氏がなっていき、このあたりからよく分からないというか全然共感できなくなるのである。歴史を知らないということの指し示す範囲が「第二次大戦の敗戦のこともアメリカと戦争したことも知らない大学生」みたいな話と「天皇、皇室の何千年の歴史」みたいなことがごっちゃになってもう訳が分からない。そして、櫻井氏は天皇のありかたのことを「国民の幸せをひたすら祈る存在」と高く評価しているのに、明治維新から先の大戦に至る日本のあり方と天皇のあり方も、これまた肯定的に評価しているようなのだが、このあたり、論理的に考えるとぐちゃぐちゃである。論理破綻している。はず。

 というのをまあぼんやりと聞いているうちに、僕自身が、例えば日本会議の主張や、それに同調する右派言論人の、どこにはまあ賛成できるが、どこに反対と言うよりも全然共感できないのかが分かってきたのである。

①「日本の国柄」に関する保守。という話と、

②「日本の歴史」に関する全面的肯定。という話の接着度合いの問題なんだなあ、ということである。

日本会議や櫻井よしこ氏の主張というのは

「日本の国柄を守る」ためには、日本の国柄を形成してきた「日本の歴史」を全面的に肯定することが必要。というつながり方なんだよな。単純に言うと。

だから、彼らから見たリベラル左翼と言うのは

「日本の国柄を壊そうとしていて」、そういう人たちはそのために「日本の歴史を否定的に批判しようとする人たちなんだ」となるわけだ。なるほどね。

でね、僕の立場は「日本の国柄は、わりと守りたい」のである。この点ではかなり強烈な保守主義者なんだけれど、日本の歴史については「悪かったところは素直に認めて反省すればいいし、良い点はちゃんと確認認識すればいいじゃん」という、科学的歴史研究に基づく、是々非々主義であって、そういう態度は日本会議と左翼リベラルの中間に位置するなあと思うのである。

 で、「日本の国柄」っていうと抽象的だけれど、難しい理屈の話ではなくて、これは外国人観光客が日本に来てビックリ感動するような、日本人の行動と、その背後にある価値観、みたいなことを僕は考えるのである。

 「財布やパスポートやスマホを落としてしまい、本国なら絶対出てこないと諦めていたら、誰かが交番に届けてくれて、持ち主の元に無事に中身まで戻ってきた。」とか「小学生が電車通学しても、誘拐されたりする危険が極めて少ない」とか「街中でゴミをポイ捨てする人が、全くいないわけではないが、諸外国と比べるとかなり少なく、街中が清潔である」とか「公衆便所トイレがかなり清潔」とか「夜中に誰もいなくて車もほとんど通っていないのに信号を守る人が多い」や「電車のホームでもコンビニでもちゃんと列を作って待つ、割り込みとかする人が少ない」とかまあ、そんなことである。

 日本会議的保守主義者とリベラル左翼の人たちは移民難民問題についても激しく対立するわけだが、僕は、上記のような、行動としての「国柄」を守りたいという立場なのである。だから、こういう、思想ではなく日本人が無意識にやっている「行動規範」のようなものを理解し、出来るだけ適応しようという意志のある外国人は、移民でも難民でも受けいれて全然かまわないと思うが、そういう「国柄保持」」視点を全く抜きにして、純粋に労働力としての移民とか、「人権保護の観点から無条件に難民」を大量に受け入れることでこういうことが失われるのであれば、まずは移民大量受け入れ反対であり、難民についても慎重派なのである。「ひとまず受け入れる」と「最終的に受け入れる」の二段階について(これは後でイギリスの例を出すけれど、そういうことも含めて)考える必要がある、という立場である。

 「国柄」っていうのは、これは宗教とか思想とかではなくて、成文化されない(日本人だって必ずしも従う人ばかりではないが)集団全体の特性として保持されていく、具体的場面における行動として表出される価値観、みたいな話である。これは本当に慎重に大切にしていかないと、壊れたら修復不可能なのである。(欧州の現実を知るにしても、ニュースでも映画や文学でも、両方それぞれの立場から報じたり描いたりするものがあるからどちらもきちんと知る必要がある。)

今、欧州各国が大量の移民や、特にイラクシリアの内戦や紛争以降の中東からの難民、アラブの春とその反動による北アフリカ地域からの大量の難民の流入により直面している問題と言うのは、「治安の悪化」という言葉で語られることが多いが、もうすこし広く言うと、上で上げたような、その国なりに維持されてきた「国柄」=それは各国ごとに異なっていたのだがそれなりに安定していたものが、急激に崩れていく事態なのだと思う。それに対する反発から、反移民を掲げる極右政党が、極めてリベラルな価値観を持つとされていた北欧諸国などでも勢力を伸ばし、オランダでは先日総選挙で極右政党が勝っちゃって、政権を取るというところまで事態は進んでいるのである。

 ということを考えると、いかに日本が人口が急減し労働力不足に直面するからと言って、国柄を壊すような形での移民の大量受け入れには反対なのである。

 難民についてイギリスで今どういう事態が進展しているかと言うと、難民を受け入れる事での社会の変化に耐えきれず、アフリカからの難民申請のために不法入国した人たちを、経済支援とセットにして、ルワンダにまとめて移送できる協定と言うのを結んじゃったのである。建前的に人権の擁護と言う点で難民は受け入れなければ、ということと、現実に社会が壊れていくことの間で考えられた政策である。先月12月5日のこと。ちゃんとワールドニュース、チェックしようね。

 これまでのところ、日本に外国人労働者として来てくれているアジアの人たちや南米の人たちは、それぞれのあり方方法でそれぞれの地域に馴染んで暮らしている。今の規模であれば「国柄」にまで影響を与えないものだが、規模によっては今後どうなるかは分からない。

 昨日発表された日本商工会議所の前会頭の三村明夫氏や、日本郵政社長の増田寛也氏ら有識者のグループによる「2100年に人口8000万人で安定」シナリオという中でも移民については抑制的に考えるとしているのは、こういう「国柄」保守的考えが背景にあるのだと思う。案の定、左派リベラルの一部からはその点について批判が出ているようである。

 話がだいぶ遠くにズレたけれど、

櫻井よしこ氏や日本会議的ガチガチの保守派は

①「国柄の保守」のためには「皇室の長い歴史からの日本の歴史の全面的肯定」が必要

なのに対し、左派リベラルは

②「そもそも国柄を守るよりも、人権や社会的公正の実現のためには、国柄などはどんどん変わっていくべき」であり、「様々な差別的価値観を含む国柄を形成してきたのは天皇制を中心とした日本の歴史があるので、それに対しても徹底的に批判すべき」

という対立にまとめるとなっちゃうと思うのだな。

 分かりやすい例をあげれば、日本の国柄には男女差別の価値観、家父長制的価値観が存在し、その根っこには男系で継承されてきた天皇制がある、みたいなこと。男系天皇論と男女差別と家族制度の関係、みたいなことが右派左派の間で最もホットなテーマになっちゃうのは、こういうことなわけだ。

 なんだけどさ。僕の意見と言うか立場と言うのは、日本の国柄っていうのは、外国人観光客だって「財布やパスポート落としたのにちゃんと返ってきた」「ゴミが落ちていなくて街が清潔」「子どもがひとりで電車に乗っても安全だなんてすごい」って感動するわけだからそういうのは大切に維持されたほうがいいじゃん。

 こういうのは法律では強制できない、人の心の中の、伝統的集団的価値観により作られるので(実は相互監視とか同調圧力とか、ネガティブに批判しようとすれば批判できちゃうものもの含めて)、それが日本の国柄を作っているわけで、それは大切にしたいのである。多くの日本人が、具体的宗教については「葬式の時だけ」みたいな緩い関係しか持たないのだが、仏教とか神道とかキリスト教の信仰という形ではなく、日本人の宗教というのは、なんとなく「バチがあたる」みたいな形で内面化されている、「財布拾ったら、中身は取らずに交番に持っていこう」教のような形で内面化されているのが多数派なんだと思うのである。

 でね、そういう「漠然とした財布届ける教」みたいなことも、「天皇家が2000年以上も続いていること」と関係あるのだ。と主張する日本会議とか櫻井よしこ氏は主張しているんだと思うのだよな。で、そのことに、僕は反対というか、共感できないよなあ、と思うのである。

 これ表裏一体に、リベラル左派の人は、「天皇制が続いていることと、日本人が人権を理解できず様々な差別に鈍感なことは関係している」みたいに主張するのだが、これ、ほんとにコインの表裏で、同じことを言っているのだよな。

 そのコイン自体に、僕は表も裏も、あんまり賛成できない、ということなのである。

 天皇のあり方、というのの捉え方が日本会議や櫻井よしこ氏と僕は違うのだと思うよな。

 神武の昔の神話と史実の区別があいまいな時期なんかは別に知っても知らなくてもそんなに大したことだとは思わないしその時期の天皇は、神話から読み取れるのは「武力征服民の長」だったわけだから「まあそういう武力政権時代が天皇家のもとにはあった」ということを歴史と神話の境目として漠然とイメージできていればよいというのが僕の理解なのである。

 そして、この「武力征服・武力政権」の長としての天皇の役割を復活させてしまった明治から太平洋戦争における天皇の役割については批判的に考えるべきだ。というのが僕の考え。

 天皇制のいいところ、というのは、かなり早い段階で武力政権から分離したこと。そして役割を「豊穣祈願」と「天災を鎮める」というふたつの祈りと、文化的伝統を継承することに限定したこと。そうした「祈り」と「文化」に役割を限定することで、武家政権の変遷に対して「形の上で認証を与える」役割をも保持し続けた。というのが天皇の存在と制度上の特徴ということだろう。

 と言う意味では、明治維新から太平洋戦争の期間の天皇のあり方が、日本の歴史の中ではイレギュラーと言うか、荒々しい先祖がえりをしてしまった時期てあって、戦後の象徴天皇の方が、日本の長い歴史の中では、おさまりのいいポジション、役割なんだと思う。というのが僕の天皇制についての考え方なのだな。

 だから、明治から太平洋戦争の時期の天皇のあり方は批判されるべきだけれど、そのことで天皇制全体を否定しようとは思わない。という僕の感じ方と言うのは、国民的に見るとわりと多数派だと思う。「今の皇室のあり方は、国民の多数が、なんとなく支持している」というのはそういうことなんだと思う。

 これを「神武以来の」みたいな日本会議的な大げさな皇室の戦前的持ち上げ方というのは、全く全然支持されていないと思うのに、櫻井よしこさんの昨日の番組での発言は、そのあたりがズレまくっていたなあ、と思うのである。それに若い先崎さんまでが同調するというのは、なんか、おかしい感じがするのだよな。

 そんなことを、番組を眺めながら考えた。昨年末から「ゴジラ-1.0」で百田尚樹氏についてあれこれ書いてきたが、上で僕が書いた「日本の国柄保持」みたいな意味での「日本保守党」支持には結構広範で大量な支持層がいるはずだからリベラル左派の皆さんはあんまり甘く見ない方がいいよ、という警告を僕はしてきているのである。その一方で『日本国紀』みたいな形での、皇室の歴史からの日本の歴史全肯定みたいな部分というのは、僕は全くさっぱり理解も共感もできないのである。それは端的に歴史修正主義である。その点では僕は全くもって百田尚樹氏や日本保守党のことを支持などしていないのである。

(ちなみに、昨日の番組での櫻井よしこ氏にしても先崎氏にしても、実は日本の古代史とか、そんなに詳しくはなさそうだったのがご愛敬というか、現代の政治についての保守的主張が大事な人で、その根拠づけにそれほど得意でも好きでもない日本の歴史の話を道具として使っているのだなあ、ということが垣間見えたという点が、いちばん面白かった点でありました。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?