少しの買い物
無印良品に行くと、お洋服の売り場をぐるっと見てしまう。似合わないのはわかっているが、好きな服ではあるから見るだけ見たくなる。ああいう自然な色味の、シンプルなデザインの服が似合うひとであったなら、きっと積極的に着ていたと思う。でも私に穏やかな色、優しい服は似合わない。顔にも体型にも曲線が多いから、全体的にぼやぼやしてしまう。性格に難があるから、優しい印象を演出する服を着ると嘘をついているようで後ろめたくもなる。淡い色にせずに白か黒か紺、どこかに鮮やかな差し色、という選択をすれば自分なりに着られそうではあるが、それなら無印良品である必要もない気がしてしまう。やっぱりあの、ベージュとか生成りとか茶色とか、柔らかいカーキ色とかを着てこそだと思う。
大学生の頃、SNSづたいに仲良くなった同級生がいた。学科が違っていたから直接話す機会はほとんどなかった。音楽が好きらしく、私が入っていたサークルの学内ライブを時々見に来ていて、その感想をSNSを介して投げかけてきたのがきっかけだった。彼はファッションオタクでもあり、モード系やナチュラル系に詳しく、彼が好むやや尖った印象の衣服はそのひょろっとした体によく似合っていた。彼はよく「特に服に興味がないなら無印良品でジャストサイズの服を揃えておけばいい」とも言っていた。
彼は女性に対しあまり免疫が無いようで、私とはほんの少し交流があったが他はまるっきりだった。サークルの先輩たちが悪ふざけで作ったSNSアカウント(「サブカルホイホイ的な、いかにもうちのサークルの面々が好きそうな雰囲気の女の子作って『〇〇ちゃん昔来てたけど最近見ないな』みたいな感じで後輩騙そうぜ!」)に本当にホイホイ釣られて「どんなひとか詳しく調べてほしい」と言ってきた。
また別のときには、学祭で一瞬だけ見かけたアニメキャラのコスプレをしていた女の子に強く惹かれたらしく、私と同じ学科だと調べ上げて「紹介してほしい。コスプレに違和感を覚えなかったのは初めてだし、とても上品な感じがした。」と言ってきた。あまり気が乗らずのらりくらりとかわしていたが、「もう聞いた?」とあまりにもしつこいので「こんな風に言う知り合いがいるんだけど……」とダメ元で切り出した。案の定断られた。断られたと伝えても、2年置きくらいに蒸し返してきて面倒だった。
彼の名前は思い出せないが、気位の高さが感じられるその文体は思い出せた。こだわりが強く、文化に関心のない人間を批判的な目で見ていて、自分の気持ちにまっすぐだった。彼はその後、はたして幸せになっただろうか。今もまだ、尖った服装で他人を値踏みして生きているだろうか。
無印良品の耐水サコッシュ(撥水のほうじゃなくて、耐水のほう)のデザインが好きで買うか迷った。ほかのサコッシュはカジュアルだったが、耐水のものだけ妙に直線的なデザインで素敵だった。でもポーチやサコッシュはすでにいくつか持っているし、いつかまた我慢できなかったら買いに来よう、と思いながら店を出た。
通りかかった300円均一のお店で「LIFE is ART」と書かれたトートバッグを見た。うそつき、と思った。心からそう思うひとなら、そんなふうにトートバッグにはしないだろうと思った。私も結局、どこかそういう物の見方をしてしまうらしかった。
ほうぼうと、真鯵のお刺身を買って帰った。
お守りのようにつけていたたくさんのアクセサリーは、私が太っていけばいくほど肉に食い込む感じがしてきてあまりつけなくなった。いつも冷蔵庫に常備しているのは水出しの蕎麦茶なのに、気まぐれでルイボスティーにしてみたら甘くてびっくりした。気がつけば10月だし、私は相変わらず自己愛のなかにいて、そのせいで発生する他人との歪みがいつ爆発するだろうかとずっと怖がっている。
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