2024パリ五輪 柔道競技・観戦しながら感想分析などFacebookに投稿した長文転載。その10 団体戦でフランスに負けて、思うこと。
だめだ。柔道競技の総括をしようと何度もいろいろ書いているが、言いたいことがたくさんあるのと差し障りがたくさんあるのとで、全部非公開にして途中でやめてしまっている。
次の五輪の代表選考や、そのときのメディアの振る舞いについて、また今回と同じ轍を踏まないために、これだけは書いておかなければと思うのだが。
体操の東京五輪のときというのは、直前までのメディアが扱う主役はレジェンド・内村航平だった。しかし、はじめの団体予選でぼろぼろになって、橋本大輝に主役交代。橋本がヒーローになった。内村は年齢限界を超えていたのである。
今回、パリでは、試合が始まるまで橋本大輝がメディア扱いの主役。しかし始まってみれば橋本は指の怪我で失敗連続。岡慎之介に主役は交代した。
体操なら、代表5人がいて、団体予選の演技で、誰がエースになるかは点数で厳然と出るから、「レジェンド内村でも加齢劣化でもうだめた」「東京五輪エース、今回も若きエースかと思った橋本も指の怪我で今回はダメだ」というのは点数で自動的に選別される。
「レジェンドでも加齢でダメだ」「前回五輪のヒーローでも今回は怪我でダメだ」というのを五輪本番団体予選で識別できる。
しかし、柔道は、五輪各階級一人の代表を、ある段階で選ばなければならない。だから「レジェンドでも加齢でもう衰えている」とか「前回五輪のヒーローでも怪我でダメだ」というのを識別するには、できるだけ五輪に近い段階まで厳しく競わせて決めないと、分からないのである。一年間時間があれば、ベテランと若手の力逆転も起きるし、有力選手が怪我で、怪我のない別選手のほうが成績が上ということも、柔道でも当然起きる。それを織り込んで、本当に大会のときに好調な選手を代表に選ぶ仕組みになっていなかったのである。素根輝は前回五輪のヒロイン金メダリストだが、怪我で今回は弱かった。怪我をしていない絶好調世界選手権王者の冨田若春のほうが強かったはず。でも、どうしても五輪に出たい素根は辞退はしない。前年6月に代表に正式決定してしまったのが失敗だったのである。
だからみんなに、柔道競技終わってその興奮が残っているうちに言っておきたいのは、「今回の五輪のヒーローやレジェンド」(阿部一二三や永瀬)は次は加齢で衰えているかもしれないし、「今回苦杯をなめて、次の五輪でがんばれ」と思われている選手(阿部詩とか斉藤立)は、もうライバルに追い抜かれてダメになっているかもしれない」のである。前の五輪のヒーローヒロインぱかりを追いかけるマスメディアのことは疑ってかかるという「五輪報道についてのメディアリテラシー」を養ってほしいというのが、この投稿のまずはじめの主旨である。
「兄妹が」とか「メダリストのお父さんの思いを」とかいうドラマと競技力は、何の関係もないのである。お父さんの思いは、お父さんが金メダリストだろうと、お父さんが柔道未経験者だろうと全く同じである。ちなみに阿部一二三、詩のご両親は柔道未経験者である。
昨夜のドラマ、団体決勝の話に移る。
リネールが強いのは仕方がないが、リネールをパリグランドスラムで豪快に投げ飛ばした影浦心、リオ、東京であと一歩まで追い詰めた原沢久喜を選ばず、斎藤立を選んだのは、鈴木監督の「恩師の息子を金メダリストにして恩返ししたい」とか「国士館が」とかいう私情が微妙ににじみ出てのことであると私には思える。昨夜もコーチは、決勝戦について「ウルフで行きましょう」と提言したのを、「俺が選んだ、託す」とへにゃへにゃだった、初戦スペイン戦で100キロ級のやつにも負けている斉藤ごり押ししたのは鈴木監督である。どっちでも苦しかったとは思うが、鈴木監督、他の選手選定はほぼ合理的、冷静だったと思うが、斉藤立については公平ではなかった。あきらかに情実、ひいきがあったと言われても仕方がないと思う。「ここで死ね」も、「斎藤仁監督がいたらそう言ったと思う」ということとして言ったのである。斉藤仁監督に育てられ選手・鈴木桂治が金メダルを取った。それを斉藤立に金メダルを取らせることで恩返ししたい。してもらったことを立にしてやりたい。浪花節である。
もうひとつ、73キロ級、橋本壮市の選定が早すぎたことをこの前批判したが、それが昨夜の団体決勝戦敗戦に、遠くつながってしまったと私は思う。こういう事実もある。
昨日、リネール斉藤の代表戦にいくまでもなく、阿部一二三がギャバに勝っていれば、日本が優勝だった。しかし、阿部66キロ級。ギャバは73キロ級。最後のギャバの肩車を「タックル」と批判する人もいるが、ルール通り脚には触らず、正しくかけている。体重差のあるギャバと、長い延長戦で体力を削られたところであの肩車を耐えられなかった阿部を責めることはできない。
本来なら73キロ以下条件の選手枠である。73の橋本壮市が出ればいいのである。しかし、橋本の出来が悪すぎた。初戦スペイン戦では、不注意な寝技であっさり一本負けをして、解説、同階級だった大野将平氏に「あの選手のあの形の寝技、あれで最近勝利を重ねている情報は(現役引退した)私も把握していた。あれを不用意に食うのはいただけない」と厳しく批判されていた。それくらい、個人戦が終わって集中力も体調も低下していた。橋本はそもそも最高齢32歳で、実力はかなり低下していた。内村航平状態だったのである。
そして、つい3か月前の世界選手権団体戦を思い返す。日本はフランスと決勝戦を戦い、優勝している。そのときの73以下枠、あのギャバのことは軽くやっつけている。誰が? 田中龍雅20歳である。私は生中継で見ていたが、解説者が雑談しているうちに豪快な大内刈りで1分半くらいで一本勝ちである。田中選手、準決勝でウズベキスタンの強豪にも楽勝している。そしてこの世界選手権の73キロ級個人戦は田中選手だったかと言うと違う。石原樹選手23歳である。2月パリグランドスラムで優勝し、アジア大会で優勝し、世界選手権も決勝残り数秒迄勝っていて、逆転されだが銀メダル。瞬間風速的には圧倒的に世界一強い石原樹、23歳がいたのである。
橋本を1年前に焦って73代表に決めていなければ、確実に石原樹か田中龍雅が代表になっており、個人戦で金メダルを取れていたかもしれないし、何より、団体戦のフランス、ギャバとの勝負を66の阿部に戦わせる必要もなく、圧倒的に優位に戦えていたのである。
高齢の橋本壮市を選んだのも、「長いこと大野将平の影で五輪に出られなかった32歳の彼に、最後、花道を」という、鈴木監督の浪花節な温情が働いたと批判されても仕方がない。
鈴木監督が人間として悪人なわけではない。理屈が分からない人でもない。しかし、ちょっと「情に流されやすい」人なのである。井上康生氏が、やさしそうで、実は冷徹に理を通す、筋を通すのと、違うタイプの人なのである。
身近でよく知っている人の顔や経緯を思い浮かべてしまうと、その人をなんとかしてあげたいと思ってしまう。それは人情である。が、それは、自分はよく知らないが、知らないところで努力をし、実力を磨き、人生を賭けて努力してきた人を、ないがしろにしてしまうことなのである。そういう想像力が人情家には欠けているのである。
柔道界の中のことは、その組織の論理に任せるしかないが、2012年ロンドン五輪時期~2013の総監督吉村ヘッドのパワハラ問題での辞任、篠原監督パワハラ体質で成績最悪、こうしたことの反省から、山口香氏や溝口紀子氏ら合理的論理的国際的な女子指導者が率先し、男子でも井上康生総監督体制になり、柔道界を新しい合理的で透明な組織体質に改革してきたのである。
鈴木桂治さんもこうした柔道界改革の中で要職を歴任してきたのだから、当然、柔道界の透明化の意味は誰よりもわかっているはず。その流れを逆行させてはいけないと思う。
頭の悪いパワハラなオッサンたちが、情実密室で、それぞれの身内を推しあって談合して代表を決めるという体質に戻っては絶体にいけないのである。もちろん鈴木監督もそのことは誰よりもよく分かっていたはずなのだが、人柄として、情に厚い人すぎたと思うのである。
「お前はなんなんだ。ここで死ね」は、単なるパワハラではない。鈴木監督の人情の末に出た一言なんだけど、それはやっぱり柔道界を昔に引き戻しちゃうと思うのだよな。
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