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私が勉強する理由


サイトから配信のメルマガアーカイブです。


今日は、読者さんの質問に答えるコーナーです。

「僕は勉強が苦手です。勉強は何のためにするものだと思いますか?
学校では「将来のため」というのが強調されていたように思います。
社会に出たら資格をとって仕事を有利にしたりするためにしている人をみます。


ただ興味があって好奇心を満たすためという人もいます。
仕事のために専門分野の勉強をしないといけないという場合もあるかなと思います。


自分は強いて言えば、興味の幅は狭いのですが好奇心かなあと思います。ただそれでもあまり勉強が好きではないです。
世の中にはたくさん勉強して賢い人が、ネットを使ってみんなにそれを共有したりするのが盛んな時代です。そういう人たちを見ていると、自分ももっと勉強したいなと思ったりするのですが、どうも勉強が苦手で、先生はインドのことをよく勉強していらっしゃり勉強が好きなイメージがありますので、どうして勉強するのかを聞いてみたいなと思いました。」




■私という土地


私が勉強する理由は、自分という人格を耕すためです。


人間の知性や心というのは土地みたいなものだと思っています。
その土地を「何かが育つことが可能になる畑」にするには、耕す必要があり、何を勉強するかというジャンルではなく、「勉強をすること」そのものが、農具であり農夫の働きだと思っています。


何が育つかは、わからないんですよ。
でも耕して、種を植えてみます。


その上で自分が大事にしているのは、私というひとつの土地に、いろんな種を蒔くことです。いろいろな種類の植物が共存すると心と人格は豊かになります。


ですので、自分の勉強には偏りはありますが、知らない領域やそんなに得意ではない領域のことも入門書や詳しい人のお話などに触れるようにしています。


■自分の中に、種が共生する楽園を作る


私は自分の人格と人生に「地平線まで広がる広大なトウモロコシ畑」のような風景を求めていないんです。

そうではなく、さまざまな種が芽生え成長し、たくさんの色と形がある土地が見たいんですね。そのほうがいろんな種の鳥や虫も集まり、関係性が豊かな土地になります。


そして土地にはもともとある自然な力があり、耕さなくても生えてくる種があります。だから人間界では「雑草」と言われるようなものも雑草ではなく、れっきとしたひとつの種として全体の中での役割を果たしているのが好きだと感じます。私の中でも「勝手に生えてくる草花(興味)」があるのを感じます。


耕して育てたことで大きく育つ種と、自然にそこに在る種が共存するというのが、「総合的な私」だと思っています。



■勉強すること自体に恩恵がある

将来のためになるかわからない、資格取得とかに繋がらない、給料アップに繋がらないとしても・・・、

勉強する事のもともとの動機はそんなところにないのが「学問すること」だと思っています。


インド哲学なんてその際たるもののように感じます(笑)
知らなくても生きていけます。
でも!知ったら自分が深く耕されます。浅いところをシャベルですくうような学びではなく、自分を深くざっくり掘っていくのがインドだな、と。


哲学や思想の勉強は時間がかかります。本を読んだだけではわからないし、先生から聴いた時には即座にわからないこともあります。でもそこに、長い目で見た実りを感じています。理解や実感ができるまでに時間はかかるけど、勉強し続ける事で自分の奥の見えないところでじわじわと育っているんですね。

逆に、最短で得られる結果というのは「強度」と「次を生み出す力」があまりないという事を経験的に知ったのも大きいです。地道に勉強するのがいいなと。即効性を求めるとたいていはその場を凌いだ結果になることが多いです。最短(の勉強)で得られる結果は、「種無しの果物」のような、次に繋がらない、一代限りで消費されるもののようですね。

ただ、「勉強すること」そのものに慣れ親しんでいると、「浅いもの」から「深い気づき」を引き出せるという能力は付きますね(笑)! これもひとつの効能かと。思いっきりバカらしい動画なんかからも深い人生哲学をひっぱり出せたり(笑)。その能力が発動するのは、やっぱり学びという筋トレでいつでも使える知性の筋肉がスタンバイされていることだと思います。
ですのでやはり、勉強は付け焼き刃ではなくじっくりがいいですね。


目標や目的に向かって勉強するのは全然ありです。目的があるとスイッチが入りますし、それで得る到達点もあります。私も過去には受験も経験したし、資格試験も受けたし、今は「これをみんなに伝えて喜んでもらいたいな!」という目的で勉強することもかなりあります。

しかし「学ぶこと」の純度を上げると、それはただただ、自分の心と人格を耕す行為なんじゃないかと。そしてその「果実」は、じっくりゆっくりと人生の中で結実して行きます。それこそ勉強の醍醐味ですね。



■あるいは咀嚼


「自分を耕す」という比喩を用いましたが、もうひとつ。


何かを勉強することで、自分の経験を「咀嚼する」のだと思います。


勉強と一言に言ってもいろいろな勉強があり、経験の中で学ぶことも勉強だし、人間関係でも勉強はします。広い意味で「勉強」を捉えると、学ぶ機会はいつも目の前にありますね。


ただ、「経験」という勉強は、即座に吸収してエネルギーにできるわけでもなく、別のプロセスが加わって消化吸収できる状態に変容するもののようです。その「別のプロセス」が「勉強」によって促される場合が多いのです。


例えば、「本を読む」という行為。
これは、その本の中に書かれている知識を頭にインプットするだけではなく、もっと深いレベルでの「経験と知の融合」が起こっているはずです。

「本を読む」という行為は、自分の経験をさらに咀嚼していくプロセスのように思うのです。

人は日々の中で経験することを、その都度、すぐさまに飲み込めるわけではなく、振り返って考察する前に新たな日常的経験で覆われていく。


「本を読む」ということは、自分の経験したことを「飲み込んで消化できるよう咀嚼する」行為だと思うんですね。

本の内容が一見自分自身の経験と関係なさそうな事柄であっても、本を読むことで、自分のさまざまな感情や思考を咀嚼し、飲み込み、吸収し、排泄し、新たな状態になる感触を何度も味わいました。

本を読むということは、何かしらの知識を得るだけではなく、経験の消化を促し、人生の消化不良を防いでくれる重要な役割がありますね。


私は私を耕したい。

私は自分の経験を咀嚼したい。

それが私の勉強をする理由です。




■勉強嫌い克服

最後に、なんで僕は勉強があまり好きじゃないのかな、というところに対して、ちょっとアドバイスして終わりたいと思います。

最初はやっぱり、自分が好きなこと、本当に興味が持てるジャンルに集中してみるのがいいと思います。

そして、本や活字を読むのがあまり得意でないならば、最初は情報がまとまった動画とか、最近ではさまざまな分野で「漫画で学べる」スタイルもありますね。自分が入りやすい形態のもので入るといいと思います。

そこから、YouTubeの知識系の動画や漫画でわかりやすく解説しているものからスタートしたとしても、だんだんともっと知るにはやっぱり本が必要だな、と感じられると思います。そうなったら入門書から読んでみるといいです。


その時点で既に、動画で聴いたことや漫画で読んだことで得た基本知識や用語慣れの下地があるので、本が苦手な人が最初から本でトライするよりもハードルはグッと低くなり、入門書でさらなる下地の層が出来ます。


勉強って、この最初の下地作りのところがわりと苦痛に感じるんですよね。よくわからないものに馴染むのにちょっと根気はいります。
だからこそそこを楽しくする工夫も楽しむしかないですね!
出来ない自分をダメだと思わずに、行為そのものを讃えていくのがいいです。ひとつわからないというだけで歩みを止めないように、視界に入るくらいの近距離の目的や目標を立てて進んでみるのがいいと思います。そしてちょっとでも進んだじぶんを「俺すげー!」「私天才!」と褒めること(笑)、これもかなり大事です。だってやらなくても死にはしないことを、あえてやってるわけですから、エライですよ♪


フランス語の先生が言っていました。日本人は(英語圏の人よりも)下地が少ないから、最初がすごく難しく感じるよね、そこをちょっと頑張って超えると他者と会話できるという楽しい世界が広がるんだけど、そこでやめちゃう人が多いよね、と。


この最初の「下地づくり」のところは、若干の苦痛があっても越えるしかありません。越えればあとはもう芋づる式に面白くなって、知る喜びで吸収していけるようになります。

まずはそこかな、と思いますよ。


勉強していることで起こってくる変化を楽しむのがいいですね。
学び始めると、仲間ができたりします。先生に出会えたりもします。
独学もいいですが、人との交流が始まって、対話ができるようになっていくと、これまたもう楽しい世界です。「リアル」な意味で、新しい世界との出会いだと思います。

そうなるともう、「勉強すると人生が潤う」という循環になり、得意不得意という問題ではなくただ楽しくなるでしょう。


最後の最後に。

勉強は、どこまで行っても「楽」にはならないかもしれない。

でも、勉強は「幸福なもの」になります。

その幸福は、楽に勝ります。



そんなところです。
何か響くところがあれば幸いです。

ナマステ
EMIRI

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