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「寺田寅彦随筆集」/私の本棚(1)から(note007)

【目次】

【読んだ感想・気になること】

・さて今日は、寺田寅彦随筆集を取り上げます。
・翻訳の学習と仕事を始めた頃、この人の本を読むところから始めるように
 言われて読み始めたものです。
・当時の学習の目的は、技術文書を訳すための日本語を訓練することにあり
 ました。
・文学のように繰り返し読んで味わうというよりは、読み返さなくても1回
 で意味の通じる文を書くための参考書として勧められたように受け止めて
 おります。
・寺田氏の文体は、ガチガチの技術文書ではなく、流れるような文体である
 ところから、お手本になると思います。
・今回、本自体は知っていましたけれど、改めて読み直したので、記録して
 おこうと思い立ちました。よろしければお付き合いください。
・では、今回は第5巻から一部を紹介します。

これからしばらく続けて筆を執ろうとする随筆断片の一集団に前もって総括的な題をつけようとすると存外むつかしい。書いてゆくうちに何を書くことになるかもわからないのに、もし初めに下手な題をつけておくとあとになってその題に気兼ねして書きたいことが自在に書けなくなるという恐れがある。

「寺田寅彦随筆集」第5巻


(1)文豪でも題の付け方に悩むのは同じ。

(2)読点の打ち方が現代と異なる。「、」が5行にひとつしかない。

(3)漢字とかなの使い分けについて。「難しい」ではなく「むつかしい」にしている。「書いていく」ではなく「書いてゆく」を選んでいる。

文豪でも題のつけかたに迷っているのは同じだということでしょう。また、読点「、」がひとつしかないのは、目で追う分には問題ないけど、録音して耳で聞く場合には、読む人が自分なりに意味を損ねないよう工夫して読んでいくのでしょう。

いずれにしても、日本語がそのように細やかな心づかいを必要とする言葉だからこそ、白黒つけるだけでは済まない、済ませないで済むような寛容さが求められる世界になっていくのではないかと思います。○✖️で終わるのではない、中間の△があるのを良い方向に持っていければなあ、とどこかの国の選挙をネットで見ていて思ったのでした。イエスかノーか、という考えで動いていると、


どちらにしようかな、

神様の言う通り


っていう考え方に煮えきらないものを感じる人もいるでしょ。

この作家の文体をまねしたい人の場合、そのような細かい部分にも気を配るよう求められる世界に関わっている人なのかな、と思います。翻訳の世界などは特に。微妙なニュアンスを掴むためにも。それが味わいにつながるのだから。日本語に本来備わっている滑らかさ。翻訳調と呼ばれるものの対極にあるもの。日本人なんだから使えて当然ではないのだと。

数年前、フィンランド語みたいに格変化が16もある言語をちょっとかじった頃のことです。同じように外国語を学ぶ人から言われたことがあります。

日本語の方がはるかに難しいのだと。

それを難なく操れる日本人の方がすごい、って。

たしかに、日本語をきちんと話したり書いたりできるようになることって、案外難しい。そう思う人も少なくないと思います。


ここで、今日の記事のトップ画像に使わせていただいた方のnoteをご紹介します。あやさん、ありがとうございます。下の枠のどこかをクリックすると、このかたのnoteに進むことができます。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

また思いつくことがあったら追記します。


なお、はじめましてのかたは、【自己紹介させてください】へどうぞ。



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