『R.S.ヴィラセニョール』 フィリピンの戦後史と、日本。

『R.S.ヴィラセニョール』 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2019/10/27
乙川 優三郎 (著)

Amazon内容紹介
「房総半島に工房を構える若手女性染色家、レイ・市東・ヴィラセニョール。父から継いだフィリピンの血と母からの日本。鮮烈な色が評価され始めた矢先、父は病身をおして祖国へ帰ると言いだす。何が彼を駆り立てるのか。染色の可能性を探求し、型にはまった「日本らしさ」に挑むレイが、苛酷な家族の歴史を知ったとき選択した道とは。美しく深みのある筆致で女性の闘いを描き出す傑作長編。」

ここから僕の感想。ネタバレ注意。

 この作家の他の本の書評を新聞で読んで、何冊か買い込んだが、まだ読んでいなかった。昨年末、読書家友人との今年読んだお薦めの本を教えあう合う会で、この本を挙げていたので、まずはさっそく読んでみた。

 大きく異なるふたつの柱、それぞれが、初めて知る、難しい話である。

 ひとつは染色、和服の生地の染色家の話。美大の友人の琳派の日本画家、銀座の呉服屋、糸を染める職人、そういう世界で「芸術と工芸」のはざまでの、創作の世界が語られる。

 もうひとつは、フィリピンの現代史。主人公の父は、そこから逃れ日本に来たフィリピン人であり、その生涯が、次第に明らかになっていく。現代に生きる日本人からは想像もつかないような、過酷なマルコス政権下のフィリピンの社会。

 ふたつの難しいテーマが、一人の主人公の物語として語られていく。小説としてまとまっているか、と言われると、なんとも言えないが、それほど異なる世界が一人の人間の中にある、ということ。その目から見て、現代の日本人がどう見えるか。フィリピンに向かう機中の日本人の若者たちを描写する一節を引用して、感想、おしまい。

「一様に微笑を浮かべ、そこそこ行儀よく、声は小さく、贅沢な旅行のはじまりに自足している。そこが不気味であった。人との深い関りや尊い目的のための労苦を面倒がって、本当の友人や恋人を作らない。自身のうちにすべてがあると信じて、他者に無用のレッテルを貼り続ける。立ち向かえば手に入る大きな可能性や美しい世界を夢見ない。たぶんそんな人種であろう。」

と、ここまでがFacebookに投稿した感想。

東南アジアの歴史と現在を考えると、欧米による植民地化⇒その後の日本の第二次大戦での侵攻、(日本人はすぐ、敗走した日本兵の悲惨な状況について「被害者意識」で語るが、インドネシアでもフィリピンでもマレー半島でも、まあ、日本軍は現地の人たちにひどいことをした。フィリピンに対してもとんでもない加害者で、良く、今、フィリピンの人たちが、恨みを言わずに仲良くしてくれるもんだ、と思う。そして、戦後、日本が撤退した後に、欧米の植民地から独立したものの、民族対立、宗教対立、支配層の汚職と暴力、それを利用する米国、左翼ゲリラなどなど、暴力にまみれた歴史をどの国もたどっている。

 フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ビルマ(今のミャンマー)などで、日本がどんなことをしたのか、その後の社会の状況、特徴はどんななのか、そういうことは、ちゃんと学ばないといけないなあ、と思う。

 



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