楽観

(ヨーガクラス後のスモールトーク・アーカイブ 6/10)

私たちはいろんな「フレーム」に入れ込まれた状態で生きていますね。

個人的な考えや行動習慣もそうだし、家族、住んでいる場所の地域性、学校、社会的な機関、国、宗教、経済システム、いろんなフレームの重なりの中に個人としての自分がいます。

フレームの規模が大きくなるほど、個人では動かせない枠組みとその価値観が働いており、自分ではどうにもできないものになっていきます。もちろんそれを見直していったり、参加して変えていこうとすることもできますが、まあそう簡単には変わらないということも世の中多いですよね。理不尽なことも身に起こったりします。


そういった「大きなシステム」に取り込まれながら生きつつ、どう向かいあったり折り合いを付けていくのかというのは個人の選択になってきます。



個人の心の調整についてを言うならば、そのことによって「無力感」に陥ってしまうのを避けた方がいいと思います。

自分の存在の小ささとか、自分には価値がないみたいな思いに悲観してしまうと自分のエネルギーがどんどん減って行ってしまいます。

そういう時はより大きく普遍的なフレームについて思いを馳せたりすることも助けになります。例えば宇宙とか、例えば人の一生の短さとか貴重さとか、今生きていることの奇跡とか。

あるいはスケールを小さくして日々の細々とした事柄に感謝をしてよく味わって過ごしてみるとか。そうやってエネルギーを自分で思う「良い感じ」に動かして生きることも大事だと思います。


フランスの哲学者アラン(エミール・オーギュスト・シャルティエ)の言葉は助けになるかもしれません。

「悲観は気分に属し、楽観は意志に属する」

と言っています。


既存の世界のフレームを変える、というようなことには届かないかもしれませんが、自分自身を固定的なフレームに束縛することは避けられると思います。

そして、悲観って気分(感情)で、自分の感情でありながら主導権を特定の感情に明け渡してしまっているので、自分の感情に支配されている感覚が非常にストレスです。


しかし楽観が、アランの言う通り意志によるものだとすれば、自分で決めて、自分でドアを開けて世界に出ていく潔さが爽快だとも思います。

バガヴァッド・ギーターではこのような心を「決定(けつじょう)」とよびます。


楽観したところで未解決の問題は抱えている状態だと思うのですが、そうであっても「抱えさせられている」のか「自分の意志で抱えている」かでは、心の状態は大きく変わると思います。


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