一青窈「ハナミズキ」がカラオケDAMで30年間で最も歌われた曲だ、というネットニュースを見て、いろいろ思ったことから脱線、salyuの「name」に思うことまで。
「ハナミズキ」の歌詞というのは、なかなかに不思議である。一青窈さんが、お父さんが台湾人お母さんが日本人で、幼稚園まで台湾で暮らしていたことと関係があると思うのだが、作詞をするときの、日本語の感覚がちょっとだけ不思議なところがある。そこがいろいろと深読みしたり想像を膨らませたりする余地となる。
「夢が終わる」というのをどう受けとるか、ということでネット上でもさまざま議論があるし、本人インタビューもあったりする。
完全ネイティブ日本語話者的感覚では普通、慣用句的に「夢と終わる」「夢に終わる」だと、夢が実現しなかった、という意味だから、「夢」という単語と「終わる」を、組み合わせると、叶わなかったという意味になりやすい。しかし、歌詞の流れを素直に読めば「夢が叶ってほしい」という、願い、祈りに読める。
「夢が終わる」はどういうニュアンスなのだろう。
これについてはNHK SONGSで一青窈自身が語っていて、それについて書かれた記事を引用する。
そもそもこの歌は、2001年のアメリカの同時多発テロに衝撃を受けた一青窈がその思いを、込めて作ったもの。
歌詞を読むと、すでに(テロで)死んでしまった母親が、残した娘の幸せを祈っているという、基本ストーリーは漠と読み取れるのである。夢が叶う、ではなく、「戦争がなくなる」と願う必要もないような状態、平和が訪れた状態を「夢が終わる」って書いたと。なるほどなあ。
過去30年間、カラオケで一番歌われた歌、というネットニュースが流れたが、歌ったものすごくたくさんの人たちは「夢が終わりますように」に何を感じて歌ったのかなあ。
別の歌についての話に脱線します。Salyuに一青窈が歌詞を書き、小林武史が作曲した「name」について
一青窈さん作詞で、これもすごく不思議で大好きな歌詞の曲がある。稀代の歌姫salyuに書いた「name」という歌。これもきっとこういう状況と気持ちを歌っているのだろう、ということは想像はつくけれど、普通の日本語話者では書けないような、イメージが膨らむ、男女の、美しい愛の交わりを歌った歌なんだよな。下にYouTube動画貼っておきます。
歌詞一部引用
で、ここからは完全に僕の妄想の話です。salyuって、ほとんど恋愛とかなんとかそういう話が出たことが無いアーチストなんだけど、「孤高の歌姫」みたいな感じで、ずっと天才プロデュサー小林武史の秘蔵っ子的な扱いだったわけなんだが。
これを歌った頃の2006年、(あくまで僕の想像だけれど)salyuは育ての親プロデューサー小林武史に、ずっと秘めた恋心を膨らませて悩みに悩んでいた頃のはずで、(と、僕が妄想するのは、その後、次作シングル二枚で一回小林武史プロデュースをやめる。そしてまた戻る、みたいなことがあったからなのだが。)、とにかくこの時期のsalyuの歌には、「初めて本気で恋に悩む感情を、歌に注ぎ込んだ」感があるのだな。
そして小林武史と一青窈は2005年に出会ってからの、7年におよぶ不倫関係というか公然の恋人同士の初期の頃で、作曲は当然小林武史だし、一青窈とsalyuも友人同士だったし、いろいろとドラマチックな背景のある、ドラマチックな曲なのである。
一青窈が(おそらく小林武史のことを思って)書いたこの歌詞を、salyuは(おそらく小林武史のことを思いながら)どんな思いを込めて歌ったのだろう。と想像すると、もう切なくて仕方がない気持ちになるのである。
脱線、妄想話でした。
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