ブチャで起きたことは、なかなか冷静には受け止められませんが、あの行為をしたロシア兵の残虐さから、「ロシア兵は全員鬼畜」→「ロシア人全部鬼畜」→「ロシアなど国ごと滅んでしまえ」と言い出す人がツイッターなどで見受けられるので、冷静になろうと呼びかけるために、この文章を書いています。4月6日の報道から。

 今朝、NHK BSのワールドニュース、フランスF2とドイツDFが、どういう内容だったかを見つつ考えた。ここまで私が収集した情報と、歴史への反省、歴史の教訓から、今、ブチャで起きたことを「今の段階で」どのような可能性の幅がありうるかについて、書いておきます。

ブチャにおける市民の虐殺が、戦争、(戦闘からブチャ占領→撤退)の、どの段階でどのように起きた可能性があるか。可能性をもらさず考える。

①戦闘初期段階
ブチャの町をウクライナ兵と、市民が志願兵が防衛しようとしているところに、ロシア軍が戦車、装甲車で進撃して戦闘になる。

②占領前期
ロシア軍の占領支配(経験の低い若い兵士主体)
補給が立たれ、進軍が止まる。予想外のことに、物資(食料)が不足する。

③占領後期
ロシア軍、何らかの中年のベテラン兵士を主体とする別部隊が来る。
チェチェンでの虐殺をした部隊とも、KGBの後継組織FSB直轄の部隊ともいわれている。

④ロシア軍、劣勢により撤退行動段階
ウクライナ軍優勢になり、ロシア軍が撤退に入る。

⑤ロシア軍撤退後、ウクライナの軍や警察が制圧に入った段階。

⑥ゼレンスキー大統領が視察し、海外の女性記者を招いて、虐殺の様子を世界に発信する。←今、ここ。

ブチャの市民が殺される可能性は、①~⑤すべての段階で存在する。(可能性の話をしているので、ここで、本当かとか、エビデンスは、とか言わないこと。その証拠を、今、国連と現地検察と世界のメディアが収集しているのだから。)

①初期戦闘における死者。
これはA「戦闘の巻き添え」と、B「志願兵で、制服がなく、私服と腕章のみで兵器を持っているウクライナ市民兵」の戦闘による死亡。
 Bは戦闘行為による死なので、殺したロシア兵は戦争犯罪には問われない。正当な戦闘行為の死。
 A「市民の巻き添え(アメリカ軍はコラテラル・ダメージとして、自国が他国に侵攻した際の民間人の死者をこう呼んでいる。)」砲撃の誤射、流れ弾に当たるなど、戦争行為に伴う「巻き添え」の、市民の死。故意でなければ、戦争犯罪に問うのは難しい。

②占領初期、足止め段階の、補給失敗を原因とする略奪行為に伴う強姦や虐殺。
 予定したようにキエフに進軍できなかったために、この町でロシア軍が駐留を始める。食料が不足したために、初めは商店に略奪に入り、後に民家に略奪に入った。別の街の話だが、ロシア軍はこういう態度だったと、靴店店主の青年が答えていた。(ウクライナ国営テレビ。)。
 そうした略奪に付随して、女性への暴行があったのも、事実であろうと思われる。それに抵抗しようとした女性や、女性を守ろうとした男性、家族が殺されたことも多数あったと思われる。これらは明らかな戦争犯罪。「軍紀の緩さ」と「兵站補給の失敗」により発生した虐殺である。

 しかし、この時期におけるロシア兵は、経験の少ない徴兵を多く含む若者主体であったとされている。戦闘で実際に人を殺した経験が少ない兵士が大半であったと思われる。日本の先の大戦でも、未経験の兵士の中には、民間人への暴行略奪などを平気で行えるものと、そうした行為はできないものに分かれた。殺人に抵抗のある新兵に、古参兵が無理やり捕虜を銃剣で突く、日本刀で斬首することを強要し、殺人への抵抗感を下げる訓練をしたことは多数記録に残っている。「未熟だが暴力的になりやすい若いロシア兵」が暴行虐殺をしたのと、そうした行為はできず、占領したボチャ市民と交流したり共存したりするロシア兵が混在した可能性が高い。(中国に侵攻した日本軍兵士にも、現地中国人に優しかった人、交流した人も多数いたことも、また記録されている。)。
 昨日のウクライナ国営テレビの報道での、現地葬儀屋さんが「ウクライナ市民の遺体が路上に放置してあるのを収容しようとしたが、ロシア軍が許可しなかったので、ロシア兵の遺体も三体放置したままだ、あれもそのままでいいのかと進言したら、遺体を全部収容させてくれた」とのインタビューに答えていたことからも、「会話の成立する相手もいたこと」がわかる。また、①の段階でウクライナ軍兵士、ブチャ市民、ロシア兵の遺体が路上に放置されていたことがわかる。この段階では「暴行、虐殺」も生じていたが、ただひたすら殺しまくっていたというわけではない。ブチャ市民の多くが、早くロシア軍が行き過ぎるか撤退することを願いつつ、ロシア兵の暴力を駆り立てないように、息を潜めなんとか生き延びようとしていたことがうかがい知れる。ブチャの人口は2万7千人。逃げた人が多いとして、「1万人も2万人もが皆殺しになったわけではない。」今のところ把握されている死者は400人程度。今後明らかになるとして、不運にも殺された人がおそらく人口の1割前後か。暴行を受けた人はもっと多いだろうが、あとの市民はなんとか、息を潜めるようにして、生き延びたのである。

③占領後期 「虐殺部隊」投入による、意図的虐殺(ジェノサイド)

ブチャ市民の証言で、ロシア軍の、中年の部隊が来てから、暴行、虐殺が急にひどくなった、という証言がある。チェチェンで市民の殺害をしてきた部隊が投入されたとのニュースを以前に僕も見たが、その時期である。

「ロシア軍」といっても一枚岩ではない。これは独ソ戦の時もそうで、ドイツの正規軍「国防軍」の中には、ナチスに好意的ではない、軍紀もよく守る軍も多かったが、「ナチス親衛隊」の軍は、ゲルマン民族以外の殲滅のために組織されていたので、「村人丸ごと皆殺し」をしながら、ソ連に向けて進軍していたことが知られている。

いわば、ナチス親衛隊的な、それと同じような、まさに「ジェノサイド、虐殺」のための軍隊が、後から投入された可能性がある。と言うか、その可能性が高い。こうした部隊の古参兵が、前からいた若い未経験な新兵、徴兵に、残虐行為を「訓練、馴らすため」に行わせた可能性もある。(証拠はないが、かつての日本軍だけでなく、どこの国の軍隊でもある話である。)

④撤退間際の、腹いせ的虐殺
ウクライナ軍が対戦車兵器などで反撃攻勢をかけ、ロシア軍が劣勢となり撤退となる時期。まず、ニュース映像から、ブチャ市内にも、対戦車兵器で破壊されたロシア軍の戦車装甲車が多数放置されている。この状態では、ロシア兵が精神的にも追い詰められていたこと、ボチャ市民も「ロシア兵劣勢」という情報は伝わっていた可能性がある。
 ブチャ市民へのインタビューで、「撤退間際に、ロシア兵に、紙クラッカーを投げつけた(パーティ用の?)ために、家族が殺された。抵抗の気持ちだった。攻撃したわけではない」とインタビューに答えている人がいた。つまり、「もうロシアの負けだ、出ていけ」という行動に出て、殺された、と言うことのようである。ロシア軍が撤退する間際に、多数のブチャ市民を、ロシア軍が腹いせのように虐殺していった可能性はある。

おそらく、③~④は連続的に起き、このときに多くのブチャ市民が虐殺されたのではないかと考えられる。

⑤ロシア軍撤退から⑥のゼレンスキー大統領・ブチャ入り、世界の女性ジャーナリストに取材おぜん立ての間に何があったか。

A 真っ当な見方=取材おぜん立てはあった。
ロシア軍撤退(3/30)から、取材があった4/4の間に、ウクライナ軍や警察が入って、残存兵がいないことで安全を確認確保し、そのうえで、大統領が現地に入る。世界の女性ジャーナリストを招き、「ロシア軍の虐殺」が印象に残るように世界中に発信する、という広報戦略が練られ実行された。
それにあたって、「遺体を全部かたづけちゃわない」という意味での、演出を施した期間と考えられる。この程度の「世界への情報戦略」は、当然行うわけで、それまで否定するのはただのバカである。ブチャとその周辺で、特にロシア軍の蛮行がよくわかる遺体は、そのまま放置しておき、そこに取材陣をアテンドしろ、という戦略が実行されたはずである。惨状は、あらかじめゼレンスキー大統領も知っていたが、そこは役者である。初めて見たかのような、衝撃を受け、憔悴し、一気に年を取ったような表情になるというのは、「本心半ば、演技半ば」と考えた方がよい。ロシア軍による虐殺は事実だが、それをゼレンスキー大統領が、最大限活用した。というのが真っ当な見方だと、私も思う。

B 占領ロシア軍に協力した市民を、この期間にブチャに戻ったウクライナ軍・警察が処刑し、それをロシア軍の仕業と偽装した、というロシアの主張の可能性→可能性は低いが、この可能性も排除せずに公平な機関が公正に調査することが、今後の裁判の公正さを保証する。いきりたって、この可能性を端から排除してはいけない。

 そして、ロシアは、こぞって「ロシアが占領していた②~④では虐殺などしていない。この⑤の数日間に、ウクライナの軍や警察にいる国粋主義者が、占領期間中にロシア軍に協力的だった市民を、見せしめとして虐殺した上に、ロシア兵の仕業に見せかける偽装をしたのだ」と言っているわけだ。    

 ロシア側のさらに細かい言い分としては、その証拠に、虐殺された市民の多くは白いスカーフで後ろ手に縛られているが、②~④の占領期間中、ポチャ市民は、「ロシア兵でも抵抗者でも、民兵でもない」ということが一目でわかるように腕に白いスカーフを巻くことを義務づけられていた、という情報がある。さきの葬儀屋さんだけでなく、占領期間に、なんとか市民生活をし、できる範囲でロシア兵と会話をし、その要求にこたえるということをしていた市民は腕に白いスカーフを巻いていたのである。ロシア兵撤退後に町に入ったウクライナ軍と警察が、白いスカーフを巻いた市民を「ロシアへの協力者」として処刑した、という説が出ているのは、こういう背景、事情からである。

 過去の歴史を遡っても、ナチスに長期間占領されていた地域、例えばパリが連合軍によって解放されたのち、占領期間中、ナチスに協力していた人、女性が、市民たちによってリンチされたことはよく知られている。裁判など無しで、市民たちによりリンチ、処刑された例も、占領地域では多数あった。「占領地域で、解放後に、敵協力者が処刑される」ということが、可能性としてゼロではない、ということは考慮にいれる必要がある。

今回のブチャはじめ、キエフ北西部地域は、そもそも親ロシア派は少ないから、この「ロシアへの協力者をウクライナ側が虐待」ということは起きなかった可能性が高いと思う。僕は個人的にはボチャでこれはなかったんだろうと思う。しかし、ウクライナ全域、特に東部、東南部では、こうしたことが戦争中、本当に起きていないか、起きなかったかは、戦争後に先入観なく検討すべきだと思う。

 このような事実があったかなかったかを、国連など中立的機関が調査する必要があるのであって、「ロシアの戦争犯罪を立件する」ためだけの調査であってはならない。あらゆる可能性を考えて、中立的調査をした結果として、①の「戦闘の巻き添え」パターンを除いて、②~④の段階での、明らかな戦争犯罪の証拠を揃え、実行者を特定する。こうなったらば、「ロシアの戦争犯罪」だし、さらに「ジェノサイド」と認定されるのはおそらく③~④の行為、そのための部隊が投入されて以降のことなのではないかと思われる。ブチャでの出来事はロシア兵が100%悪かった可能性が高いと思うが、全土、特に東部ではウクライナ側が親ロシア派住民に対して戦争犯罪あたる行為がなかったかなどは、公正に調査されるべきだろう。

※{「戦争犯罪」の中で、さらに別の重さを持つ「ジェノサイド」の規定とは。
菅野(山尾)志桜里さんの記事
ブチャの遺体に何も言えない日本~ジェノサイド条約加盟に向けた具体策~【ウクライナ侵略】

 現地に視察に入ったゼレンスキー大統領は「これは戦争犯罪であり『ジェノサイド』だと世界は認めるべきだ」と訴えました。他方、米国はじめ西側諸国は、今回の件がジェノサイドにあたるかどうかについては判断を留保しているのが現状です。ブチャにおける民間人への殺戮行為が、戦争犯罪を超えて、特定の属性集団を意図的に抹消する行為、すなわちジェノサイドであると認定されるかどうかは、その他の地域も含めた今後の捜査を待つことになるでしょう。
ただ、ここで私たちは日本の課題に目を向ける必要があります。
そもそも日本にはジェノサイドを犯罪化する法律すらなく、ジェノサイド条約に加盟もしていないという課題です。
(中略)
 ジェノサイドとは「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為」であり、その5つの行為とは、
①集団の構成員を殺すこと
②集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること
③全部または一部の身体的破壊をもたらすよう企てられた生活状況を故意に集団に課すこと
④集団内の出生を妨げることを意図する措置を課すこと
⑤集団の子どもを他の集団に強制的に移住させること。
※ジェノサイド条約 ジェノサイドの定義(第2条)より

こうした公正なプロセスを経ないと、「戦争犯罪として裁く」、さらに「ジェノサイドとして裁く」ということはできないのである。

つまり、それぞれの段階での「市民の犠牲」「市民の殺害」というのが、「戦闘に伴うやむを得ない巻き添え死(コラテラル・ダメージ。アメリカは自国が他国に侵攻した場合の市民の死はこの分類で、戦争犯罪ではない、という立場をとる)、市民を意図的に殺害したり暴行略奪を働いたという「戦争犯罪」、さらに、ウクライナ人という集団を抹殺しようという意図による「ジェノサイド」という三段階があり、どの死亡例が、どれにあたるのか、というのを、ひとつずつ検証するという、緻密な作業に、国際機関はとりかかっているのである。

 だから、感情的に「ロシア人全員鬼畜」などと叫ぶことは、それは人間だから、感情があるから、あのような映像を見たら、そうなるのは分かるけれど、その感情にまかせて「ロシア人など滅びてしまえ」などと言うのは、あなたも「ジェノサイドを肯定する人=集団としてのロシア人の殲滅を願う人」になってしまうので、そうなってほしくはないので、やめてください。冷静になってください。



NHKBS ワールドニュースの話に戻ると、ドイツZDFは、そうしたことが地道で公正な努力として、即座に始められた、ということを、詳しく報じているのである。

ZDF メインキャスター
「ブチャにおける残虐行為の調査が進められています。ビデオや衛星写真、そして目撃証言の最初の分析結果は、『すべては演出されたもの』というロシアの主張を否定する内容です。ウクライナ検察当局によると、ブチャと同じ衝撃的なことは周辺の地域でも起きている可能性があります。」
現地の取材映像。ビニールシートに覆われた遺体を運ぶ調査員だち。道端に落ちている薬莢ひとつひとつを拾ってスマホで写真を撮り記録していく調査員。「調査員は地面に落ちている薬莢から、また、どの方向からどの程度の距離から発砲されたのかまで調べ、記録していきます。また各国のジャーナリストも映像に残していきます。これによって後に真実を再現しようとしています。最も重要なのは目撃証言です。住人です」白いひげの初老男性「義理の息子が撃たれました、こめかみを撃たれ頭の半分が飛びました。」ウクライナ警察幹部です。「拷問された跡があります。遺体の顔の血液や青あざが証拠です。」初めに解放されたボチャに到着したウクライナ兵士は、集団で射殺されたと見ています。「亡くなった人の中には手が縛られている人がいました。周囲には爆弾の破裂した跡などはなく犠牲者は皆、同じ方向に倒れていました。(つまり戦闘の巻き添えではなく、処刑するように虐殺された、と言っている。)」
草藪の脇に倒れる遺体、道端に残された遺体、おびただしい血痕を映しながらナレーション「ロシアは写真や証言はウクライナが演出したものだと主張し続けています。ロシアが撤退するまで一人の住民も死亡していないと主張しています。上空からの写真を見るとその主張には矛盾があります。二週間前の衛星写真には、白いライトバンの横に動かないいくつもの人体が映っています。その後、街が解放された後に同じ位置に遺体が横たわっていることを、ニューヨークタイムズが調査で明らかにしています。」
ウクライナ当局は北部にはブチャと同じようなことが起きた街がいくつもある可能性があると見ています。ボーデルやイルピン。ボロディアンカです。調査員が解放された街で証拠を確保し、ウクライナ司法当局はボチャよりも犠牲者が多いと見ていますが、一方ロシアはウクライナにより演出された残虐行為だとの主張、ロシア国防省報道官です。「昨夜、ウクライナのスペシャリストがボスチョイにおいてロシアの戦争犯罪を演出し、それを撮影していました。それはコノトフなどでも計画されています。いずれもウクライナ北部に位置し、ロシア軍が撤退した地方都市です」
キャスターとキーウの記者の会話
キャスター「ロシアはウクライナが後にロシアに戦争犯罪の罪を着せるために、他の町でも戦争犯罪のようなシーンを撮影していると主張していますが」
記者「これはロシアがこの戦争で繰り返し持ち出している多く主張していることのひとつですが、何一つ証拠を提示できていません。ロシアはウクライナが市民にジェノサイドを行っているという主張から、ウクライナ政府が戦争犯罪を自演しているという主張まで、ロシアは何一つ証拠を提示していません。ロシア政府の明白なプロパガンダです。その目的は対戦相手を悪魔視し、信用できないもににし、また現地で取材しているジャーナリストの信用を失わせることです。」

出来る限り中立公正な報道姿勢を保とうとしてきたドイツZDFも、ブチャの虐殺、ウクライナ北部での虐殺はロシアの仕業だという姿勢にはっきりとなった。

 ここまで中立を保とうという姿勢があるZDFだからこそ、この件は明らかに、ロシアの仕業なのだろうということが伝わる。

 ではあるが、冒頭から縷々書いているように「ロシア兵全員が悪魔的に残虐なのか」→「ロシア人、国民が西側の人とは違って残虐なのか」、そこは、冷静に、事実を見定めていかなければならない。若い徴兵されたロシア兵全員が残虐だったのか。後から戦地に入った「虐殺部隊」の関与はあったのか。一方、「ロシア兵に協力した市民への、ウクライナ側の報復的虐待」の事実は、本当に全くなかったのか。北部ではなかったとして、ロシア語話者もともと親ロシア派の住民が多数だった東部南部の町ではどうなのか。いろいろな可能性を排除せずに、「どちらのことも、荒っぽく悪魔視」しないで、本当の戦争犯罪者、本当のジェノサイドの首謀者をあぶりださないといけない。

 先の大戦後、戦犯として処刑された日本兵、B級C級戦犯の中には、本当は民間人や捕虜の虐待や殺害をしていなかった人、命令によりやむなくそれに加担はしたが、暴行殺害の実行犯ではなかった人も含まれていたのを思い出さないといけない。被害者側の視線に立つと、いちばん残虐だった存在が、すべてに思える。敵兵全員がそうだったように思える。終戦直前、満州に侵攻したソ連軍。満州にいた日本人を殺害、強姦したソ連兵のことは事実だが、「ソ連兵全員が強姦に参加したのか」というのは、よく分からない。『戦争は女の顔をしていない』を読めば、ソ連兵には女性兵士が少数ながら混じっていたし、また軍の規律を監視する将校も、必ず同行していた。ソ連兵は満州でもベルリンでも、女性への性暴力を中心に、本当に酷いことをした。その傾向が第二次大戦を戦った各国の軍の中でも強かったのは確かだが(戦時性暴力のタイプを分けて分析する研究がある。)しかし、程度の差はあれ、①各国の軍隊にもそうした行いはあったし②ソ連軍のなかにも、そうした行為に抵抗感があり参加しなかった兵士はいた。のである。


「歴史書」だけでなく、文学や映画で、各国の、いろいろな時代の、いろいろな戦争における「人間の振る舞い」というのを知りましょう。 「現地の住民に、ひどいこと(略奪、暴行、殺害)を平気でやってしまう兵隊」と「それには参加したくない兵隊、やらないという良心が勝っている兵隊」が、中国に侵攻した日本兵でも、ベトナムでの米兵でも、必ず存在した。過去の歴史に学びましょう。

「ロシア兵はみんな」「ロシア人はみんな」と相手を悪魔化することは、自分の心の中にジェノサイド(だからロシア人は滅びてしまえ)を育てることになる。米英の一般市民が、広島長崎の原爆投下に快哉を叫んだ、今でも「原爆のおかげで無駄に米兵の犠牲を出さずに戦争が終結できた」と考えている人は多い。「戦争中の日本人は全員、殺してもいい悪魔」だと、当時の米英人、だけでなく、現在に至るまでそう思っている人はいるのである。

なお、戦争犯罪には時効は無い。

 ゼレンスキー大統領の国連安全保障理事会でのビデオ演説についての、CNNやBBCの放送ではカットされた部分があるとの情報。
「国連でゼレンスキー「侵略者が裁かれるべきだ…セルビアからシリアからソマリア、アフガンからリビア、これらの殺戮はもっと早く止めるべきだ」CNNニュースにはこの部分は省かれた。」

シリアでの虐殺は8割がアサド政権側であることがわかっており、これはロシアが支援している。しかし米軍が支援した勢力による民間人被害者も出ている。昔のセルビアでは独裁者ミロシェビッチ側が市民を虐殺したが、それ空爆して巻き添えで市民を多数殺したのはNATOだ。ソマリアとアフガンとリビアも、「独裁政権を倒す」で軍事介入して、その結果多数の民間人に犠牲が出た、他国に軍事侵攻したといえば、リビアもアフガンも、米軍(とNATO)側である。どれも、バイデンとブリンケンが関わった独裁者へのアメリカ軍事介入の例なんだな。これらの例のように米国とNATOは介入してくれという意味でゼレンスキーは言ったのだろうが。しかし、住民を殺したという意味では、独裁者と言われた側も、介入した米軍側も、どっちがたくさん民間人を殺したんだといったら、それは微妙なんだよな。

 昔のことを持ち出して「どっちもどっち」と言うな、と言う声があるが、これらの紛争は現在進行中だったり、ごく近い過去のことだ。
 こと「戦争犯罪」には時効は無いのである。白人であるウクライナ人のときだけ「戦争犯罪だ、虐殺だ」といって、ソマリアやアフガンやリビアについて知らん顔するのは、端的に、人種差別、差別主義者だと思う。

 ゼレンスキー大統領の安保理演説の中心は、もちろんロシアの行為に対する批判が中心だったが、それだけでなく、国連安保理が機能不全だったために一般市民がたくさん死んだ例として「シリア、ソマリア、リビア、アフガニスタン」と言った。ロシアだけのことを批判したわけではない。国連安保理が正常に機能していないと、あの場にいる全員を批判したのである。
 


 

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