どうする家康、感想、番外編。分析切り口仮説メモ①『家康=ピノキオ説(木偶の坊) 成長ではなく、非連続的な変身の物語の可能性』②『世界系エロゲーとしての「どうする家康」、新海誠「天気の子」や「新世紀エヴァンゲリオン」を参照しつつ」

「どうする家康」については、本当はふたつの切り口、

①『家康=ピノキオ説(木偶の坊) 成長ではなく、非連続的な変身の物語の可能性』

というのと、

②『世界系エロゲーとしての「どうする家康」、新海誠「天気の子」や「新世紀エヴァンゲリオン」を参照しつつ」

という論考テーマを思いついてしまい、それについて考えてしまっている。

①のピノキオの方は。ピノキオって木の人形の間は、何度でも同じ失敗を繰り返すんだよね。そのたびに反省はするのだけれど、全然成長しないの。むしろ、どんどん失敗の程度が酷くなる。そのたびに女神さまに救われるのだけれど、だめなんだよね。成長しない。学習しない。最後、クジラの腹の中に呑まれちゃうという最悪の失敗をした後で、女神さまに人間にしてもらうわけだ。

家康も、「毎回の失敗のたびに少しずつ成長する」かというと、しない。何度でも失敗を繰り返す。そのたびに泣いて反省するのだけれど、女神様、瀬名になぐさめてもらうのだけれど、成長しない。失敗の度合いはどんどんひどくなる。このドラマ、この「木の人形時代」の家康を描く、という試みなんじゃないかとおもう。そして、瀬名を殺して、石川数正に逃げられて、とどんどん失敗の度合いがひどくなった最後に、何かあって、人間に変身するのじゃないかなあと。

 少しずつ成長して少しずつ失敗しなくなるとドラマとしてつまらなくなるでしょう。だから、どんどん派手に失敗し続けるんだと思う。

 これは家康ピノキオが「だんだん成長する物語」ではなく、ピノキオが何度でも同じ失敗を繰り替えした後で、突如、恩寵のように人間に変身する、そこまでを描く物語なんだと思うぞ。

②エロゲーって、僕は全然やらないのだけれど。ゲーム自体、最近は全然しないのだけれど。「世界系エロゲー」っていうのは、主人公キャラクターが、平凡な少年/青年なんだけれど、なぜか世界を救うという役割を与えられて、そのミッションを達成していく途中のご褒美として、美少女キャラクターとスケベ―なことができるというイベントが用意されている、そういうゲームを指すのだそうだ。そして、「君の名は」や「雀の戸締り」で今や世界的アニメ作家となった新海誠監督と言うのは、もともと下積み時代にエロゲーのオープニング映像制作もしていた、ということがあり、その視点から「天気の子」のストーリーを「世界系エロゲー」として分析する、というような批評が書かれたりしているのだな。

新世紀エヴァンゲリオンも、ガンダムも「ごく平凡な、鬱屈した中二病的主人公が、突然世界を救う役割を与えられ苦悩する」という世界系、と呼ばれる世界観で、特にエヴァの場合は綾波レイとの関係などが「エロゲー」的世界観を構築していたわけだ。

という観点から見たときに、今回の家康と言うのは。「信長と言う怖い疑似的父へのコンプレックス」「世界を救うというミッションが望まないのに与えられる」「瀬名と言うパートナーを、ごく初めに与えられるのに、すぐ会えなくなる。」という障害が設定される。奪還すると、直接は描かれないけれど(秀吉に指摘されていたように)ご褒美イベントがある。その後も次回以降の側室だの、おそらくは古川琴音の千代だの、いろいろとエロゲー的イベントが節目に用意されていて、世界系ミッションとエロゲー的イベントが配置されて物語は進む」という、そういう視点でこのドラマは分析できるのではないか。そう考えると、ゲームCG的画面、底の浅いキャラクター設定、大河らしからぬ大人なシーンがときどき入ってくること、いろいろと納得できるではないか。

と言うようなことを思いついたので、忘れないうちに書いておく。

ちなみに、古川琴音演じる望月千代女というキャラクター、忍者系とか戦国時代舞台でも「エロゲー」というのがたくさんあるらしく、そこでの定番キャラクターなんだそうだ。Twitterを読んでいたら、そういう発言がたくさん発見されました。世の中にはいろんな世界があるものである。そう考えると、あのドラマでのくねくね設定も納得できるなあ。

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