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臭い愛は


 日曜日の商店街はガラガラでどこも閉まっていたけどチャチャだけは開いてあった。細いキャメルを吸ってボートか競輪の予想をしてるおじいと、奥にはバナナとトーストを交互に食べている仕事帰りの女性が居て、窓は少しだけ開いてる。ママはモーニングを彼とおじいの分を用意して、鶏肉をビニールに入れて仕込みをしてる、今日は日曜日で十一時までの営業と書いてあった。ママはその仕込みが終わった後、手の平を組んで中空を見てから眼を瞑った。祈りみたいな仕草は美しかった。先日天王寺の商店街のドトールに入ったことを思い出した。
 BGMはたしかブームとかだった、喫煙と禁煙のブースに別れていて、彼が座った座席は入り口まで見通せる喫煙席だった、ハットのおじいとダウンジャケットの本を読んでる女性以外は皆スマートホンを見てる。皆スマートホンを見ているから、彼はキョロキョロできる。ガラスで仕切られた自動扉の向こうには女性がふたり向かい合って座っていて、テキストを挟んで少し他人行儀に話してるのが見える、家庭教師? 彼は思ってまあいいや食べよう、何を食べたか覚えていない、こんなのを味もしゃしゃりもないと言う…違う、お腹がいっぱいになることは幸せなことです。先の女性はひとりを残してひとりは帰り、また入れ違いに違う女性が同じ席にテキストを挟んで座った、入れ違うとき一瞬残った女性は表情が曇り深いため息をついたように思ったので、家庭教師でなくてもしかしてなにかの勧誘かと彼は思った。ガラスの向こうの声は聞こえてこないので、余計に気になったが女性はふたりで今やとても楽しそうに見えた。なんとなく、いがいがする。とそこに喫煙ルームに二十歳くらいの孫と婆が入ってきた。
 レモン! レモンレモンレモン! なんでレモン取ってけえへんのよレモン紅茶やんか! と孫が言ったのに婆ははいはい、とレモンを取って来た、スムーズだった。孫は片時もスマートホンを離さないで、婆が「今日はええ買いもんできたね」「ちょっと寒いね」「帰ってごはんなにしようか」と言うのに生返事だった。婆は砂糖とフレッシュをたくさん入れてコーヒーを呑んでいた。婆は「あんまりそんなん、触りすぎたら……」と続けて言ったのに孫は「うるさい。なんでそんなん言われなあかんのよ!」と喫煙所にピリッとした空気が流れて、それにふたりも黙ってしまった。どげんかせんといかん。どげんかせんといかんが、不躾にそこへ入っていく勇気も根性も、彼にはなかった。というかどげんかせんといかんことかしら。彼がぐるぐる考えていると、ふと婆はキャメルの緑色を取り出して机に置いた。孫も婆も、そこから一本ずつ取り出して火をつけた。孫はレモン紅茶、婆はコーヒーを一口ずつ啜って、それから深く煙を吸って、大きい息で吐き出した。婆は孫に「うまいねえ」と言い、孫はスマートホンを置いて婆の方をしっかり見て「うまいねえ」と言った。ドトールのレモン紅茶とコーヒーが本当に美味そうだった。それから孫と婆は生返事や口論に戻ったけれど、煙草臭い愛もそらそこかしこにある、と彼は満足して感動した。煙草をそれ以上吸わないで商店街に出ると、着物の女性が三人、路地に入ったところで煙草を吸っていた。都会の隅の非情の愛。と思った。

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