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パン

自宅の最寄駅近くに、パン屋さんがたくさんある。
南口だけでもお気に入りのお店が2軒、お気に入りでないお店も入れたら6〜7軒は軽く思い当たる。バンド名と見紛う高級食パン店をパン屋さんに含めるか少し迷ってしまった。

北口すぐにも美味しいパン屋さんはあるし、もう少し駅から離れたところまで足を伸ばせばもう2〜3軒思い当たる(パン屋が多いというより、飲食店全般が多い地域ではあるが)。

南口出てすぐの、ここに住み始めて最初にお気に入りになったパン屋さんに行った。2〜3日分の食材や日用品を買った帰り、まっすぐ帰ろうと思っていたのに結局素通り出来ず、「2個まで」と言い聞かせながら店内に入った。

おばあさんがひとり先客としてパンを物色していた。何やら店員さんに話しかけていてなかなか動かないが、狭い店内なのでおばあさんが先に進むのを待つ。


「あの、魚を挟んだやつはないの?魚を挟んだサンドイッチ。あるって聞いたんだけど?」
「サーモンを挟んだやつですかね、まだ並んでいませんが3〜5分ほどでお作りは出来ますが、いかがいたしますか?」


おばあさんと店員さんのやり取りが耳に入る。たしかにサーモンが入ったおいしいバゲットサンドや食パンサンドはある。が、特別有名な商品というイメージもなかった。おや、と思った。


「5分?じゃあいいわこれで。サバはないの?サバがあるって聞いたんだけど。」
「サバ!?は扱っておりませんね、サーモンのサンドでしたらいくつかございますが・・・」
「あっ、そう!サバって聞いたんだけど。まあもういいわ、これでこの袋に入れてちょうだい。」


サバはもう少し奥の通りだ。奥の通りを右に曲がったほうのパン屋さんだ。サバサンド、あまりお目にかかったことはないけれど、SNSやなんやでちらっと目にしたことがある。あの大人気のパン屋さんに、売り切れ必至のサバサンドがあると。でもそのお店はサバサンド以外もすごく美味しいし、サバサンドはないけれどこのお店のパンもすごく美味しい。

このお店のパンもすごく美味しい、のに、サバサンドがないからと露骨に妥協された感じが嫌だった。店員さんに横柄な態度なのも嫌だった。私が後ろにいるのに買い終わった後もずっと「サバのパンはないの?やめたの?」と店員さんに話しかけているのも嫌だった。

なぜ自分が間違えているかもしれないと思わないのだろう。

おばあさんにも色々ストレスがあるのかもしれないとか、今となれば色々と気にしないための想像を膨らませることは出来るけれど、そのときは出来なかった。嫌な人、に見えた。

だから私は「サバサンドならあっちの○○ってお店にありますよ」を言わなかった。少し話しかけるくらいなら出来るほうだけれど、言いたくなかった。もしかしたらこのおばあさんは、後日ウワサを教えてくれたひととお茶でもしながら「サバのパンなかったわよ?」と文句を言うのかもしれない。文句までいかなくとも、文句を言っているような口調の報告になるのではないかと思う。お相手は少し嫌な気分になるかもしれないし、おおらかなひとなら気にならないかもしれない。

店員さんが間違っているわけじゃないと示すために「あっちのパン屋さんですよ」を言うべきだったのかもしれない。でもそれよりも、このおばあさんに話しかけるのが億劫だった。間違いを指摘して、否定されたことに腹を立てられたらと思うと面倒でもあった。間違っているけれど、あなたは間違ったまま去る。少しの親切心や話しかける勇気を、あなたに向ける気は起こらない。

おばあさんが出て行ったあと、お会計のときに「大変ですね、サバサンド、○○さんとこですよね」と店員さんに声をかけたら「あっ!そうですね。そっか間違えてたのか、うちはサーモンだけですし・・・」と言われたので「美味しくいただいています」と言って店を出た。店員さんに話しかけたのは、労いたい気持ちもあったけれど、自分が気付いたことを報告してスッキリしたい気持ちもあったので少し反省した。

自分に害がない他人の誤りを正すのって、正す側には何の得もないかもしれないのにわざわざ動くってことだよなあ、などと思いながら帰った。

私は自分が間違ったときに、間違っていると言ってもらいたい。間違ったままでいたくない。さっきのおばあさんのように「このひとのためにわざわざエネルギーを使わなくてもいいか」と思われる回数を少しでも減らしておきたい。そのためには、横柄にならず、できる範囲で他人に嫌悪感を抱かせずに過ごしたい。


帰り道、ずっと頭の中でこの出来事がぐるぐるしていたので文章にしました。これでおいしくパンが食べられる気がする。ちなみにお皿は実家を出るときにおばあちゃんから持たされたものです。SNOWLETS(長野オリンピックのマスコットキャラクター)が描かれています。


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