セルビアのミロシェビッチと、プーチンを重ねて、「戦争犯罪者」として裁きたい、バイデン大統領の思いを想像してみる。

 バイデンがプーチンのことを「戦争犯罪者」として裁いてやる、と考えるのは、セルビアのミロシェビッチを、国際司法裁判で人権への罪、戦争犯罪者として裁いたという「自らの成功体験」を再び、という思いがあるのだろう。(ミロシェビッチは1990年代の、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナとの戦争、その後のコソボ紛争における民間人の虐殺、民族浄化ジェノサイドの罪に問われ2001年に逮捕収監され、裁判継続中の2006年にハーグで獄死した。)


 コソボ紛争でミロシェビッチに対してNATOが空爆を命令したのは当時副大統領のバイデンだ。(国連の承認なしに、アメリカ、NATOが実行した。)ミロシェビッチを追い込んでセルビアの政変を起こさせ、逮捕して戦犯として裁いたのは、バイデンにとっては正義の戦いに勝利した輝かしい戦歴なのだと思う。


 ミロシェビッチのしたこと、というか、セルビアがはじめに、スロベニア、クロアチアに仕掛けた戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナでしたこと、その後、コソボでしたことというのは、プーチンのしたこととの類似性が高い。「ユーゴ崩壊/ソ連崩壊→分裂した各国に、中心国であるセルビア人/ロシア人が住んでいる→それが迫害を受けていることを口実に攻め込む→相手の国を徹底的に破壊する、相手の国民・一般市民を虐殺する→国際機関からの非難を無視する」


 細かに見ても、いちばん欧州寄りでいちばん豊かな国が分離することに対しては、うまく手を出せない。(ユーゴ分裂後のスロベニア、ソ連崩壊後のバルト三国)、そこで、他の隣国が欧州側に行くことを阻止したいと考える。ミロシェビッチが「大セルビア主義」、プーチンが「大ロシア主義」という、分裂した領域の国家を、全部従えたいという自国中心拡大思想を抱いていることも共通している。)

 宗教戦争としての側面を持つことも、二つの戦争・紛争には共通点がある。複雑さでは、ユーゴの方がさらに複雑だったが、西側に近いほどカトリック(スロベニア、クロアチア)で、セルビアが正教であり、ユーゴの複雑なのは、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボに、イスラム教徒が多いことで、イスラム教徒への迫害虐待が特にひどかったことは、ユーゴ紛争の残虐さの原因のひとつになっていると思う。ウクライナ紛争では、ガリツィアの宗教が正教とカトリックの混交的なもので、ロシアが正教であること、ウクライナ正教がロシア正教から分離たことが今回の戦争のひとつの重要ファクターであることなど、やはり宗教戦争としての背景がある。

 言語戦争と言う点でも、ウクライナの戦争では「ウクライナ語とロシア語」というのがひとつの要因だが、ユーゴスラビアだと、もう使う文字がラテン文字なのかキリル文字なのかまで対立の原因になるのだから、旧ユーゴがひとつの国家としてまとまっていたことの方が奇跡のように感じる・。


ミロシェビッチ・セルビア軍が、ボスニアヘルツェゴビナやコソボでやったことというのは、今回のロシア軍がやっていることのさらに何倍か残虐で計画的で大規模でひどい。人類のやりうることとして極限の残虐行為と言われている。(局所的に見れば、報復として、ボスニアヘルツェゴビナやコソボに住んでいたセルビア系の住民への虐待虐殺も起きている。暴力の連鎖である。これも、今回の紛争で、おそらく後に明らかになるだろう、東部地域での、親ロシア系住民がウクライナ側に虐待された事実もあった、というのと類似性が高い。国家間の関係でいえば、セルビア、ロシア、指導者で言えばミロシェビッチ、プーチンの側が明らかに極悪、ひどいことは確かだが、市民レベルの被害や、現場兵隊さんレベルでの虐待虐殺で言えば、両方向に暴力は生じていたのである。


 セルビアとロシアの違いは、ロシアが国連安保理常任理事国なことと、核大国だということだ。そして、当時はまだアメリカは冷戦後の世界唯一の超大国として、世界の警察官として武力行使を行う存在だった。今のアメリカは国外での直接的武力行使には及び腰だ。


 ユーゴ、コソボの紛争から20年以上たって、中国の超大国化など、国際環境も変化している。バイデンの「成功体験もう一回」は、実現するとしても、アメリカ単独でできることが少なくなっているのである。


 世界の警察官としての大失敗、アフガニスタン侵攻とその後の統治、これはまあ「アメリカ歴代両党政権の失敗(子ブッシュの始めたテロとの戦いの結果)」なのだが、昨夏の最後の撤退の失敗イメージが、「バイデンの失敗」としてアメリカ国民に認識されてしまった。それが中間選挙に向けて、ものすごく大きなマイナス要素となっていた。これを、かつての成功イメージ「ミロシェビッチを戦犯として裁いたのと同様、プーチンを失脚させ、戦犯として裁く道筋をつけた」で払拭したいという動機が、バイデンの意識としては、働いていると思う。


 ブチャの悲劇が明らかになったその日のBBCが、すかさず、ユーゴ紛争からミロシェビッチのハーグでの裁判の映像をVTRにまとめて、イメージを重ねるようにしたのは、「さすがBBC」、なんというか、放送局としての民度が高いのである。ヒットラーと同じような大悪人プーチン、という類比だけだとあまりにイメージが遠くなるのと。「ネオナチ」がどっちにいるのかでイメージが混乱するので「ミロシェビッチという極悪人、戦争犯罪者・ハーグで裁かれた男」とプーチンを重ねる作戦にしたのだと思う。


 ただし、ユーゴ紛争への知識があんまりはっきりないアメリカの普通の視聴者(CNNの視聴者)には通用しないとみて、CNNはこの類比、重ね合わせを積極的には採用しなかったようだ。日本なら、なおさら、一般視聴者は、なんのこっちゃか、わからないのである。

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